雪かき仕事のネットワーク
1.積雪と雪かき
ここ数年、「大雪により高速道路で車が数十台立ち往生」といったニュースを目にすることが増えたような気がします。
私は東京に住んでいるので大雪が降ることは滅多にありませんが、それでも数年に一度くらいはしっかり降って十センチほど積もることもあります。
積雪十センチなんて、雪の多い地域の方からすれば微々たるものかも知れませんが、滅多に雪の降らない東京においては十分な大雪で、交通機関のダイヤが大幅に乱れたり、転倒事故が起きたりと大騒ぎになります。
特に雪が降った翌日の朝などは、溶けた雪が凍ってアイスバーンができていたりするので、歩いていてヒヤッとすることがよくあります。
ですから雪かきしてある道が続いているとホントにホッとして、心の中で「雪かきしてくれた人、ありがとう~」と感謝しながら歩いています。
マンションに引っ越してからはあまりすることがなくなりましたが、以前は私も雪が降るとスコップを持って外に出てガリガリと雪かきをしていました。
雪かき仕事は夜のうちにやっておくと次の日が楽なので、夜中にしんしんと降る雪の中、えいやっと気合いを入れて外に出て、一人で雪かきをすることもありましたが、朝早く、街のあちこちから聞こえてくるガリガリという音を聞きながら雪かきをするのも、何となく連帯感のようなものを感じられて好きでした。
2.雪かき仕事は「良い仕事」
思えば雪かき仕事というのは、なかなか「良い仕事」です。
雪かき仕事というものは、いわゆるお金を稼ぐ仕事ではありません。そして誰かがやらなくてはなりませんが、でも究極のところ誰もやらなくても良いのです。
豪雪地帯なら話は変わってくるでしょうが、東京程度の積雪ならそのうち溶けてしまうのですから、放っておいても大して困らないと言えば困りません。
でもやっておくと多くの人が助かりますし、そして何より万が一の転倒防止になり、誰かのケガを防ぐことにもなります。
まあそれは結果として「何も起こらない」ということですから、どれだけの意味があったのかは誰にも分かりませんけど。
お金にはならなくて、誰かがやらなくちゃいけないけれども、正直やらなくても何とかなって、でもやっておくといろんな人が助かる。雪かき仕事というのはそんな仕事です。
とても良い按配で、とても「良い仕事」です。とくに東京あたりの積雪量だとホントに良い。
なぜって、まず何の損もありません。誰にも迷惑をかけず、負担もかけない上に、多くの人が助かります。
しかもその助かる人というのが、「どこかの誰かが助かったかも知れない」程度の、覚束ない空想みたいな雰囲気なのがまた良い。
そして別にやらなくても良いそんな仕事を率先してやっている自分を、ちょっとカッコ良く感じることもできます。
だからやり遂げた時、そこには何とも言えない気持ち良さがあります。なんせ「ただ働き」ですからね。
つまりスポーツとかジョギングとか山登りとか、そんなものと一緒なんですよ。誰に言われたわけでもなく、一円にもならないのに好き好んでやっている。だから気持ち良い。
もし報酬としてお金をもらってしまったら、雪かき仕事から得ていた「何とも言えない気持ち良さ」というものは、いつしかスーッと儚く消えていってしまうでしょう。
3.人間の仕事
私は思うのですが、このとき感じる「気持ち良さ」とはいったい何でしょう? 自己満足でしょうか? それはきっと間違いではないでしょう。でもそれだけでもないような気がします。
となりの雪かき仕事につなげるその気持ち良さは、もう少し人間の根源的な感情に根ざした何かであるような気がします。
そうでなければ、雪の翌日に街のあちこちに雪かきされた道がいっぱいあるなどということは起こらないような気がするのです。
雪の降った翌朝、街のあちこちで雪かき仕事が始まります。
真っ白に覆われた道路のあちこちからガリガリという音が聞こえ、そして徐々にアスファルトが見えてきます。それらの雪かき仕事は徐々に伸びてゆき、やがてとなりの雪かき仕事へとつながってゆきます。
街のあちこちで同時多発的に生まれた雪かき仕事たちは、それぞれが自発的に伸びてゆきながら、お互いがどんどんつながりあって、そして東京の街全体へとそのネットワークを拡げてゆくのです。
もし雪の翌朝、東京のはるか上空から街を見下ろしていたなら、あちこちで生まれた雪かき仕事たちがどんどん連携しながら街を覆う巨大なネットワークを作り上げてゆく光景が、リアルタイムで見られることでしょう。
それは大都市に住む人間たちによる、巨大で創発的な営みです。
そんな巨大なネットワークを作り上げようとする大きな意志のようなものが、はたしてどこかに存在するのか、それは分かりません。
でも私たちの暮らしを支えるために不可欠な人間の素質が、そこには現われているような気がします。
「雪かき仕事のネットワーク」は、私にとってその象徴です。
だからこそ私は雪の降った日には、そのときにだけ忽然と現れる巨大なネットワークにコミットして、その一部を担うことで、自分自身がきちんと「人間である」ことを再確認したいと、そんなことを思うのです。