押しつける
20210206
娘の保育園のお迎えにいくのは楽しい。
お迎えのあと、30分〜1時間ほど、娘は娘の友だちと遊んでから帰る。
その時間、僕は彼女たちの遊びを共にする。
お呼びがかからなければ、30分強の体を動かす時間が手に入る。園庭のまわりを走ったり、ストレッチしたり、縄跳び跳んでボールを蹴る。
そうこうしながら、彼女たちがどういうふるまいをしてるのか眺めてる。
先日、一人の子が、「ルール守れないんだったら、仲間から出ていってもらうからね!」と言っていた。
おおお、そうか、と思った。このセリフは遊んでるときに、結構聴く。
遊んでる面々はだいたい4〜6歳。先の言葉がなんとなくわかる子もいれば、そんなことはどこ吹く風とケラケラ走り回ってる子もいる。
ルールを押し付けられるのはイヤだよなあと思う。
ってことは同時に、別の誰かも、僕のルールを押し付けられるのはイヤな可能性がある。
誰もが個であり、それぞれの時間の積み重ねをしてるがゆえに、それぞれのルールがきっとある。ルールは、文化であり、信念であり、当たり前を意味する。
誰かと誰か、何かと何か、が出逢う。ルールが違う。当たり前と当たり前が衝突する。
そのときに、そこにあった当たり前が、ガチガチなのか、しなやかなのかで、事態は大きく変わる。
すであった当たり前を固辞しようとするのか、出逢いをキッカケとして新しい当たり前をつくるのか。
新しい当たり前をつくる身体を手に入れるために日々精進よ!
と、偉そうに思いながら、妻と部屋の片付け具合についてぶつかる。そして自分のキレイさの基準を押しつけたくなる。
いつも隣にいる人とでこうなのだ。
誰かとそのつどのルールをつくるってのは、ずいぶんと難しいことである。
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