ノースフェイス警察
あなたはノースフェイス、というブランドの製品を持っているだろうか。
正確にはザ・ノース・フェイス。冬になると、ノースフェイスのジャケットやブーツを身につけている人をよく見かける。それらの製品は普通に買おうと思えば1品1万円は確実に超えるだろう。
私は、私の家族は貧乏であるから、そんなブランドとは無縁な生活を送ってきた。
最近、母がノースフェイスを見かけるたびにやかましい。
大人がノースフェイスを身につけているのを見れば「そんなのを買うお金と余裕があるんだね」と宣い、若者が身につけているのを見れば「ノースフェイスなんかを簡単に買ってくれる親がいるんだね」と零す。
そして、「私もパパ(母の夫、私の父を指す)なんかと結婚しなければノースフェイスなんて普通に着られていたのかな」だ。
母が通勤時にノースフェイスを見かけるたびに言うものだから、やめてほしいと言ってしまった。
言われる度に己の存在を否定されているような気がして堪らない。
私は"できちゃった婚"の"できちゃった"子供だから。
お金がないのは子供が三人もいるくせに父が借金を作るからで間違いないけれど、それを言って何の意味があるんだろう。
他人を羨んだ所でノースフェイスが買えるわけじゃないし、別に特段欲しくもないでしょう。
そんなに言うなら産まなきゃよかったのに。
別にそんなことを意図しては言ってないんだろうが、まるで暗に「お前なんかがいなければ」言われているようでひどく悲しくなる。
更年期に入って母は変わった。
友人とショッピングに行っては「値段が高いとかわいいものをかわいいと思えない」「友達は簡単に買おうとするけど私は無理。あーあ、ああいう高いものを当たり前に仕事帰りに買って食べたりしてるんだろうなぁ」とか、私が友人の話をすれば「やっぱりお金持ちは違うね」だとか、海外旅行の話になれば「結婚してから海外旅行に行けなくなった。もっと行きたかった」だとか、
父は「理解のある人間」をやってくれないので、全部子供たちに言うのだ。
そうして死ぬときには「お金があればもっといい人生が送れたのになぁ」とでも言うんだろうか。
うんざりだ。
1つ思いついたことがある。
社会に出たら、初任給でノースフェイス製品をいくつか買ってやるのはどうだろうか。
しばらく帰省するつもりはないので、郵送で贈る。
そうして、"娘が初任給で買ってくれた"、"幸せなお金持ちの象徴である"ノースフェイスを着て、
あなたは幸せになれましたか?と問うてやりたい。
読者には、性格が悪いと思われただろうか。
私は、
今まで、少しずつ少しずつ食わされてきた毒を、
思い描く歪な幸せの形を実現してあげることで真っ向から否定したいのだ。
もっと他の幸せの形をあなたは望んでいるのではないかと。
意見があれば、教えてほしい。