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とりあえず、なんとなく、ひたすら
20201112
このところ人とやりとりをしていて、自分「ありがとう」を連発してんなあと、自分で気になっている。
一年くらい前からだろうか、事あるごとに「ありがとう」という旨の発言をするようになった自覚がある。
とりあえず「ありがとう」。なんとなく「ありがとう」。ひたすら「ありがとう」。
別にすべてに感謝する聖人をめざしてるとかそんなことではない。
ただ、現実についての認識、その解像度を変えるために、とりあえず「ありがとう」からスタートするようにしてるんだと思う。
「ありがとう」は文字通り“有難い”。
今見えてるもの、聞こえたり触れられたりするもの。それらは、どこかのだれかのボタンのかけ違え一つで、自分の現実の中には現れていなかったかもしれない。
まわりと自分とのおかげで成り立っている、自分の現実の希少さを受けとめる。
それが結果的に、感謝って想いにいたればそれはそれでいい。
だれかのボタンのかけ違えで現実が変わるなら、逆に言えば、自分でボタンをかけなおせば現実は変わるはずだから、そのための起点にしたっていい。
いずれにせよ、現実ってものの希少さをまるっと受け容れるところために、まずは「ありがとう」って言葉からモノゴトをはじめようとしてる。
「ありがとう」は“感謝すること”よりも、その“ありがたさを認識すること”に重きがあるのだと個人的には思っている。