ラスボス
20200529
両親と絶縁した時、父親から手紙をもらった。
といっても、「絶縁やめるわ、ごめん、ありがと」っていう連絡をした時に、「手紙書いちゃったから送るわ」って話で、もらったものだった。
「あなたと同様、私にとっても、あなたのお母さんといるのは大変だ。
私にとっての人生のラスボスは、あなたのお母さんです。」
と書いてあった。
最初にみたときは笑った。そうか、父親はこんな文章を書くのか、とポジティブに驚いた。
そして後から、イヤイヤ何言うとんねん、と思った。
相手を変えようとすることほど、エネルギーの無駄遣いはないよなあと、僕は思っている。
自分が変わっていく中で、相手が変わっていって、結果的にwin-winならラッキーってぐらい。
相手に深くよりそった上で、相手を変えなきゃどうしようもやってらんないって思うくらいなら、離れた方がお互いのためだよなあと(逃げられない暴力みたいな非常事態とかは別)。
相対する2人は対等。
誰と誰であろうと、そうであってほしいと願ってる。
対等であるはずの2人が一緒にいるってことはお互いの了承がある、と思う。たとえどんなにイヤイヤだとしても(イヤイヤであることに気づいてないとしても)。
だから、「ラスボスが母親」って書いてあるのをみて、
「なんでやねん!ラスボスは親父、自分自身だろ!」と思った。
あなたが、あなたの妻とどう向き合うか、大事なところはそこだろ、と。
ひたすらにイヤなら離れればいい。その2人の関係の間に、縛るものは何もない。
子どものことなんて、解決策をしぼりだせばいい。子どもたちはとっくに成人してるのだから、別れたってどうこうない。
親の不仲をみて育った身としては、イヤイヤ一緒にいる環境はロクなものじゃないと思ってしまう。
イヤイヤでも、一緒にいると決めている間は、それぞれの自分自身のあり方が問われつづけるんだと思う。
その自分が選んだ状況で、どうふるまうのか。どうふるまいたいのか。
繰り返すけど、イヤなら逃げる。逃げられる環境、余裕ほど大事なものはないんじゃないかと思う。
逃げて落ち着いてた後に、もう一度考えてみる。一体、何から逃げたのか。何から逃げたのか考えないと、逃げた先でまた逃げたモノに出会ってしまうとも思っている。
とはいえ、まずは逃げる。逃げられるっていう心身の状況や環境が用意されていることはすごく大事だと思う。
僕がやっていること・やろうとしていることの一側面は、「逃げる」ことにある気がしている。
この「逃げる」ってことについて、唯一僕の中でうまくできないと思ってるのが、我が子だ。
僕の場合はむすめ。
生み出してしまったがゆえの対等でない関係が、「逃げる」って解決策ではうまくいかないような気にさせる。
話がそれた。
人生のラスボスは自分自身。どこかの段階でそうならざるを得なくなると、僕は思う。
父親がどうして、母親をラスボスと思ったのか。そのあたりのことはまだ聴いていない。
また、県外の移動ができるようになって、直接会えた時に、話を聴きたいなと思う。
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