
よくわからない
20210906
昨日パン屋さんに行った。
なんだかいい具合にくたびれた店内で、かといって不潔なわけでもなく、ちょうどいいようなお店だった。味も素朴で苦しゅうない。
妻も僕もほとんど外食ができない身体になってきてしまった。食べると身体が重くなって大抵後悔する。
そんなわけで、身構えることなく立ち寄れる飲食店っていうのは、とてもありがたくある。とかいいつつ、僕は軽食ならマクドナルドも食べれたりするわけですが。
半年くらい前、妻の鍼灸院と、僕の瞑想稽古場myb(まいびー)の、ホームページをつくっていた。
そのとき、できるだけシュッとさせないように、と想っていたことを、パン屋さんで思い出した。
https://note.com/karamawarikukai/n/n9d0fa3120a2d
オシャレさや洗練さは窮屈さを生むんだと思う。というか、人を選ぶ。
いや、どんな姿形をしていたって相性はあるから、人を選んでいると言えはする。
ただその視界に捉えようとしてる方向性が、より権力に結びつきやすいのではないか。そんなことが気になってしまう。
その場の空気に見合った存在でないといられないような。時代の潮流としての、それと意識することのないマジョリティ。無意識のもとでの排除の力学。
オシャレも洗練もすばらしいのと同時に、そうではないかもしれない存在たちもすばらしくありたい。
よくわからないことが、よくわからないままに、いられるように。
そんなことを念頭において、ホームページをつくっていたのだった。
そして、今、瞑想稽古場mybのあり方や、改修中の家、今度出店するカレー屋さんは、そうあれているだろうかと、想い巡らす。
無駄に気負う必要なんてないんだってことに安心する。カッコつける必要はどこにもない。
というか、カッコつけるための決断にろくなことはない。
それと同時に、できることだらけなことに、身体踊る。
18歳の、パン屋さんの、教え。