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娘と父親

20210310

このところ、娘は声を張り上げる。

何かうまくいかないことがあったり、自分の意図していたこととは違う方向にモノゴトが進んだりすると、イライラを盛大にぶちまける。

その勢いと音量になかなかついていけない。

もうすぐ5歳になる人間の、声のボリュームってやつがそれまでの4年ほどと比べて大きくなっていて滅入ってるってことなのかもしれない。

にしても、イヤになる。

テレビのない我が家は、妻と娘と犬と僕の声以外に音はないから、その誰かの音が大きくなると、より鋭く気になる。

そして、彼女単体のあり方以上に、僕は妻と娘の関係に気を遣っている。

僕は何もさせてもらえなくなった。大声をあげて取り乱しているとき、彼女は明確に僕がコミュニケーションを取ろうと試みることを拒否する。こういったことは今までは、あまりなかった。

彼女に寄り添うことが許されるのは妻だけ。妻を呼び寄せ、そのもとでエネルギーを発散させている。

その場面に直面するたびに、妻が心配になる。妻の疲れ、溜まってきちゃってんなあと思いつつ、娘が落ち着きを取り戻すのを眺めて安心してもいる。

娘が僕を遠ざけるのは、日々の僕の行いの結果なのだろう。娘への関心の量の違いが、距離として現れる。

と、こう書きながら、いやもしかしてすでに父親ってモノとの関わり方が変わってきてるのか、と気になってくる。

普段のやりとり、その楽しみ方について、大きな変化は今のところなさそう。

でも、彼女自身では抑えられないナニカが湧き出ちゃってる時には、僕が直接触れられる距離はない。

僕は、自分が何もできないことに悲しくなっていた。妻が崩れて僕へその矛先がむかってくるのも嫌だった。だから、僕の彼女との関わり方を変えて、これまでと似た意思疎通を復活させようと企てていた。

でも、これは何か頑張ってるフリをして、彼女をこちらの意図する姿に変えようとする暴力が潜んでいたかもしれない。

彼女の意志を受け容れることから、娘と父親である僕のあり方ははじまる。

彼女は、距離を取りたいっていう意志は明確に発してる。

そこにある彼女の姿勢をないがしろにしたままに、自分にとって都合のいいアクションを起こすことが、ここでは無自覚な暴力になりうることにビビる。

この無自覚さ、その連続が、娘と父親ってやつの距離をどうしようもなく隔ててしまう。

というか、同じ位相にいられなくなってしまうのかもしれないと、戦慄する。

娘が生まれてから、子育てってモノに翻弄させてもらってる。そこに、異性っていう新しい間柄が出現しようとしてるのかもしれない。

風がお互いの間を吹き抜ける兆しを、無視せず、失敗を恐れず、キャッチしたいものです。

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