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「懐の豊かさは心の豊かさ」は的を得てはいる

裕福さは人の視野を広げ、他の人に目を向け手を差し出す余裕を生むが、貧しさは人の視野を狭め、自分を守ることに精一杯になり時に他人を傷つけてしまう。
このことを私は最近学んでいる、という話をする。

発端は忘れてしまったが、最近強く感じたきっかけは、一年半ぶりに旧知の仲の友達と話をしたことである。
彼女は私と同じ大学の、医学部に所属している。医者の家系に生まれたでもないのに、己の野望を実現せんがために困難と言われる現役合格を実現せしめた偉大な人物だ。同じ大学かつ同郷の人間はお互いにお互いのみしかいないので、時折会って長話をするということを不定期にしていた。今回は私にも彼女にも色々あって一年半の時間が空いてしまったが久しぶりに逢うことができ、そのブランクを埋めるように日がな一日喋り倒した。

互いの近況報告の中で、私は彼女が医者の道を志したきっかけについて詳しく知ることができた。彼女のために詳細は伏せるが、しっかり自分の頭で考え、他の医大生を見ながら自分に出来ることはなにか、自分にしかできないことは何かを考えて道を選び進んでいた。思考回路は私とちょっと似ていて一瞬の親近感を抱いたが、そのために特殊な団体に所属したりボランティアに奔走していたりと私の思考回路では到底実現しないことをやってのけているのだから、やっぱり彼女は凄い。
私のやりたいと思っていることも、分野こそ違うものの似ているものだった。だが私は大学では学ぶばかりで、ボランティアなどと具体的な行動は起こしていなかった。そもそも私にとって労働は給与が発生するからこそギリギリのバイタリティを持ってなんとか行えているものであるし、自分のことに手一杯で他の人のために頑張るなんてことはできる気がしていない。どうして彼女は、自身が志す道の現状を知るためという理由だけで片っ端からボランティアの応募を探し、参加したいと飛び込むことができるのだろうか…。尊敬の念しか抱けない。自分とちょっと似ていて、自分にはない思考をもつ彼女の話はこの話題に限らずいつも鮮烈であるから、彼女との会話は私をいつもわくわくさせてくれるし、成長させてくれるのだ。
(彼女のどこが私とちょっと似ているのかについては、またどこかで書けたらいいなと思う。)

彼女との刺激的な対談を終え、ちょっといい気分になりながら帰宅した私を待っていたのは母だった。私は母に医大生の彼女から医学を学ぶ目的を聞かせてもらったこと、彼女がそのためにボランティアをしていることを簡潔に話した。
その会話の中で、(自分のやりたいことに活かすために)ボランティアをしているだなんてすごいなぁ。と溢した時だ。
母は、「やればよかったじゃない」と返し、こう続けた。
「でもボランティアなんて、お金のある人がやることでしょう?あづさはお金が無いから、そんなことできないよ」と。

言葉足らずではあったが、私は自分もボランティアをやりたかったからボランティアをやっている彼女をすごいと言った訳ではなかった。自分の目的のために学ぶきっかけとして選び、行動しているそのバイタリティを称賛していたのである。でも母には、「ボランティアをするなんて、さすがお金を持ってて余裕がある医大生は違うなぁ。私も裕福で他人のことを気遣う余裕があったら、ボランティアをやったのになぁ。」という風に聞こえたらしかった。
これが、貧しさであるのだなと愕然とした。
私の友人の努力を、「懐が豊かで他の人を見る余裕があるから金持ちの道楽としてやっていること」と形容されたことが腹立たしくなった。
すぐにそういうわけではないと言い返し、どうしてそんな貧しい、つまらないことを言うのかと非難した。すると母は「だって私は親に愛されて育ってないもの。貧しい暮らししかしてないもの。」と言った。

だからといって娘の友人の行動を色眼鏡で見てよいものか。金持ちの道楽と一蹴してよいものか。答えは明確に、ノーである。

でも、わからない訳ではなかった。
私も同じことを何回も考えたことがあるから。

私の家は、他の家と比べるとかなり貧しい方らしい。
そこに加えて父が借金を重ねるものだから、それが発覚した2年前、大学2年の夏の頃には、私はだいぶおかしくなっていたと思う。慢性的な鬱の状態が続いていた。
(私の家族関係についてはこちらの記事に詳しく書かれている。)

このまま一家離散するかもしれないということを匂わせられたり、父を信じられなくなったり、それでも弟は自分勝手に行動していたり。借金のことを直接言ってしまうとショックを受けるだろうからと母と相談して、言わずにおいていた末弟だって、守ろうとしていたのに結局やさぐれた母が零してしまい、家の暗い側面を思春期の少年に真正面から押し付けるようなことをしてしまった。
結局生活環境ががらりと変わってしまうようなことには至らなかったが、今まで続いていた関係性は確実に崩壊していて、大きな借金を悪びれながらも膨らませ隠していた父や、大きなショックを受けたとはいえ毎日ヘラって子供に理解を求めようとする母のことは一切信用できなくなった。もう成人したし、自分でこの状況の中どうにか生きていくしかないと頭ではわかっていてもやっぱりショックだったし、なかなか立ち直れなかった。毎週に一回は枕を濡らしていたし、電車を待つたびにホームに飛び降りる自分を想像した。大学のカウンセラーに相談しようかと申し込み手前まで進んだこともあった。気のおけない友人には何度も泣きついて迷惑をかけた。
大学の友人はみんな大学生活を楽しんでいるのに、私だけが家族の問題で苦しんでいる。余裕がなくて、夜遅くの遊びやサークルに誘われても断ることが多かった。心が確実に疲れていた。あんな家に帰りたくないけど、心休まる唯一の場所である自分の部屋には帰らないと入れないわけで。それに問題から目を背け家に帰らなくなったことでさらに拗れてしまった問題を私はよく知っていた。帰りたくないという思いと帰りたい思いがぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた心を授業や遊びで紛らわせながらなんとか笑顔を保っても、ひとりの夜はいつも苦しかった。
家が貧しくなったから、母が貧しくなって、それに心悩ませる私も貧しくなった。
一方、余裕のある友人たちは大学でしかできないことを存分に楽しんでいる。彼らは私にはない視点を持っていて、その視点もまた、裕福だからこそ広がったもので…。

お金さえ豊かなら、豊かでいられたのか?
もし豊かな環境に生まれたならば、私はもっと自分を好きになれていたし、バイタリティを持って沢山の経験ができていたんじゃないか?
やりたいことを、素直にやれていたんじゃないか?
挙げ句には、そんな風に考えてしまうことも多々あった。
振り返れば、これはただ変えることのできない自分の環境を呪って他人の環境を羨んでいる生産性のないものだ。
今でこそこれほど極端な考え方はしていないが、環境がその後の行動やそれに基づく範囲の幅を広げることは、確かに事実ではあったのだ。実際、私はそうなったことがあったし、豊かな人は、豊かであるのだから。

でも、それを言い訳にしてはいけない。
うずくまって、呪っているだけでは時間の無駄で、
そのうち自分を気にかけてくれる人すら傷つけ遠ざけてしまう。
貧しくとも、豊かな人ほど豊かにはなれずとも、
貧しさを言い訳に貧しいままの人間にはなりたくない。
これから豊かになっていけばいい。
医大生の友人のように、自分のために働き、自分のために動く生活を、独り立ちをしたら送っていきたいなと思っている。
私にも何かを成せる時が来るだろうか。


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