毒弟についての考察
注意
読んでも楽しくないと思います。
人間の相互作用だったり人格形成に興味がある人は、興味深く読める可能性は、ある、かも、しれません。
基本的に人間の暗部に触れるため、ずっと暗いです。
それでもよければ、どうぞ。
私と弟は、2人を合わせて半分の性格であったらちょうどよかったのに。
母の昔からの口癖です。
結論から言いますと、私の弟は人の気持ちを考えたり、人の心を察して動いたりする能力を著しく欠いています。そのため、人の言葉を言葉のままに受け取ってしまいます。その言葉に相手はどれだけ本気なのか、その裏に相手のどんな気持ちが隠されているのかを想像することができないのです。
また、自分が楽しいと思うことに対する自制が出来ず、そのために日常的なあれこれを疎かにしたり、他人に自分が望むことを強いたりします。
私と弟が生まれ育った環境からお話していこうと思います。
私たちは裕福とはいえない家庭に生まれました。幼少の頃は父は運送会社に努めており、母は事務をしていましたが育休のため辞めて専業主婦、借家で暮らしていました。
父は農家の家庭であり、母は跡継ぎとなる男の子を産むことを望まれていました。
しかし、最初に生まれた私は女の子。母は父の母に男の子を早く産みなさいとしつこく言われていたようです。
そうして産まれたのが問題の弟です。その数年後、農家である祖父が病に倒れたことをきっかけに私たち家族は父の実家で同居するようになりました。やっと跡継ぎが産まれたことに喜んだ父一家は弟を溺愛し、食べたいものは食べさせ、欲しいものは買ってあげる。そんな生活を送らせていたようです。父だけは、私も平等に愛してくれていたようですが。
母は、私と、そして自分自身も蔑まれるような環境に耐えかね、私が小学一年生の秋に父方の家を出て、家を借りました。
あのまま父の実家で過ごしていれば私はきっと今よりも歪んだ人間になっていたと思うので、この行動については母には感謝をしても仕切れないと感じています。
まぁ、新しい地獄の始まりに過ぎなかったのですが。
私は新天地で順当に生育していきましたが、幼稚園を卒園し小学生低学年になった弟は学校で頻繁に問題を起こすようになりました。友達のものを盗ったり、喧嘩になると怪我をさせたり。友達の親への謝罪や先生とのあれこれで忙しくなり、母は疲弊していました。
それに加え、父の借金が判明しました。
父は昔からパチンコに依存しており、働くようになってからも仕事の間を縫って通い、お金を落としていました。事が発覚したときには借金は100万ほどに膨れ上がっていました。
結婚前からそういったことは頻繁にあったらしく、その時は父の両親が尻拭いをしていましたが、それによって金銭感覚がズレてしまったのでしょう。結婚したんだからもうお前の尻は拭わないよと言われ、苦しい生活の中母はなんとかお金を捻出し、借金を帳消しにしました。
これらのことから母は大いに疲弊し、ここで一度弟のことを諦め、自由にさせてしまったと母は後に話しました。お菓子を分けるにしても全てを欲しがる弟を優先し、私には我慢を強いていました。
思えばこの頃から、弟の自分のやりたいことは我慢できず、何を犠牲にしてもやる、という性格が形成されていったのだと思います。
その後私たち一家は家を買い、また新天地へと引越しました。母はパートを始めました。私は中学校へ進級し、弟は小学校でまた度々問題を起こしながらも、中学生になっていきました。
そして、さらに弟が生まれました(以下、末弟とします)。家庭はまたさらに賑やかになっていきました。
ここまで特に問題はなかったのです。弟は成長につれ大きな揉め事もなくなっていき、父の借金もなく、末弟が大きくなれば母は本格的に事務の仕事を再開していきました。私ものうのうと生きることができてしまっていました。
歯車は、弟が高等専門学校に進学してから狂っていきました。
この頃私は高校生、末弟は小学生でした。高等専門学校は5年制で、3年生までは通常の高校に進学した人と同様に高校生として扱うべきだし、高校生としてのルール(例えば帰宅時間など)に合わせるべきであるというのが両親の基本的な考えでした。しかし、5年制で大学生とほとんど同じくらい自由な生活を送る先輩に触れることができたことや、校則が壊滅的に緩かったことで、持ち前の物怖じのしなさを活かして弟は交友関係を広げていき、所謂「悪い先輩」と交流をもつようになりました。
弟は最低限の真面目さは持ち合わせていましたので、学業は誤魔化しながらも留年するようなことはしませんでしたし、校則や法を逸脱するような馬鹿らしいことはしませんでした。
しかし、物を言葉通り受け取る弟には、前述した「3年生までは通常の高校に進学した人と同様に高校生として扱い、そのルールに合わせるべき」という家の独自ルールが理解できなかったのです。
例えば、高等専門学校には髪の色やピアスの制限がありませんでした。しかし他の高校に進学した友人はもちろんそれを許されてはいません。そういう人と進学して交友が途絶えたわけではありませんでしたし、その人たちに悪い影響を与えないように4年生になるまでは我慢してほしいというのが両親の意見でしたが、それは「高等専門学校のルール」には無いこと。校則では制限されてないのになぜダメなのかと弟は反発し、独断で髪を染め、耳に穴を開けました。未成年だというのに飲酒も喫煙もするようになりました。
「悪い先輩」と交流する中で夜の遊びも増え、帰宅時間は深夜になりました。相手の気持ちを察することができない弟は既に寝静まった家でもドタドタと大きな音を立てながら帰宅、入浴、動画のイヤホン無しでの視聴、イヤホン無しでのパソコンゲーム、大声での通話などをするようになりました。勿論私たちの睡眠は阻害されていきます。
また、帰宅が遅くなったことにより、ペットの掃除当番が疎かに、ゲームや動画・友人との通話など楽しいことを優先するために皿を洗う、洗濯物を出す、掃除をする、などといった基本的なことがどんどん抜けていきました。
それに不満を持った私たちが改善を求めても、どこで培ったのかわからない自分の都合のよい所だけ解釈する聞き方、議論の穴を見つけたらそこを徹底的に突いて話題をそらす、絶対に自分が悪いと思わない、といった巧みなレスポンスを駆使しなんの改善も施さない始末。かつ、「俺は頑張っているのに何故かわからないけどできない」。
だんだんと私たち家族の心は弟から離れていきました。
朝起きられない原因は明確。夜中までゲームをしているから。
ペットの掃除ができないのは明確。夜遅くに帰ってくるから。
それぞれ、ゲームを控えるだとか、代わりにやってくれる家族に感謝を伝え、できるときに代わるだとか、いくらでも良好な関係を保つ方法はありますよね?
でもそれが、私の弟には全く考えられないのです。
楽しいことは絶対にやりたいし、できないことはできない。改善策なんてわからない(考えようとしない)のです。
仕舞いに言葉をそのまま受け取る性質のため、弟の暴挙に耐えかねた私が「お前なんか私の弟じゃない」と一度、数年前に言ったら、「お前昔そういうことを言っただろう。俺は傷ついた。謝れ。」と議論の度に引き合いに出しては擦り続けてきます。「そう言われたから、俺もお前を姉とは思わないことにした」と。
そう言われるようになったのは自分の行動がまず問題であるというのに、それを説明してもわからないんです。俺の気持ちを傷つけた方が絶対的に悪なんです。自分の今までの行動で傷ついてきた私たち家族の気持ちは考えられないんです。
もっと人の気持ちを考えるようにしなさい、もっと周りを見るようにしなさいと言っても、「俺にはわからない」「説明して」の繰り返し。自分なりに考えてみるということがまず思いつかないんです。
こちらの気持ちを表明し具体的な改善策を提示した後の「わかった。今度からそうする」という言葉をもう何度聞いたでしょうか。
感極まって私や母が涙を零しても「泣くほどのことじゃないでしょ」「なんで泣いてんの」。
世の中、どうしても相容れない人間はいると思います。そんな人間と上手に付き合っていくのが大人でしょうし、リソースを割くべきではないでしょう。
それが身内であることが私たち家族の不幸だったのだと思います。
訂正すると、父はこのことに無関心であるし末弟はもう日常茶飯事として受け入れているし弟は末弟を唯一の味方だと思っているので、実際苦しんでいるのは私と母だけなのですが。
振り返ってみると、同じ家庭で生きていても、こんなにも周りからの扱い、家庭外の環境、触れるコンテンツが違うと真逆の人間に成り果ててしまうのかと感じます。
望まれない出生。弟のために強いられた我慢。「普通」の教育。自分よりも他人を優先する私と
望まれた出生。期待と諦めから与えられた自由。
放任主義の教育。自分の幸せが絶対優先の弟。
どっちが幸せとかはないと思います
この地獄の中で息をするしかないんだと思います
ただ、末弟のことだけが心配です。
母に言っても「大丈夫じゃないけど大丈夫だよ」と言って何も考えていませんし、末弟本人は難しい問題について考える能力を欠如させています。父はまた借金をして私たち家族に強いことは何も言えないし、弟は結局自分が一番大事。
齢20を越えてやっと、とうの昔から私の家族は崩壊していたのだなとわかりました。
せめて私は人間としてずっと思考し続けていたいし、弟以外の家族は助けたいとも考えているのですが、案外、私の方が間違っているのかもしれません。
最近、弟は未成年喫煙で補導されたそうですし、そのうち薬でもやったり人を傷つけたりで加害者家族にならないかだけが心配です。
もう、そんな人間の家族である時点で終わってしまっているのかもしれませんが…。
これを読まれた方は私たちのようにならないように、親であれば子供のことを全員平等に、諦めずに考えてあげてほしいし、子供であれば自分の行動を客観的に考え、家族と良好な関係性を保ち続けて欲しいと思います。
以上、稚拙でしたし、気分を悪くされたかもしれませんが、ここまで読んで下さってありがとうございました。
家族の問題と就職活動でかなり心を蝕まれているのですが、家を出ることをモチベーションに頑張って生きたいと思います。