見出し画像

無茶と応援

20201105

無茶をしない。常にそこを意識してる。

それは自分の健康をおびやかさないことであり、ひいては妻と子どもの健康をおびやかさないことでもある。

ただ、組織やチームを念頭におくと、チームのためにこそ、無茶は前提にすべきではないと思う。

無茶をすることは、応援してもらえる可能性の芽を摘むこととイコールだから。

誰にどう応援してもらえるか。昨今の仕事というかビジネスのあり方からすると、外せないポイントだと思う。

例えば家庭と仕事。

仕事で無茶をしている人は、その無茶のしわ寄せが家庭にいく。

夫が仕事で無茶をする。夫の仕事での無茶を、家庭での妻の無茶でカバーする。妻の無茶が子に伝播する。

それを繰り返すうちに、家庭に給料を運んでくる夫には興味があっても、仕事で何をしてるかなんてことはどうでもよくなる。

こうして夫の所属する組織、その成果を応援する可能性が一人消える。

もしかしたら、最も熱烈に応援しあえたかもしれない関係性の芽を、無茶をする本人の意識か、無茶が当たり前になっている会社の慣習かで、摘んでしまう。詰み。

無茶のシワ寄せは、まわりに、特に身近な存在にこそいく。

家族をないがしろにする仕事をしてる人は、会社内で応援してもらえても、家庭からは応援されない。金は入れろと言われるだけ。

それは結果的に会社内のルールだけ円滑にまわるだけで、成果をみずから手放していってるのかなと思う。

たぶん心身、身体の中でも同じことが起こる。

そんな話を妻にしたら、

「私もあなたが前職ついてる時思ってたよ。会社の外見はええかっこしてて、大したこともしてないのに、家庭はないがしろにするスタンスは崩さないって思ってた。そんな気持ちだから、会社のやってることが好きなれなかった。給料もらえてたことだけは感謝してたよ。身体の、特に女性の身体の自由を解放するみたいなこと、対外的にはうたっておきながら、まわりというか身内にはそういう自由を平気で奪ってるなあって。」

会社がってより、妻や子ども、そして自分を意識できていない、僕自身の問題でございますね...。

言ってることとやってることが一致してるかを誰もがみてると...。

教えてもらえて感謝...。

いいなと思ったら応援しよう!