ちがう時間が一皿で出会う
20201007
僕は、食感で、食事をしてる自覚がある。
うまい/まずいの好みはある。
スパイス料理をつくるの好きだから、香りも楽しんでるんだと思う。
ただ明確に、食感のよりごのみがだいぶある。一口の中に噛みごたえのバリエーションがあればあるだけうれしさが変わる。
毎日食べてるカレーにも、それを求めてつくる。
カレーっていうスパイス煮込+炒め料理に、つけあわせを必ず加える。
野菜の漬物だったり炒め物だったり。
それぞれをできるだけ違う食感にしたてることを意識する。
ふと、違う食感ってどういうことかなあと、気になる。
それで、ああ時間差だな、と思い至る。
異なる時間の出会いを、一口であり、一皿に用意しようとしてる。
それぞれの食材は違う時間をもってそこにある。
キャベツの時間やにんにくの時間、卵の時間。各食材にとっての適切な時間のかたまりが僕の手元にある。
くわえて調理にかかる時間もちがう。
調理は主には熱を加える。
熱は時間をかければかけるだけ形態がなくなる。汁の中なら溶けてなくなる。
ここでも状態をみきわめる。時間をさばく。
食材と調理、各々の時間が重なりあって、食卓にならぶ。
一皿であったり、複数のお皿やコース料理として。
以前、どなたかのスパイスカレーレシピで、「パウダーのスパイスは全体に溶ける。ホールのスパイスは噛んだ時に感じる。」みたいなことを読んだ覚えがある。
僕もスパイスの使い方としてはそれを意識してる。
効果効能や栄養素ってことより、口の中でどういう出会い方ができるか。
スパイスの使い方に留まらず、食への向き合い方自体が、どういう出会いがおきるかに集中してるんだなあと意識する。
一気に、自分の料理への関心が、書を書くことに近づくのを感じる。
一枚の紙の中に、いろんな身体の様子が出会う。体の軸と腕と呼吸とが、筆先の動きとして現れる。
書の先生が「一枚の半紙を一皿に見立てて書いてください」とよくおっしゃる。
書も料理も、それぞれの時間を尊重して、より繊細に扱える気がする。
「異なる時間が出会う場をデザインする」っていう問題が新しく見つかった気がしてワクワクする。