甘くないワガママ
20210109
唐突に、あれ僕って娘を甘やかしてるだけだったりする?、と自分に問う。
できるだけ彼女が彼女のままでいられるように、直接的にも間接的にも暴力を振るわないことを、日々意識はしてる。明確な攻撃をしないことはもちろんとして、こちらの思い通りにしようという制限を限りなく加えないように。
それが結果的に甘やかせてたりするのかなと気になる。
いやそもそも、甘やかせるってことが悪いことなのかもと、自分で思っているのかもよくわらかない。
甘やかすっことにくっついてきそうなのは、ワガママってモノだったりするのだろうけど、それだって果たして何かダメなのか。
ワガママをダメなこととするときの対は、協調性とか空気を読むとかかなあなと思う。
それらが是とされる世界線にいればそうなのだけど、それだって所詮、社会的な流行の一種であって、明日にはどうなるかわかったもんじゃない。
ただただ多数派でいようとする態度、多数派の是こそを正解として選んでおけばいいでしょつていう姿勢が、自分の中にまだまだあるなあと感じる。
マイノリティであろうとするような天邪鬼なのではなくって。
生きながら(あるいは死にながら)におのずと生まれる身体、そんな他者たる我が身と向き合おうとしてる。
そんなあり方のために、自分にも、そして娘にも、制限を設けずにいたいと思っている。
その結果、ワガママたれと言っちゃってんだなと、今更気づく。
単純に甘やかしてるような気がしないのは、妻も僕も、娘と対等にワガママであろうしてるからだろう。
決して甘くないワガママ。ワガママ同士の、真剣なつばぜり合いがそこにはある。
なんせ今年の書初め、妻が「唯我独尊」、僕が「独楽」なのだった。
よくもまあそんな奴らが家庭を成してる。いやそんな奴らだからこそ集団でいられるのかもしれない。
自分で自分を甘やかせてる奴だけが、他者のことを甘やかせられるんだろうなあ、とはなんとなく想う。
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