『からこといのち通信 №2』8月号

『からこといのち通信 №2』8月号(人間と演劇研究所 瀬戸嶋 充 ばん)

人は、それぞれ個々別々の存在のように思えますが、実は「からだ」の感受性を通じて繋がり合い響き合っています。決してバラバラな個体ではないのです。
そのため「こころ」=「からだ」の奥底では互いに繋がり合っていて、誰一人としてコロナの不安から逃れることはできないのです。
そしてもう少し深く見て行けば、その不安の向こうにエデンの園のような平和な世界も広がっているようです。物語りや歌はそんな世界へと私たちの心を遊ばせてくれます。
物語りや歌は、不安の向こう側へと私たちを導いてくれる薬であり栄養でもあるのです。

--------
【1】 コロナについての私(瀬戸嶋)の観点
【2】 マスクと声のレッスン
【3】 Book Cover Challenge !【再度①】
【4】 オンライン教室 7月~9月 日程
【5】 あとがき
--------

【1】 コロナについての私(瀬戸嶋)の観点

この状況の中で何が必要か?

「自分の中のどの地点から、このコロナの情況を見て行くか?」が問題だと私は思っています。

「腹を据えて」といいますが、現実にはほとんどの人が、気持ちが頭の方に上がってしまっています。そうなってはどんなに思考を凝らしても答えは見つからず、世間を飛び交う情報に気持ちを煽られ、不安に上ずって苦しささえ背負いこんでしまいます。

まず地に足を着けて息を腹(丹田)に下ろし、自分の中の『自然』に自己を委ねる、その安心感と心地よさを取り戻しましょう。安心感とはどんな状況の中にあっても私たちの中に、私たちと共にある「いのち」の性質です。

コロナに対する対策を取るのはそれからで構いません。決定打と言えるような対策は現在出ていません。当然のことです。これまでにない出来事に人類が出会っているのですから、過去の対策の中には答えは無いのです。

あれこれとこれまでの経験を振り返ることの中で、答え(解決策)が見つかる状況ではないのです。どんなに知識の発達した学者や評論家・政治家でも答えは出せないのです。辞書も教科書も無いのですから。

大事なことは、移り変わる状況に静かに耳目を向け続け、その時々に必要と思われることを各人が、そのときごとに選び取っていくしかないのです。心静かに、他者の考えを否定しあうことなく、自分は自分の信じるところを各自が歩んで行くしかないのです。

『絶対の答えを求める』ことは危険です。これはパニックの中で脳(意識)が陥りやすい脳自体のもつ性格(性質)です。震災や戦時などに繰り返してきた差別や虐待という人間の愚かさは、ここから出てきます。

脳は分別して切り捨てるのが仕事です。許容力を持つのは「からだ」です。何もかもを許容して、その中から、新たに行動を生み出していく。

『自我の縛りをゆるめ、地に足を着け いつも静かに笑っている。そういう者に私は成りたい 。』

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ(いからず)
イツモシヅカニワラッテヰル(いる)
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ(かやぶきの)小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ(たばを)負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニ(苦に)モサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

( 宮澤賢治『手帳より』転載 )

以上が大まかな私の観点です。
観点というほどに、コロナについては語っていませんね。

地に足を着けることを第一の方向にとして進めて行けば、何が必要かは、その時ごとに自ずと見えてくると私は思っています。逆にそこへの意志=緊張感を欠いてしまえば、コロナに煽られ落ちたり舞い上がったり混乱を深めるばかりでしょう。

私自身の、普段の生活でのコロナ状況への対策は、家族や世間の常識にほとんど従っています。基本、他者の感染の原因を自分が作ることは避けたいという思いからです。

人の感染の原因にはなりたくないと思うくせに、リアルの合宿やワークショップをやりたい自分がいることは大いに矛盾していますね(笑)

これは誰でも抱えていることかも知れません。大事なことは、矛盾を抱えている自分や人を責めないことでしょう。

矛盾は矛盾のままに解決を無理強いせずに、笑い飛ばすのが良いでしょう。ちっぽけな私たちに出来るのは、良し悪しの結論を出すことよりも、大らかに過ごすために「からだ」=想像力の開放に向かうことだと思います。いのち(=からだ)と 私(=意識)という対峙を止めて、その和解・融合を観ることに力を注ぎたいと私は思っています。

まあともかく楽しみましょう。命がけで(笑)
(7月の琵琶湖合宿に向かう過程で考えたことです)

--------

【2】 マスクと声のレッスン(@市ヶ谷WS)

「 こんど30名の子どもの集まりで紙芝居をすることになったのですが、マスクをしたままで大丈夫ですか? 」レッスンの参加者からの発言です。

コロナの影響で、最近は5、6名での少人数で子ども相手に紙芝居をやってきたそうで、久しぶりに大人数を集めての催しだそうです。マスクに声を遮られて、子供たちに言葉を届けられるかが心配のようです。

「それではやってみましょう!」他のメンバーも含めて、マスクで朗読をしました。

先ずは言い出しっぺの質問者に、マスクをして「ことばあそび」のテクストを読んでもらいます。からだ全体に声が良く響き、マスクで遮られたり籠った感じはしません。むしろその人らしい優しく明るい声が、テキストの一語一語の色合いとリズムを連ねて、その場に響きます。

マスクの影響はまったく感じられない。むしろ声の柔らかさの中にことばの輪郭がしっかり浮かんで来て、心地がよいし、語られる内容やイメージがよく伝わって来る。まわりの人もおおよそ同意見で問題を感じることがありません。

「 それでも一応マスクを外して、本を読んでもらいましょう。」読み始めたとたんに他の人たちの表情が変わりました。「?ハテナ顔」です。マスク有りと同じ文章を読んでいるのですが、語り出されてきた発声や声の質感が全く変わってしまったのです。こんなに違うものなのか?とみんな驚いています。語った本人までもが。

マスクを外すと、声が吊り上がったような感じになり、良く声が響きだして来るのだけれど、宙づりになって空間に浮かんだ綺麗な、それでいて人工的な響きが聞く人の耳に押し寄せてくる。クリアーな響きの強さの上に、かっちりと鑿(のみ)で言葉を刻み込んだようです。

聞く側にとって、活字(文書)として意味を受け取り、それを脳=意識で理解するには適した朗読です。けれども意識で理解しようという構えをもって臨まないと、内容を受け取ることができない。

ところが先の『マスクありの朗読』のとき、聞く人にはよく聞いてやろう、ちゃんと聞かなければという努力は全く用が無い。言葉が私の中に染み入って来て、テクストの内容やイメージを浮かび上がらせてくれる。声・言葉は浮わつくことなく、地に足を着けたからだの中心から、響きだして来るのです。

他の参加メンバーにも、マスクの在り無しの両方で、同じ文章を交代で読んでもらいました。やはりはっきりと違いが出ました。一人の男性など、マスクをしていると、大変落ち着いた温もりのある声と言葉が現れてくるのですが、マスクを取ったとたんに、みんなに声でアピールしようと張り切り、耳を塞ぎたくなるような大声を、スタジオの空間に響かせようとし始める。

その張り切りようにみんなで大笑い!再びマスクをすると、この人はこんなに優しい人だったのか!と関心してしまうほどの、心地の良い語りが表現されてきます。本人が意識的に語り方を変えているわけではありません。マスクの在り無しだけで自然に変わってしまうのです。

簡単(大雑把?)にいうと、マスクを外して顔が相手に向くと、口角を瞬時に持ち上げたりやさしい表情を作ったり、ニコニコ顔をしたくなったり。いわゆる顔の体裁を取り繕おうとしてしまいます。

それが話者と聞き手との間の障壁になるのです。語ると言うことは、腹の底から溢れてくる言葉のリズムやイメージを、他人に露わ(あらわ)にすること。表(あらわ)すです。

マスクを取って人前に自分の素顔を晒したとたんに、私はこういう風に考えて表現に臨んでいます、という簡単に言えば自分のやり方が顔の表情の緊張として、無自覚に顔を出してしまいます。そして自らの深みから他者にに至ろうとしている言葉(そのリズムやイメージ)の表現に蓋をして閉じ込めてしまう。

マスクに顔が隠れることで、顔の表情筋は緊張(取り繕い)から解放されます。女性の参加者から、マスクをするようになってスッピンでいれるし、口紅も塗れなくなると、半ば嬉しそうな発言がありました。(半ばこんなことで良いのだろうか?という気持ちもあるのでしょうがとっても楽なのでしょう。電車の中で口を開けたまま眠れるのが最高!とも)

マスクを極端に嫌がる人がいるけど、あれは自分の中身(本心)の表出への抑えが効かなくなる不安からではないのか?という話しやら、マスク芝居を作ろうかなどと言う意見まで。楽しい楽しいマスク論議になりました。

面白いですね。マスクは隠すもの、遮るもの、塞ぐものという理解が、発声という角度から見て行くと、真逆の言葉の表現を開放するものとなってしまう。

実はこのレッスンの成り立ちの前段階として、股関節や足の感覚を呼び起こし、下半身の緊張を緩めていくワークを丁寧に時間をかけてやりました。その結果かなり息の深い状態がからだに準備されていました。地を足につけて息を深く足腰におろす。その準備の上に発声のレッスンが乗っかっています。

結果として、朗読のマスク実践とマスク談議が成立しています。おそらくこの息の深さを確保する過程無しに、マスク朗読をしていては息苦しいだけで、投げ出したくなるようなものにしか成らなかったでしょう。

これは逆から言えば、息が浅いためにマスクの苦しさが浮かんできている。マスクを常用すると、今まで構いもせずに浅いままにほったらかしていた「呼吸」(いき)を意識せざるをえない。苦しければ自然と楽にしようと意識する。楽とは深く息が出来たときにやってきます。

そういう意味合いも含めて、マスクの意味のあるなしを考えて行きたいと私は思っています。

私たち人間は、マスクに意味があるか無いか。効くか効かぬか。からだに良いか悪いかなどという議論が好きです。そして何が正しいかを決めて、それ以外を意味なし価値無しと決めつけて排除したがる傾向を持ちます。

絶対を立てる。その危険性に気付いてほしい。そして私たちの眼のまえにやって来るもの(マスクやコロナも)が、人間にどんなメッセージを届けようとしているのか、もっともっと深みにおいて捉えることをして欲しいものです。

「すべてのことはメッセージ~♪」と魔女の宅急便では歌っています。すべてのことがメッセージなのです。メッセージでないものは一つもない。「こんなことは意味の無いことだ」とよく口にしてしまいますが、そんなことはそれこそ『絶対』にないのです。そのチャンプルーを飲み込み昇華(消化)し、メッセージの意味を浮かび上がらせてくれるのは意識(脳・理性)ではなくて、身体(からだ・いのち)なのですが。

--------

【3】 Book Cover Challenge !【再度①】

私自身がこれまでに読んだ本にコメントするのが楽しくて、再開します!

今回は、
『 脱学校の社会 』イヴァン・イリッチ著(東京創元社)
昭和52年10月20日 初版
昭和55年12月15日 9 版

人間と演劇研究所ブログに掲載しました。
http://karadazerohonpo.blog11.fc2.com/blog-entry-364.html

以前の掲載分は、
http://karadazerohonpo.blog11.fc2.com/blog-category-18.html
をご覧ください。

--------

【4】 オンライン教室 7月~9月 日程

5月の新たな旅立ちから順調に進んでいます。いまのところ毎回5名以内の少人数ですので、じっくりとていねいにレッスンを進めることができています。

野口体操をベースにして、からだの感受性を深めて行きます。最近のレッスンの焦点は「いき(呼吸)」です。ゆったりと深い息を取り戻し、コロナで強張ったからだと心をリフレッシュしに来てください。

① 木曜 14:00~15:30(第1、3週)7/16・7/30・8/6・8/20・9/3・9/17

② 木曜 20:00~21:30(第1、3週)7/16・7/30・8/6・8/20・9/3・9/17

③ 土曜 10:15~11:45(第2、4週)8/8・8/22・9/12・9/26

④ 土曜 14:00~15:30(第2、4週)8/8・8/22・9/12・9/26

⑤ 日曜 朝 10:15~11:45(第1、3週、5週)7/19・8/2・8/16・8/30・9/6・9/20

⑥ 日曜 昼 14:00~15:30(第1、3週、5週)7/19・8/2・8/16・8/30・9/6・9/20

初めての参加の方は、以下URLをご参照ください。申込みや日程変更などもこちらでご案内しています。
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%95%99%E5%AE%A4/

--------

【5】 あとがき

・新宿区の地域センターが感染防止のため、利用時間を変則的なスケジュールで組んでいます。そのためこれまでのような、定例会やワークショップが開けずにいます。8月、9月には、短時間での開催となりますが、リアルのワークショップを再開しようと思っています。

・コロナの中で、からだのレッスンを継続するには、オンラインレッスンを一方の柱とするしかなさそうです。継続して参加できるので、体調が良い感じで安定すると、言ってくれているメンバーもいます。オンライン講座『野口体操を楽しもう』にぜひ気軽にいらして下さい。

・ご覧いただきありがとうございます。月刊でメール通信を発行すること。三日坊主にならないかと心配ながらも、№2を書き終えホッとしています。

・様々な方とレッスンを通じて繋がっていきたいと思っています。メールの転送など、お知り合いの紹介をぜひよろしくお願いします。配信をご希望の方もメールでご連絡ください。

・お便りを頂ければ励みになります。どうぞよろしくお願いします。

--------

レッスンについてのお知らせその他は、人間と演劇研究所ホームページでご案内しています。https://ningen-engeki.jimdo.com/

質問・感想・注文・ご意見などはメールでお願いします。karadazerohonpo@gmail.com

人間と演劇研究所「からだとことばといのちのレッスン」教室
代表 瀬戸嶋 充 ばん


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?