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親になってしまう者

20201024

目の前にいる誰もが“子ども”をもつ可能性がある。

そういう可能性を念頭におきながら、いろんな存在に向き合おうとしてる自分がいる。

ここでの“子ども”は血のつながりだけを指すわけでもないし、人間に限定されるモノでもない。

力の流れが一方向へ限定されやすい強者と弱者の関係、その弱者を“子ども”と呼ぼうとしている。

すでに持っているか、これから持つか。それはわからないけれど、誰もが“子ども”を持つ可能性がある。

強者としての“親”と弱者としての“子ども”。

「“親”にはなってしまうものだ」と思う。アクシデントとして“親”になる。“親”になった後、その立場をどうするかはそれぞれの対処でかまわないけど、なってしまうことには変わりがない。

その“親”になった瞬間に、“親”の身体の中にどれだけ毒が宿ってしまっているかが気になる。

それが気になるから、目の前の相手を“親”になる可能性があるモノとして、“子ども”を持つ可能性があるモノとして、見ようとしてる。

“親”に宿った毒が“子ども”を侵す。

お互いのために、そんなことができるだけないといいなあと思う。

そんな意識から、相手の毒が気になるし、自分が相手に毒を埋め込まないよう気にする。

我が子を持ってしまったゆえの偏愛ないし弊害かもしれないし、自分と親との関係によるものかもしれない。

“親”と“子ども”の接続部、そのディテールを繊細につくっていきたい。

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