過去から未来へ
私は8歳の頃から不定期に未来の自分への手紙「タイムレター」を書いている。どうして書くようになったのかは定かではないけれど、「6年生の私へ」だったり「高3の私へ」「20歳の私へ」だったり。何か節目を迎えた自分に対して今の思いの丈であるとか、将来の自分の予想が綴られていたりする。
一昨年、20歳を迎えて私は「20歳の私へ」という封筒の封を開けた。この中には5年生と、中学1年生と、大学1年生の私からの手紙が入っている。一番気になったのは最も古い5年生の私からの手紙であった。というのも、一番最初の…小学2年生の私が6年生の私に向けたタイムレターには自分の境遇を「ふこう」と称し存在を「いらない」と形容する、呪いの言葉がぶちまかれていたためである。それから3年が経っているがあまり自分に対する姿勢は変わっていないだろう、どうせ私に対する暴言や批判が書かれているんだろうと思っていた。
手紙の内容は決して人に見せないのだが、このnoteを見つけてくれたお礼に一部を見せようと思う。
私は驚いた。小学2年生の私は今の自分も未来の自分も呪っていたのに、小学5年生の私は未来の自分は「今のおこないできまる」とし、「おまじないをかけてください」と言っているのである。未来を前向きに考えている。
「五年生になってからまだ2かげつほどしかたっていない」の記述から、私はこの時希望に満ち溢れていたのだなと思う。転校をして、周りの環境がガラッと変わってすぐのことだったから。これからクラスの男子にいじめられたり、委員会の度に腹痛になったりするのだけれど、前向きに、これからの人生を生きようとしていた様子が伝わってきた。
次は中学1年生の私からの手紙だ。
誤字が酷いが、中学1年生の私もまた未来の私へ向けたエールを送っていた。こっちは「6年生の私へ」を読んだ後であるから、そうだろう。
小学5年生の私のようにおまじないをかけてと頼らないあたり、少しずつ自律した精神が芽生え始めていたのではないかと思う。
この後も部活がうまくいかなかったりするが、先輩に囲まれ成長する中、充実していたようだ。
そして、最後は大学一年生の私からの手紙。さすがに現在に近いので、色々なことが書いてあった。
昔の私より、当たり前だが、私への理解を深め寄り添うような文章を書いているなと感じる。高校の頃までの私は頑張ればできるようにならないことなんてないと思ってひたすら自分を鼓舞してがむしゃらに挫折していっていた。年を重ね様々なことを知るうちにそういう自分への期待が落ち込んでいったのだと思う。
私はこの3つの手紙を読んだときはふいに涙を流してしまった。
苦しい日常の中にも希望を見据えていた自分がいたことを忘れてしまっていた。それが悔しかったし、不甲斐なかった。でも過去の私はきっとそれを予想していたんだろう。苦しくても、ひとりでも頑張って生きようねと優しく背中を押されているような気がした。
私は手紙の中でどう変わっていくのだろうか。
少しずつ成長できていけるだろうか。
まだ私はこれから「社会人になった私へ」と「30歳の私へ」の手紙を残している。「30歳の」の方にはこれからも不定期に書いて追加していきたい。
また未来の私をそっと励ますために。