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人のこころとからだ まとめ

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私たちの「こころ」や「からだ」について書いた文章をまとめています。こころとからだは、一つの現象の二つの現われであると思っています。人という営みは、個人のこころとからだを通して、多…
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#教育

からだを活かす頭の働かせ方

整体には「体癖(たいへき)」という独特な分類法があって、その感受性の傾向や体運動の習性から人間を十二種類のタイプに分類しています。 からだの動かし方から姿勢や体型、あるいは活発な臓器や病気の傾向、そして感受性の傾向や注意の焦点、さらには心の反応の仕方や性格にいたるまで、さまざまな要素を絡めながら語られる体癖という人間分類法は、非常に面白く、整体の講座のテーマとしてもつねに人気のトピックです。 そのように人間をいくつかのタイプに分けてより深く理解しようという試みは、古来から

こころの形と礼の型

1.「型」による教育何かを作ったり練習したりしているときに、それが「多少は人様に見せられるかな」というギリギリの合格ラインを超えたところで、「ようやく形になってきた」などという言葉を口にすることがあります。 それまでは、パッと見ただけでは未だ何物とも呼べない正体不明な覚束ないものだったのが、ようやくその輪郭がハッキリして何某かの気配を感じさせるようになってきたときに、私たちは「形になった」とそう言うのです。 昔から、そのような「形(かたち)」を作り上げるために、「型(か

いつかの言葉【世阿弥】

 世阿弥(ぜあみ)といえば、言わずと知れた室町時代の能(猿楽)の大スターですが、彼は後進のために多くの能の伝書を書き残しました。現在でも使われる「初心忘るべからず」とか「秘すれば花」といった言葉も、世阿弥の言葉です。 彼の伝書は、能の稽古について書かれたものですが、そこで説かれていることはあらゆることに通じるとして、現代でもさまざまな芸事や運動の稽古においてよく引用されています。 伝統芸能の世界では、きわめて幼少の頃から稽古をしていくこともあって、伝書の中には小さな子ども

忘れるということ

 整体では「忘れる」ということをとても大切にします。ですから講座などでも「メモを取らずに話をしっかり聞いて、そして後は忘れなさい」などと言われたりするのです。 それはシュタイナー教育でも同じで、「忘れる」というプロセスを丁寧に挟み込んだカリキュラムで授業を構成します。 初めはその理由が何だかよく分かりません。普通は「忘れないようにきちんと覚えておかないと」と、そう考えると思います。 ですが、よくよく考えてみると、私たちのあらゆる活動の巧みさは「忘却」というプロセスの上に

からだを育て、腰を育てる

1.手考足思昭和の初めに、ありふれた日用品の中に「用の美」を見出し、その価値を世に問うた「民藝運動」という活動がありました。 その民藝運動の中心となった人物の一人に、河井寛次郎という人がいるのですが、その人の言葉に「手考足思」というものがあります。 「手で考え、足で思う」とは、まさにものづくりを行なっている作家ならではという言葉ですが、シュタイナーもまた「手で判断し、足で帰結する」と似たような言葉を残しています。 一般的には、人間は「頭で考える」と思われていますが、思考

師匠を持つ

1.弟子入りのススメ「師匠を持つ」ということを、私はしばしば人に勧めています。何故なら、人は師匠を持つことによってその人生が非常に豊かなものになると確信しているからです。 私自身は整体を学ぶ上で、師匠に弟子入りして学んできました。整体の手技の世界というのもいわゆる職人技の世界なので、その技術を学ぶ際には、師匠の技を見て、真似しながら体得していく、いわゆる「見て盗む」ということが主です。 もちろん師匠は言葉でも教えてくれますが、身体操作というのはそんなに明確に言語化できる

粘菌的な思考の素粒子

1.イグノーベル賞「イグノーベル賞」というものをご存知でしょうか? 「イグノーベル賞」というのは、かの有名なノーベル賞のいわゆるパロディであり、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる業績や風変わりな研究」に対して贈られる賞です。 本家のノーベル賞とは何の関係もないそうですが、いわば科学者たちが真面目にふざけたユーモアあふれる賞で、オーソリティ(権威)であるノーベル賞に対して、ちょっと斜に構えておどけながら真似してみせる「もどき芸」のような、そんな立ち位置の賞です。 ちな