とある適当性
20200821
「ダイヤモンドはダイヤモンドで磨く、人間は人間で磨くんだよ。」
大学院のおわりの建築旅行で、一度だけご一緒した先輩が言っていた。なぜだか妙に残っている。
この2日ほど、木を彫っている。
といっても、彫るいうか、ノコギリで切ってる。切りだしてる。
1日MAXで2時間以上、同じことをしないと決めているし、はじめたばかりなもんだから、遅々。進む。
どうモノになるかなんてわかりゃしない。
ただ、なんとなく、楽しい感じがビンビンしている。
彫刻、まあ知らない。
イサムノグチ、ブランクーシ、ミケランジェロって名前が浮かぶ程度。
木彫なら円空仏。そのくらい。
ただひとつだけ、彫刻の話でおもしろいなあとこびりついてエピソードがある。
“彫りおわる形態はその物質の中にすでにある。水の中に沈んでいる。彫る作業はその水を抜いていって、水面から姿が現れてくることだ。”
んなことを、ミケランジェロが言ったとかって話をどこかで聴いたか、目にしたか。
なんかかっけえなあと、思って覚えている。
木を切りながら、ミケランジェロのエピソードと、大学の時の先輩の言葉を、急におもいだす。
どうまとまるとかはないんですけど、おもいだしたんです。
話はもどって、彫るっていうけど、素材を磨いているだけなのかもしれない。
あるべき方向性にむかって。
…と書いて、あるべき、なんて言葉を使っちゃってツッコミがはいる。
僕は、べき論で、モノゴトを考える癖がある。
この1年ほど、意識的に、気づいてはバイバイしてる。べき、で動いていていいこと、自分にもまわりにも何もないなと。すくなくとも自分にとっては。
べき論。適当。
韻。ダジャレ。変換。
あるべき方向性、ではなくて。ある適当性
ある適当性にむかって磨くこと。
そんなことをフワフワ漂わせながら、彫刻を楽しみたい所存。