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大学生ベンチャーで働いてみて思ったこと

去年の夏にベンチャーに飛び込んでみて早8か月がたちました。その失敗が他の人にも生きればいいなと思い書き残そうと思います。

去年の8月、意識高い系の真っ只中にいた僕は起業家に憧れており、その流れから授業で知り合った学生起業した先輩に頼み込んで働かせてもらえることになった。楽しい仕事をやってみたい、IT業界にいってみたい。そんな理由で飛び込んだ。専門性が欲しかったので、Webデザイナーとして働きたいと志願し、フリーで活動しているプロのWebデザイナーの方に指導してもらいつつ半ば独学という形でプログラミングを勉強し始めた。その代わりに事業のお手伝いをするという契約だった。この時、どうしても働かせてもらいたかったので、半年は継続する、無賃で働くという約束をした。今思うと目先のことしか見えておらず浅はかな提案だったと思う。

プログラミングはProgateを使って学んだ。HTML&CSSの上級編までクリアし、簡単なWebサイトは作れるくらいには成長した。その傍ら事務作業をお手伝いしていたわけだが、1か月続けているうちにやめたくなった。

その原因は楽しい仕事などないと気づいたからだ。ベンチャー企業で働いている人でも仕事は辛いものという認識であり、辛いことを乗り越えてでもやりたいことがあるから頑張れる。とのことだった。これにはかなり衝撃で、経営者の話や偉人の話を聞く限り、「仕事が楽しい」と言っておりそれを信じていたが、今思うとあれはポジショントークであり、自分の悪い癖である視野狭窄のせいでそれを見抜けなった。

やめるやめないで大きく迷った。やめるのはもったいない、困難を乗り越えて続けるべきだという言葉を信じ、これはやりたいことではないと気づきながらも自分を騙して突き進んだ。

自分は1か月も騙せなかった。体や言動に綻びは現れた。うつ病になってしまった。正確にはうつ病初期まで進行した。いままでは自己肯定感の塊のような言動だったのが、その逆、俺は何をやってもだめ、という口癖になってしまっていた。ほかにも下痢が止まらなくなり、いつまでたっても腹痛で寝込むようになっていた。このような異常事態に気づいた親が、僕を止めてくれた。今でも本当に感謝している、止まれてよかった。

やめるのには勇気が必要だった。社長には約束不履行(半年間は続けるという約束)なんて薄情なやつ、お前がこの先いきていく中で不利になるように働きかける、などと脅された。これも精神的には応えたのだが、それよりも僕を見込んでくれた大学の先輩を失望させてしまったことが嫌だった。本当にごめんなさい。


やめたとたんに下痢はとまり腹痛は吹き飛んだ。精神的ダメージは1か月かけて徐々に戻っていった。自己肯定感の塊ではなくなったものの程よく持っているほどになった。今思うと、あの自己肯定感の塊は本当は弱い自分を守るための虚勢だった。今はそんな自分を受け入れ、程よく生きている。


この経験を経て自分の仕事観が明確になり、最後にそれを紹介する。

1.労働は辛いもの

キリスト教では、労働は罰らしい。日本では労働は美徳とされているが、この価値観に納得がいった。仕事は辛いもの。そう割り切ることで辛いことも乗り越えていけるようになった。割り切った後、その仕事をどう楽しむかが労働の醍醐味だと思う。

2.To doじゃなくてBeing

僕はやりたいことがない。そんな自分を前までは嫌だったが今ではそれを受け入れて、Being型、すなわちなりたい自分から逸れなければそれでいいや!と価値観がシフトした。目指している人物像は、①頼りやすい人である、②世界観が広く寛容である、③何かしら専門性をもっている、の3点である。これを意識してから将来のことを考えるのが楽になった。


ここまで読んでくれてありがとうございます。僕の教訓があなたの助けに少しでもなれば幸いです。


僕が意識高い系であることに気づけた記事のリンクを張っておきます。

とてもよくまとまっていてオススメです。


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