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なにかをやらないことの可能性

20200819

「バイオリンをやりたい」と娘のういが言い出したのが一年ほど前。

キッカケは『魔女の宅急便』のオーケストラの動画をみて。

妻のあすかも僕も、楽器を習ったりしたことなし。ましてやバイオリンなんてのはてんでわからない。

それでノロノロと教えてもらえるところを探して、スズキメソードにいきついた。

「バイオリンをやりはじめる前にまずは音楽教室からにしましょうか」とのことで、半年くらい通ってる。

この間、「バイオリンの練習をみてみたい」とのことだったので、そっかと先生などに相談しはじめた。

それで昨日、音楽教室があったのでバイオリンのことを話そうとすると、今はまだいいの!とのことになった。

どういう変化かはわからないけど、変わったらしい。

先生たちはすこし残念そうにしつつも、「本人のスイッチが入るまで待ってましょう」と見守ってくださってた。

ういがバイオリンをやるっていうの、とても楽しみな自分がいます。

バイオリンをやる中でういがどんな姿になっていくのか。それにバイオリンやってるって響きだけでカッコいい!

でも、バイオリンをやらなくても、とても楽しみでもある。

バイオリンをやらないってことは、バイオリンやるういとは別の、可能性に開かれたういが、そこにいるってことだから。

その可能性は何かを生産するとかではなくて。寝たきりになるかもしれないし、引きこもるのかもしれない。そういった社会的にネガティブな状態かどうかは二の次。

ういの存在が今と未来に開かれていること、そのことへの希望。

あなたの未来を誰よりも愛する、っていうのはそういうことかなと思う。

娘のおかげで、空(くう)ってこんなかなと、思いをはせられました。
THANKS!

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