専門とは
20200810
「何をご専門にされてるんですか?」
初対面の人と会うたびに、「専門とは何だ」って壁にぶちあたる。
妻にきいてみる。
「自称する肩書きってどうやって決めるの?」
「なんとなく。いつもやってることというか。」
「それだと、やっぱりコレって決めれないんだよね。言葉もつくるし、書もかくし、瞑想も教えるし、料理もする。あすかとういとナンとの生活もある。なにより自分の生を満喫するってこと。」
「そうだねえ。まあ一般的には金銭が発生する瞬間を肩書きというか専門として言うのかなあ。」
「それだと現状どれも金銭うまれてないから肩書きなしかな。でも、将来的に全部金銭に変換されることは決まってるから、やっぱり全部なんだよなあ。」
ってな会話をする。
日々やってることでいえば、生きてるすべての時間を尊くてありがたいものだとおもってるから、部分をえらべない。
かつ、金銭が生まれるってことであれば、すべて金銭になる。まあ勝手にどうにかなる。し、する。
となると、自分自身の生活すべてを名指すことが、肩書きになる。
それを包括して何か名付けるなら何だろうと思うのだけど、すでにある言葉で一番近いのは“作家”だろうか。
文字通り、“家を作る人”。
執筆業って側面ではなくて。家っていう物理空間も遠い。
あくまで、個々の存在の尊厳にフォーカスした情報空間、みたいなのものを“家”って呼ぼうとしてるだけ。
安全安心の場でもあるし、自ら危機をつくることもできる。
その“家”を、壊したり作ったりする。その手伝いをする。そういう人。
まあ、いろんなことの結果がついてくれば、勝手になにかに落ちつくだろう。
ただ、しっくりくる肩書きはずっと探すことでしょう。