GYROAXIA TOUR 2022 -Freestyle- 所感
ツイッターに書くには長くなりそうだな〜と思ったので、仙台2公演終えた時点での所感。レポではない。
推ししか見れないタイプのオタクなので正直ほかのメンバーのことはあんまわかってない。だいたい小笠原さん通して見た話。
前回のワンマン、火花散ルの時は最初から最後まで一貫してキャラとしてのステージで、場所はアニメの中で出てきた会場のモデルであるZepp Sapporo、その中で里塚賢汰のソロっていうライブの時空とは一部切り離された演出があって、あくまで2次元のGYROAXIAの物語をキャストを通して観る構成。
それに対して今回のツアーは、リアルバンドGYROAXIAのメジャーデビューアルバムを引っ提げたツアーで、当然キャストは役を背負って立ってるものの、どちらかと言うと3次元のGYROAXIAに寄ったライブだったなあという印象。
寄せたっていうか、単純にメジャーデビューをきっかけに見せ方が変わってきたのかなと言う感じもするし、どんどんキャラと一体になってるのかなという感じもするし、もしかしたら今回はそうしただけて次はそうじゃないかもだけど。
ArgonavisもGYROAXIAも、毎回のライブタイトルごとに見せ方違うなというのは感じるので。
っていうのも多分この時のインタビューで言ってたことと同じような話なんだろうなと。
正直なところ、歌い方も客を煽る言葉も衣装も含めて今までの旭那由多とはだいぶ違うものだから、最初は那由多らしくないなとは思った。じゃあ旭那由多らしさって何なのって話ではあるんだけど。
そう思うと、ダブエスがサ終してからというもの、それ以降の彼らの話ってほとんど知らないから今の旭那由多のことなんてわからなかったわ。
物語を通じてキャラクターも成長していくし、キャストはリアルを生きる人間だから当然変わっていくし、キャラクターとキャストがそれぞれ影響を与え合う作品で、結局のところ「ライブ」においての彼らを形づくってるのって9割以上キャストなので、ステージの上で作られたものがキャラクターの「らしさ」になっていくんだよなあとか思ったりして。
まあ、公式が解釈違いだ! なんて思ったことは無いんだけど。その点においては、キャストと北岡Pのこと信頼してるので……
初日の挨拶で「お客さんひとりひとりの顔が今までで1番よく見えた」というようなことを仁くんが言っていたけど、今回のライブでも上のインタビューで言ってたみたいに根っこの入れ替えをしていたならそうなるのも当然のような気はする。怒りを原動力に歌ってる人間が客席ひとりひとりの顔見てたらそれもそれで変な話なので。
旭那由多は自分の音楽を聴く人間に対しては手を伸ばしてはくれるものの掴んではくれないっていうか、「勝手についてこい」ってスタンスだからこっちがしがみついていかなきゃいけないものとして解釈してるんだけど、今回の旭那由多はなんかちょっと掴んでくれそうな雰囲気があったような気がするのよ。すごいぼんやりした話だけど。笑
どんどん仁くんと那由多の境目がステージ上では薄くなっていって、2次元のGYROAXIAをキャスト越しに見るんじゃなくて、旭那由多と里塚賢汰と美園礼音と曙涼と界川深幸が3次元の人間として存在していて、そのGYROAXIAがライブをやるならこんな感じだっていうのが今回のFreestyleツアーっていうか。
ナビステあたりから旭那由多の人間味がどんどん増してると思っている。今回ライブ見てそれはさらに増したなって思った。
だからなんだろうなあ、さっきの話に戻るけどらしいとからしくないとかではなくて、本当はこうなのかもしれないというか。アニメやボイスドラマやゲームやそういうところでは断片的にしか理解し得ないので、その情報だけでわたしたちはキャラクターの理解を深めるしかないのだけど、そこに映りきらない姿を垣間見たのかもしれないという気もしてくる。
今ちょうどドキュメンタリーの再放送を見たので、「確かにこれは間違いなく変化だな」と思った。
いやほんとすごいよね。毎回変化するんだもんな。だからこそいっつもいっつも「なんでわたしはジャイロの最初のライブを現地で見てないんだーーーーーー!!!!」って思っちゃうんだけどね。どう考えても居合わせたかったじゃん、タイムマシンが開発されたら真っ先に2019年12月5日に行くよ。
まだツアーは続くので思ったことがあったら追記する。とりあえず終わり。