妻と娘どっちが好き?
20200514
妻のツイートへの僕の返答。
誤解招きかねないことを言います(前置き)。
妻と夫という関係は、どういう過程を踏まえていたとしても、自分で選んだもの。別れる、離れるっていう選択肢もありながら、一緒にいる環境を自分でつくりだしてる。
それに対して、子どもと親って関係は、妻と夫みたいな自分で選んだって意味とは違う、義務感をともなったものだという認識があります。
簡単に、関係をやめればいいとは、なれない。
その点で、妻とむすめを比べれば(正直比べる必要ないし、どっちも好き)、妻の方が好きという結論にいたります。
「義務感0でもほぼ常に一緒にいる人」=妻(実際には長年の関係による情みたいなものはあるでしょうが)、 「義務感がいくらかありながらほぼ常に一緒にいる人」=むすめ、っていう関係といえばいいでしょうか。
親が子どもを、この世に生み出すっていうのは、「暴力」的側面が少なからずあるという考え方を、僕はしています。
ここでの「暴力」は虐待とかではないです。
当人の意志ではなく、別の(ここでは親の)意志によって生み出されたということです。
子どもの意志ではない、子どもが進んで生まれようとした結果ではなく、親が性行為をした結果この世での生をスタートさせられてしまった。
僕はスピ的なものの許容量、とっても少ないので、「子どもは親を選んで生まれてくる」とかは信じていません(信じている方がいることはかまいません)。 そして、「暴力」って言葉については、仮に子どもが物心がついて、「生んでくれてありがとう!」って思ったとしても、あるものだという認識です。
子どもを育てている身として、「生んでくれてありがとう」「生きててよかった」と思ってもらえるとうれしいなとは思います。
それでも、どこまでいっても、生み出してしまった側の責任は、背負わざるをえない。
そういう点で、先日読んだ『哲学の誤配』の中の、責任についての、話は子を生み育てることについて示唆的だなと思います。
責任をグラデーションとして背負う、責任にある意味でダラシなく向き合う、ことをしないと、とても子どもを生んだり育てたりはできない。
責任に白か黒かでしか向き合えないとなると、とてもじゃないけど現代に、子どもなんて産めない。
それは、子どものためとかじゃなくて、育てる親の立場としてムリ!って思います。
少なくとも僕はそう感じます。
というわけで、長々書きましたが、
むすめが、妻と、僕との関係の間に、ある種の信頼関係を感じてくれているなら、
とってもうれしいという話でした!!!
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