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そっと留める
20211025
娘のういさんが動画の撮影をしていた。
よくみているYOUTUBEの真似事で、「はごろも将棋チャンネル」と名乗る。三脚にカメラを取り付け、大切にしてる植物たちの紹介とオススメをしている。
その姿勢にいたく感動する。
みる人がどういうことに関心があるだろうかってことを想像しつつ、自分が楽しんでることをおすそ分けする。
こんな言葉が使えるようになってるんだと、こちらが驚くような言い回しで、彼女の精一杯を自然とやってのける。
つい先日、自分で瞑想のオススメ動画を撮ってみたりして「全然ダメやな…」と思ってた身としては、娘の方が堂々とやり切ってることがよくわかる。
ういさんは植物屋さんと、将棋をしながら、ボードゲームカフェをやるのだと、目下の目標をよく口にする。
植物屋さんは「はごろもぐりーん」という名前で妻と一緒にスタートしてる。将棋は今のまま、ちまちまとやり続ければ、何かしらのライフワークになるのかもしれない。
彼女のチャンネル名は、植物と将棋(ボードゲームカフェ)っていう目標を自分で組み合わせてできていて、いつのまにか名付けていた。
僕は一応親で、近い距離感で彼女と生活してる。
僕の場所からみえる彼女は、力が脱けて、身の回りのモノゴトを楽しんでる。誰に言われたわけでもなく、ついついやりたくなっちゃうことを、損得勘定抜きでやってみてる。
時には妻や僕の力を借りて、その場の環境をつくりかえながら、奮闘してる。
僕たち親や、保育園の先生なんかの、まわりからのプレッシャーらしきはあるかもだけど、そういったモノからは極めて自由にみえる。
そんな様子をみてると、子どもの頃にその子が一人で何をしてたのかを、忘れない人がどこかにいることは大切なのかもなと思えてくる。
親でも、近所のおじさんおばさんでも、もちろん本人でも、誰でもいい。
「あの子はいつもボール蹴ってたわね」とか、「いつも歌ってた」とかはわかりやすい。もっと解像度高く、細かいこともあるはず。僕だったら幼少期、ジップロックにいれて冷凍してあったネギを、そのまま抱えて食べていた、とか。
現世の、大人の、社会の利益にがんじからめになっていない正体不明の動きが、子どもの所作にはきっとある。
それをそっと留めておく。
幼少期の子どもに、親ができることなんてのは、それくらいなのかもしれない。
この世をサバイブしていくための環境整備と作法の伝達。
それと並行して、その子にとっての、この世とは別の世界(=あの世)を大切にしておいてあげること。
そんなことを娘から教わっているような気がする。