私がチェイサーゲームW2に求めてしまうもの

CGW2、6話まで終了しましたね。
残り2話となりましたが、このタイミングで私がこの作品に求めてしまっているものを昇華しておこうかなと思いnoteを書きます。

この作品が最終回を迎えた後にこれを書くのもなぁと思いまして。

色々な意見が飛びかうシーズン2
視聴する、自分で感じる、他の意見を知る、そのサイクルの中で
作品はどんなメッセージを伝えたいのかな、自分はどう受け取れるのかな
最終回の後に視聴者に残るものってなんだろう
ってたくさん考えながら見ちゃいますね。
私の独断と偏見のもと、最終回後にこんな事が伝わったらいいのにな〜を書いときます。
いち視聴者が勝手に。

公式こそが正義、が私の作品の楽しみ方なので
ここに述べる事とこの作品に距離があったとしても私は全然構いません。



本題に入る前にちょっと6話の大学生いつふゆの話しても良いです?

もう大学生樹のわんぱくなこと!笑
一緒にお泊まりしたいの前面に押し出してくるとことか、風邪引いて看病してもらってたと思ったら体温交わっちゃったとか、可愛い彼女ほっといてゲームに没頭したりとか!とか!!!
先に述べたように、公式が正義、が私の流儀なので
わ〜!シーズン1の春本樹像、ちょっと解釈を間違えてたかも!!
大学時代にこんなにわんぱくした後に大人になってたんだな〜!!
そりゃ冬雨も職場やカフェでキス求めても勝算全然あるよな〜!!!!
ってか春本樹、おもしれー女!!!
もっとあなたのこと知りたい!!

みたいな感じで見てました。

あんなわんぱくが
恋人の母親の一言で自ら恋路を断ち、恋愛から自分を遠ざけるように仕事に打ち込み
クローゼットで生きて27歳になったのがシーズン1の春本樹だったんだなぁ
そう思うと、またシーズン1も見返したくなりました。

私の中でのイメージが
誰に聞いてもみんながみんな良い人っていう春本さん。こんな人滅多におらん。
から
大学時代から知ってる、ちょっとおもろい友達の樹ちゃんに変わりました。


話それましたね、本題いきます。

私がCGWに求めているものは無知の知です。


私は同性同士で生きていくことを諦めてマジョリティのふりをして生きている、既婚子持ちのレズビアンです。
この作品を見ていて、私が昔悩んでいた時代からは確実に変わっているよな〜と感じます。

同性のパートナー探しのアプリを勧めてくる元同僚だったり、SNSでレズビアンである事を告白するインフルエンサーが賞賛を受けてたり。

今の若い世代は多様性に対し明るく、昔より偏見がないという話も実際に聞きます。


あなた達は同性カップルなんだね、自分らしく生きてね、私たちと何も変わらないよ。
とマジョリティの人も思っていたりする。
時代はここまでは進んできてると思うんですよ。


でも、そこに存在することを認めてくれてはいても
社会から同じ権利が貰えていない事はしっかり見えてますか?

会社も、自治体も、国も、法律も、同性パートナーを夫婦と同様に扱い、守ってくれてますか?
同じ土俵に立ててますか?

実際、同性同士が今の社会で一緒に生きていくとどんな事が起こって、どのように生涯を過ごしていくのか、どこまで知ってますか?

私は、その点に関して私自身の解像度がめちゃくちゃ低いと思います。問題に直面する前の段階で打ちひしがれてしまったので、その先を知りません。

セクシャルマイノリティに肯定的であっても、その人達の生き方はどこか切り離された別世界にあるように遠い。
ほんとは同じ今を生きているのに、見えない。

自分が知らないという事を自覚していない人が大多数だと思います。


なのであと2話、言い方が悪いかもしれないんですが
2人には社会に徹底的に打ちのめされてくれないかな
と私は思ってます。


シーズン2では、樹と冬雨の2人は周りの後押しがないと前に進めないし、シーズン1とは違い大雑把に言うと弱い印象を受けます。
私もシーズン2が始まる前は、どんな困難がきても2人で力を合わせて幸せ掴んでくれ!と思っていました。
でも視聴を続けるうちに、この2人がそんな風に2人で幸せ掴めたら、今の日本でもなんとか生きていけちゃうじゃん。と思うようになりました。

経済的に自立してて、社会的地位もそれぞれが確立できてて、1人で立てるけど一緒にいたい大切な人と過ごすのであれば、今の日本にも同じ人達はきっとたくさんいます。
それはもう、存在を認められつつある知っているものです。
「自分達の自由にしてね、私たち(マジョリティ)もなんとも思ってないし。」
くらいの感覚でも全然おかしくないと思います。

でも2人はきっとそうじゃない風に描かれているのだと私は受け取っています。

シーズン2でどこか親近感の沸いた、大学時代の知り合いみたいな樹ちゃんが
子持ちの同性パートナーと生きていきたいと思ったらとんでもない大変な事になってる。

身近にいるごくごく普通に生きてる友達が、マジョリティだと困らないであろう問題に直面してるのおかしくないですか?パートナーが同性ってだけで。
同性パートナーと一緒にいたいならこの問題は越えてこいよ、っておかしくないですか?
自分が自分らしく生きていくのは当然の権利のはずなのに、異性か同性かによって与えられる権利が違うのなら、そこに自由な選択はありません。
私は自分の子供が、同性パートナーと一緒に生きていきたいと言ったとしたら
「その道はとても険しいけれど、それでも進む?」なんて絶対言いたくないし思いたくありません。
セクシャルマイノリティが苦労しないと幸せが得られない存在なのはおかしい。

樹さん、冬雨さん、月さん
存分に困って、とてもとても可哀想な思いをしてください。
できればリアリティあるものでお願いします。
大丈夫です、この物語はフィクションで3人は実在しません。
未来の、実在するかもしれない3人のような家族のためにどうか階段の一段目になってください。

へ〜知らなかったな、と思わせてください。
認めているつもりで、自分たちと同じではなかったんだな、って気付かせてください。

みんなに愛されている樹と冬雨だからこそ、そう思ってくれる人がいるかもしれません。

知らないを知る、が第一歩
最終回後にそんな事が残ればいいな、という私の願望です。



最初に述べたように、私の願望とCGW2のメッセージに距離があったとしても全然問題ないです。

この作品は
これだけ議論が湧いて、賛否両論あって、みんなの頭の中に残っているだけで
十分に階段の1段目で、ファーストペンギンです。

別のペンギンが続いてくれます。


私は樹と冬雨が大好きです。
最後の最後は絶対幸せになってね。

おしまい。

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