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華麗なる分業のための孤独
20200904
昨日朝ごはんで食卓についているとき、娘のういが妻に言う。
「隣に来ちゃダメ!いま一人でいる練習してるの!」
娘への対応ってことをかえりみると、体力がついていく限りに、甘やかしてきた自負がある。たぶんそれは妻も(というか体力的にははるかに妻への負担が大きかった)。
甘やかすというか、娘を認めるように意識していた。
こちらの都合で娘の都合を、できうる限り押さえつけない。
お互いに自立した、対等な人間関係で、そこにいる。
親子の関係で、いつもwin-winっていうのはめちゃめちゃ難しい。というか、ほとんど不可能に近い。
できるだけwin-winな方向になるよう意思疎通してきた。つもり。
人のあり方とでも言えるのは、一人/家庭/仕事(=社会)って3種類くらいに分けられるのかなと思う。国家っていう幻想をいれたほうがいいかはなんともいえない。
別に3種類全部を完璧にする必要があるとは思わない。
そのうち、すくなくとも、一人でいるってことを満喫できるかは、自立ってうえでもっともベーシックだと考える。
別に他人に頼らないとかではない。そんなことは不可能。
華麗なる分業のための圧倒的孤独。遊び味わう。
制御不可、訳のわからない存在としての娘を受け容れながら、個々が独立していることを、夫婦ともども姿でみせられてるかなどうかな、と悩む日々。
そんな中で自分から「一人になる!」って言い出したのは初めてだったので、うれしかった。
『魔女の宅急便』のキキは13歳でひとり立ちをする。
娘もそうだと言い張ってる。
昨日の出来事をみて、これはもしかしたら相当に親の手を離れるの早いのかもと、妄想する。
あーだこーだとみずからの主張を貫き通しながら、じゃれあってくれる娘との時間には限りがあることをおもいだす。
ありがたいことだと、手放しでありがたがれるかと言うと、んなこたあない。
もう勘弁してくださいってことが、ぎょーさんある。
自分の利害の外、関心の外として、ふるまってくれる存在。
一番近いそれが、僕の場合は、娘であり、妻なんだと再認識する。