健康を創り出すきりやあつこの軌跡
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
高杉晋作は、そんな言葉を残しました。
どういう想いで言った言葉かは、受け取る私たち次第。そして、世の中の出来事も受け取り方しだいではとても興味深く、面白いのです。
鎖国的な日本
20代から30代の私は、派遣でバリバリ働いたり、様々な引越の現場で人と人との繋がりをサポートしたりしていました。
朝の通勤ラッシュにもまれることもありましたが、なるべく混まないルートを探したり、時間をずらしたりして、工夫していました。
Google先生のいない時代によくやったと、今さらながら、自分自身を褒め称えたいくらい私的には頑張ってました😄
それはもう、20、30年も前の話ですよ。
今考えてみると、とても閉塞感を覚えていました。でも、それがなんだか分からなくて、ただただ毎日をやり過ごすしかなかった。
ただただ生きてましたね。
でも多分、本当は周りのエネルギーや自分の想いを感じようとしていたんでしょう。だから閉塞感を覚えたり、違和感があったりしていたんです。
当時は、エネルギーがどうのとか、スピリチュアルがどうのとか、全く知らなかったし、自分のことすらも考えることはなかったんです。
どうしたらいいのかを知る術が、当時はなかったので、ただ生きるしかなかったんですね。
それでも、ほかの人たちが、よく我慢して毎日毎日ツラい思いをしてギュウギュウ詰めの電車で通勤してるな、となんか不思議に感じるくらいはできました。
あるとき、私が引越の現場で立ち会いをするのに降り立った駅。ちょうど朝の通勤の時間で、地下鉄の駅から出てきた大勢の人たちが無表情で黙々と、軍隊のように整然と、外へと出ていくのに遭遇しました。
私はその人波に逆らって、反対に駅のほうへ向かっていたんですね。
なんか、物凄い違和感でしたよね。
その人たちと同じ波に紛れてしまったら、私は私でなくなってしまうかもしれない。
ふとそんな恐怖を覚えたのを思い出します。
なんでも同じがいい日本人観が、当時は優勢だったんだと思う。
そこから外れることへの恐怖というか、そんなのがあるのかな。
私はそうじゃなかったようなんです。
20歳の時に英国のオックスフォードに滞在して以来、徐々に海外のことも知り始めていたし、海外の映画が大好きで、映画のおかげで英語がしゃべれるようになったくらいの海外びいき。
日本への違和感が、無意識のうちに海外へと私を導いていたのかもしれません。
海外にちょっとでも目を向ければ、ひとりひとりが違うことが大切だったりするわけですよ。
それぞれの考えを尊重する文化が多いですよね。
日本は長らく、他人の動向が尊重されてしまう文化でしたよね、鎖国的に。だから、違うことができない。
それで窮屈な思いをしたり、居心地悪く感じたり、社会に適応できなかったりしてきた人も多くいるはず。
私もそうでしたね。
なので、人と同じになってしまうことを逆に恐れ、ひとりで立ち上がろうと決意したんだと思います。
それがやがて、健康を創り出すという使命につながり、独自のサロンを始めてからは、人は人、と考えるようになりました。
そんな自分をとても誇りに思っています。
海外へと目を向けた20代、30代
20歳の時に、英国のオックスフォードでホームステイをしてから、20代、30代には様々な国を訪問しました。
同時に、
最初はヨーロッパ。
英国好きの友人もいたため、英国に長期に滞在もしました。
そのうち、アジアに目を向けるようになり、カンボジアを初め、シンガポール、インドネシア、マレーシア、台湾へと出かけていき、ギリシアのウミガメ保護活動に参加した時にはトルコにもしばらく滞在したり、レバノンにも行きました。
そうそう、このギリシア滞在の最終日に、思いがけずプレゼントがあって、無料のディナーに参加したのですが、たまたま同席したメキシコの2人の女性とは昔なじみのように大親友になり、そのうちのひとりが結婚する時にはメキシコに招待してもらうほどでした。
メキシコの結婚式は厳かで華やかで賑やかで、生涯忘れることはないでしょう。今でも何人か友人とFacebookでつながって、情報をシェアしています。
また、アメリカのサンフランシスコでは、数年にわたって毎年訪ねる、故郷のような温かいB&Bにも出会いました。
整体技術を学び始めてからは、タイのチェンマイでタイ古式マッサージを学んだり、南インドでアーユルヴェーダを学んだりと、海外渡航はただ滞在するのではなく、目的のあるものに変わりましたね。
ここ数年は、カラダを創り出す使命に傾倒し、鍼灸マッサージの資格を取るために専門学校で学んでいたため、ほとんど海外へは行ってません。
ただやはり視点は海外へと向いているのが分かります。
すでにもう、日本だけの枠組みの中で考えることはできなくなっています。
日本国内にいたとしても、世界で起きることには興味がありますし、経済やビジネスのことを考える上でも世界的な視野で見たいもの。
ましてや、アーユルヴェーダを学んだ以上、日本だけの枠組みで人間本来のあり方を見つけることができなくなってしまいましたね。
蛇足ですが、私は東京生まれの東京育ち。
海外への出入口のほとんどは成田空港です。
海外へ行く時にはいつもなんですが、不思議なことに、成田に向かう電車でココロの開放感を味わい、成田から家に帰る電車の中では逆に、車内の暑さへの不快感と疲れを感じたものでした。
今思えば、それほど、日本が窮屈ならさっさと海外に移住しちゃえばいいのに❣️なんですが、当時は考えつきもせず、再び日常へと戻っていたのです。
私は私でいい
以上のような、海外遍歴を積み重ねながら日本に暮らした私は、世界を一体として見る視点を育んだとも言えるかもしれません。
その上で痛感するのは、「私は私」。
そのテーマは、今だからこそ重みを持っているテーマです。
というのも、私は私でいられる人が、日本にはあまりにも少ないと思うのです。
ストレス社会であるのもそうだし、全てが周りからの価値観に振り回されるような体制であるのもそう。
自分自身の頭で考えることを、まるで知らないような人たちも多いような気がします。
主体性を発揮することが妨げられてきた、というか、学んでこなかったというか。
そんな窮屈な毎日を送っていれば、カラダだけでなくココロもこわばり、かたまってしまうでしょう。
そんな状態で、ココロの余裕を持ち、自分からの主体性を発揮して生きることが出来るでしょうか。
今こそ、カラダをゆるめて、ココロも一緒にほぐして、余裕を持って主体的に生きて欲しいのです。
私は私でいいんです❣️
それを知って、人生の中で実践できる健康という環境を取り戻してもらうのが、私の一番の願いです。
自分のカラダをゆるめる
なぜ私が整体に出会い、カラダをゆるめることをとことん突き詰めてきたか、その答えが前記のような現代社会にありました。
そもそも、精神的に窮屈な社会を感じていた私は、同時にカラダもガッチガチにかたまっていました。
20代や30代のころなら大して感じなかったのですが、30代の後半にもなってくると、長時間パソコンの前に座っていたりすると、カラダのあちこちが痛くなりこりかたまってくるのが分かるわけですよ。
それが、初めて整体という存在を知るキッカケになると同時に、自分のカラダへの意識を育てる最初になりました。
今にして思えば、カラダをゆるめ、周りの人たちのカラダもゆるめ、みんなで幸せになっていく使命のレールに乗ったのが分かりますが、当時は、なぜいきなり整体学校に入学してしまったか、自分でも不思議でした。
だって、運動大嫌い。カラダを動かすなんて死ぬほど好きじゃなかったんですから⁉️
今なら、なぜ嫌いだったのかも分かります。
カラダを使うのが不器用だったんですね😳
私たちの誰もが、ニガテなことはやりたがらない。
特に私はその代表で、小学校の頃から運動会と体育の授業が嫌いでしたから。
大人になってからもスポーツなんてやったことなかったんですね。
なのでか、本当にカラダの使い方が下手くそだったからか、揉んだり押したりする整体の技術を習得するにも、人の数倍の時間がかかりました。
でも、楽しかったですね。
自由に参加できるクラスだったため、ほとんど一日中、参加して同期たちと組んで練習を続けました。
その基礎的なカラダの使い方を徹底的にカラダに叩き込んだことで、タイ古式マッサージを学ぶ時も、リフレクソロジーやオイルマッサージを学ぶ時も、あんま、マッサージ指圧の授業でも、基本的なカラダの動きを自然に習得することができるようになっていました。
そして、他の人のカラダの動きや使い方を見て、どうしたら楽に施術ができるのかアドバイスもできるようになりました。
今では、私には、目の前の人がゆるんでいるのかどうか、どういった動きが必要なのか、手に取るように分かります。
PTSを乗り越えて
実は、私はとても敏感体質。
整体を学び始めて以来、くすぐったがりなのが災いしたことが何度あったことか。
学びを進めるにつれて、ヨーガや瞑想など、自分の内側にも目を向け始めていたことで、さらに外側の敏感性が強化されてしまい、人から触れられることが難しい状態になっていました。
多分、無理な状態で整体の施術を行なっていたんでしょうね。
人のカラダをゆるめるのは得意でも、自分自身のカラダは反比例してかたまっていました。
と同時に、母の死もキッカケではあったんですが、ココロにも余裕がなくなり、かたまったカラダとココロのままで入学した鍼灸の専門学校では、大変な経験をすることになってしまいました。
鍼灸というのは、いわゆる経絡というカラダの中に存在する(と考えられている)エネルギーの流れをを整えます。
しかも、遠隔ヒーリングと違って、直接カラダに鍼を刺したりお灸をすえたりするわけですよ。
要は、直接カラダに触られる😱
それが耐えられないほど、私のカラダは、というよりもむしろ、神経的に敏感すぎました。
私が行った学校は厳しく、いくらダメでも、人に鍼したりお灸したりするだけじゃなく、人から受けることも経験しないと単位をくれなかったんですね。
なので、必要最低限参加して具合が悪くなる繰り返しで、学校に行くのも必要最低限、それ以外はほとんど寝ているという生活でした。
しかも、卒業して一年以上かけてゆっくりとカラダを回復したくらいに、このときに受けたトラウマPTSは大きいものでした。
それほどまでして資格を取ったのはなぜなのか、まだはっきり分かりません。
ただ、卒業後に参加した卒後研修のセンターで、同じように体調悪くしている人が多いことを知り、カラダとココロの関係がさらに分かってきた気がしています。
人との出会いもありました。
中国伝統医学にも深く携われるようになったのも大きく、人体という宇宙の存在を、アーユルヴェーダとは別の視点で眺めることができるようになったのも、とても貴重な経験です。
スピリチュアルとの出会い
スピリチュアルというものを意識的に学び始めたのは2020年春です。
私の整体技術がだんだん触れるだけになっても、遠隔ヒーリング的にチャクラを整えるようになっても、私にとってそれとスピリチュアルとは別物でした。
2020年といえば、コロナの社会現象が明るみになった年。
しかも、4月といえば、得体の知れない不安な空気が社会全体にタレ込めていましたね。
そもそも敏感な私は、無意識的にその不安な空気にエネルギーを取られ、と同時にエネルギーを整える方向へと視点を変えたのでしょう。
そのタイミングで出会ったのが、ワンネス・インスティテュートとの出会いでした。
人の癒やしとはなんなのか、私たちはなぜここに生まれ、どこへ向かおうとしているのか。
魂としての私たちの存在や社会の仕組みを学んだことで、カラダやココロだけでなく、魂も含めた「私」という存在が生きるために必要なことをしりましたね。
おかげで、健康を創り出し、周りも巻き込んで豊かに幸せに暮らす社会の実現に向けてのロードマップが出来上がって今に至ります。
スピリチュアリストとしてのプロフィール↓↓↓
全ての人が自分なりの幸せな人生を送るために
現在の私が何をしているのか❓
人々の健康を創り出すために、生活リズムを整えるカウンセリングや森の空気を紹介するカラダバランスラボを主催しています❣️
私たちのカラダの成り立ちは整体始め、アーユルヴェーダや鍼灸、スピリチュアルで学んできましたが、私きりやあつこ本人のこの50年程の経験・体感があったからこそ、人の健康を創り出す力になることができると自負しています。
こんな私で力になれることがあれば、お気軽に声をかけてください。
健康になるためには、生きていく上で一番必要な空気、その空気を取り込む呼吸が最も大切な要素です。
しっかりと呼吸をして、栄養のある空気を取り込むには、カラダがゆるんで伸び伸びしていたほうがいい。
そんなあなただからこそ、思い通りに生きられる。
窮屈な毎日を送らずに、自分自身に素直に、主体的に生きられる。
その先にあるのは幸福の実現です。
幸福を手に入れて、周りにもその幸福を分け与えていきましょうよ。
一緒に
やっていきましょう❣️
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