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暴力の波(信田さよ子『家族と国家は共謀する』)

20210527

僕は親との関係で何に苦しんできたのか。その連鎖として(って言葉は言い訳だけど)、僕が自分の子どもやまわりに対してどんなことをしてしまっているか、する恐れがあるか。

そんなことを、自分の肚に落ちた言葉でできるだけ丁寧に書いていた、書こうとしていた時期があった。およそ一年程前。

信田さよ子『家族と国家は共謀する』には、僕の拙い言葉の、大大大先輩みたいな言葉が並んでいた。

この本で初めて著者の信田さんのことを知ったわけですが、現場でさまざまな人と向き合ったからこそ綴れる言葉が溢れていた。

僕は、想像はできても、実際の女性の立場には立てない。この本の中に書かれている出来事についても、読むことしかできない。

ただ、女性のエピソードの数々に、震えた。文字通り、読みながら、ゾワゾワしっぱなしだった。

いつ何時、妻と娘と一緒にいる自分が、妻と娘に対して同じことをするかわからないと、顔が引き攣った。

序盤に、母親って存在に対して、鋭い批判を投げかける数少ない男性の一例として、鶴見俊輔が挙げられてるのも納得だった。

昨年『教育再定義への試み』を読みながら、鶴見俊輔の母親や子どもに対する眼差しが印象的だった。大正生まれで、男で、インテリで、平然というか時代の決まり事として、加害者の側にいてもおかしくない立場なのに、と思っていた。

とまあ、鶴見俊輔の話はさておいて、暴力の被害者/加害者、あるいは、暴力という関係性の中にいつ飛び込んでしまっているかわからないと危惧する方、ようはどなたでも、読んで損はないと思いました。

といっても、僕はまだ読み切っていない、フライングの感想を書いてしまいました。

この先の展開うんぬんじゃなくて、この言葉の波、いたるところある暴力の波に晒されるだけでも価値があると思って、

少なくとも僕にとっては価値があったと思って、書いてしまいました。

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