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佐賀・長崎県旅行でなんかよかったこと

 2024年12月7日と翌日12月8日の一泊二日で佐賀と長崎への旅行に行ってきた。

 その際感じた「なんかいい感じのこと」をいつでも見返せるようにしたらなんか今後の創作のあれにいい感じに役に立つのではないかと思ってまとめることとする。

 よって、「ばえ」を狙った写真というよりは私の感性をくすぐった感じの写真をここには乗せることにしたい。でも、それが世間一般的にいう「ばえる」構図と同じような写真であったりすることもあると思うし、何ならそうなる可能性が高いと思うが、それならそれで、私の感性はへんちくりんでなく、私の創作物は世間一般の受けが良いと考え、乗り切ることとする。
 現在私は、ツイッターとnoteで小説を連載しようと考えており、そのストックをせっせと書き留めている真っ最中なのだ。

 なお「なんかいい感じのこと」は「エモい」という風に言い換えることもできると思うが、私としてはそのような単語は何か軟弱で言葉としての滋養がないように感じられるので、使わないこととする。さらに関係ないが「推し」という言葉も「エモい」同様の匂いが感じられるので私は使っていない。
 「ばえ」も私の中で同様の扱いだが、今回使用したのは、私が時と場合によって考えを変えたり、考えは決して変えないけれど心の中であっかんべーしながら行動は変えることも良しとする私の柔軟性の高さに起因する。

 ちなみに、私の嫌いなことわざは「長い物には巻かれよ」である。

一日目 佐賀

吉野ヶ里遺跡

 吉野ヶ里遺跡には車で行った。高速道路をせっせと走って行った。

 高速道路を走っていると鳥栖や佐賀市などが見られるわけであるが、これが広い平地でいい感じだった。平地は田んぼとか畑とかがあって土地の使い方がゆったりしていて懐が広い感じもしそうでいいし、朝焼けも夕焼けも見れそうな感じなのが私の中で高ポイントな点である。

 そもそも私は平野で生まれているので、平野に過ごすというのはしっくりする感じがある。

 また、夜の高速道路で山間の道を走っているさなか、パッと平野が見えたりすると、その細かな明かりの数々から人の営みを大いに感じてほっとするといったこともあるので、そういう面においても私は平野が好きなのである。

 私は生まれてこの方訪れたこと、もしくは、住んだことがない場所は佐賀県と長崎県と高知県と和歌山県しかない。

 故に、佐賀に明るくないので、佐賀の観光スポットは吉野ヶ里遺跡しかないのではないかと考えているところがある。そもそも今回の目的が行ったことのない佐賀と長崎にいってみようかしらんという思いつきからである。
 私が吉野ヶ里遺跡に訪れることになったのは必然のことだ。

 吉野ヶ里遺跡は畑の真ん中にある。敷地も広いので、たいへん良いところであった。やはり平地は良い。

 子供連れが多いのも良かった。スーパーマーケットとかの生活圏ではない、こういうちょっと特別な場所の子供連れを見るのは良い。
 子供が甲高い声で走って行くところをお父さんやお母さんがニコニコしながらも、転ぶよ、とか注意しているところを見ると家族の愛情を感じてたいへん幸せになる。

 だが、人が多いというわけでもなく、静かに遺跡巡りを楽しむことが出来た。入場無料だったらもっと人がたくさんいたのだろうか。吉野ヶ里遺跡は大きな公園内で管理、維持されている。

 公園内には竪穴式住居や高床式倉庫がいっぱいあり、歴史で習ったところだなぁとか思いながら見た。銅鐸もあって、それをほかの来場人が鳴らしていた。意外と甲高い音でびっくりした。私には銅鐸が鐘であるという認識が一切なかったのだ。あの形状でほかに何に使うのかと昔の私に問いただしてみても良いかもしれない。

 工作コーナーもあり、勾玉を作ったりできるというので興味があったが、私はものぐさなところがあるのでやめた。だが、だれか友人と来ていれば私は体験コーナーで勾玉を作っていたと思う。

 お前へたくそだのなんだの言いながら勾玉を作るのだ。展示を見ながら冗談こいたりするのも楽しそうである。銅鐸を鳴らしてバカみたいなリアクションを取ることは当然やるに決まっている。
 私は一人で旅行に行ったことにより友達と旅行に行くことのすばらしさを知って一人しみじみしたわけである。
 この物悲しい感じは冬の寒さやコナラの木からオレンジに染まったぱっはがさらさらと落ちていく感じとマッチしてなんかいい感じに物思いに耽ることが出来た。

吉野ヶ里遺跡でいい感じだなと思った風景がこれである。

 この風景の良いところはまず晴れているところである。真っ青な空を見るのは幸せなことであり癒し効果が得られるという法則が決まっており、これは仕事中にちらっと青空を見た場合でも適応されるありがたい法則である。

 しかし、仕事中にこういう抜けるような青い空を見ると仕事をやっていることや、この仕事をやっている自分の人生がなんかさみしくむなしいものに感じてくるという危険もはらんでいるのでなんかうまく注意したいところである。

 だが、今回は仕事中ではないしもう仕事の話はしたくないので閑話休題。

 写真の話である。竪穴式住居の手前に草が生い茂っているのが私のこの写真の一番好きなところだ。

 草が生い茂っているところがミソである。

 これによってさわやかなさみしさを感じることが出来る。草が生い茂っているということは「もうそこは人が使っていませんよ」と言われているということなのだ。
 小中学校のグランドに雑草が生えないのは人が沢山その地面を踏みこみ、雑草を生える余地をなくしているということである。

 その、人がいなくなった場所に遺跡がある。これも、もう使われなくなったもの。
 だが、人が使っていたという確かな記録が残されている場所である。この人が確かにいたというのがなんかいい感じにいろいろ想像させていい感じなのである。

 たぶん松尾芭蕉か誰かが『夏草やつわものどもが夢の跡』としみじみ歌うこともうなずける。ただし今は冬である。

 ほかにも、大きな祭壇の一番屋上で巫女が神着をしている様子とか、首なしの遺体の骨が見つかったとかそういうのを見て、これは捜索に使えるわとか思ったりした。

 後、王様の住む家ものぞかせてもらったが、明らかに当時の王様より今の私の方がいい暮らしをしているということが分かった。なんかしみじみした。

嬉野温泉

 佐賀には吉野ヶ里遺跡しかないと思っていたが、嬉野温泉という温泉地もあった。ぬるっとした温泉である。私が止まった宿は風情があり、これが良かった。
 いわゆる和モダンと言った感じの宿だった。

 椅子の一つ一つから、階段の感じや廊下の感じに証明の暗さや部屋の鍵などの細部にまで雰囲気づくりをしっかりしていた。
 廊下で骨董品のミシンやら、なんかいい感じの箪笥が置かれており、私は唸った。

 やはり神は細部に宿るというわけか。

 私は旅行前日、AKIRAを見た。ユーチューブでの無料公開日がその日までだったからである。

 当然かなり面白かった。

 ストーリーとか結末は恥ずかしいことになんかよくわからんと思ったわけであるが、それでも楽しめた。
 世界観がすごいのである。

 そこに金田たちがちゃんと生きていることがわかる感じが良い。

 何をもってして世界観の説得力を持たせているかと言えば、斬新さとかもあると思うが、重要なのはやはり細部までのこだわりであろう。

 皆さんご存じの通り、絵の描写の細かさがとにかく素晴らしいのはもちろんのこと、登場人物たちのしぐさやセリフ、その掛け合いにもこだわりが感じられるのが良い。

 そのおかげで、繊細で細かいあのセル画の世界に金田たちが放り込まれても彼らはそのパワーに負けることなく生き生きと動くことが出来たんだと私は思う。そのほかにも細かなこだわりは多いと思う。

 AKIRAの映画からワンシーンをランダムに止めて、監督ないしは原作者にこのシーンの解説をお願いしますと即興で質問してみても、おそらくその答えが長文で帰ってくるのではないかと思う。

 そんな感じで、旅行前日、細部に神が宿るというのはマジなんだな、と考えていたので、7日に泊った宿がそんな感じだったのは運命感じちゃうわけである。

 おそらく、旅館のオーナーもAKIRAの監督ないしは原作者と同じようなことが出来るに違いない。
 最も、今回切り取るのは映画のワンシーンではなく、旅館のどっか細かいことであるが。

 ご飯もとてもおいしく、やはりというべきか、皿や照明などの細部にもこだわっていて私もつい、お上品に食べてしまうのでありました。
 ああいう和食の味をこの感じのレビューのノリで書くとアホだと思われるのでご飯のレビューについては割愛するがとても良かったとだけ言っておく。

二日目 長崎

ハウステンボス

 二日目はハウステンボスに行った。

 元々ハウステンボスに行った後、中華街とかオランダ坂とか行こうかと思っていたけれど、ハウステンボスと長崎の距離は思ったより遠かったうえ、起きた後、旅館でだらだらしながらユーチューブを見てしまい時間が無くなったので、断念することにした。
 ユーチューブやめたいものである。

 釈然のしない思いをほんの少しだけ抱える羽目になってしまった私であったが、ハウステンボスに入る前にたまたま角煮饅の店があったのでそこで角煮饅を食べた。
 これで長崎で角煮饅を食べることに対する未練が消えたので良しとすることとした。そもそも長崎市にはまたいつか行けばいいのである。

 ハウステンボスは楽しかった。
 正直、新宿御苑くらいの値段で入れるものだと思っていたのでちゃんとテーマパークの価格だったことに驚いたが、ミッフィーの着ぐるみショウとかやっていて納得できたので価格についてはノー問題。

 ハウステンボスは異国情緒で歩いていて楽しい場所であった。

 晴れていてとても良かった。

 子供連れが多いのも良かった。

 ミッフィーたちも子供たちに喜んでもらえるようショウを盛り上げていたので、その様子も美しかった。ミッフィーはあのバツの口で何を食べるかはわからないがさぞ今日の晩飯は美味かったことだろう。子供の思い出に残る仕事をしてごはんが不味いわけがないのだ。

 最近家でうんこする際にはチューリップバブルの本を読んでいるので、ハウステンボスもなぜか私にとってかかわりが深い場所に思えた。ハウステンボス内のトイレでうんこもしたが、それはどうでもいいことである。

 ハウステンボスはオランダをモデルにしているので、チューリップがたくさん咲いているんだろうなぁと思ってワクワクしていたが、咲いていたのはパンジーだった。
 季節によって違うのだろうか。

 だが、パンジーの花壇の近くはほんのりいい匂いがした。
 パンジーはスミレ科の植物であり、スミレ科の植物にニオイタチツボスミレというやつがいることをなんとなく思い出した。
 昔、丹沢でニオイタチツボスミレを発見した際、花を嗅いでみたが、その時は匂いを感じることが出来なかった。

 そのほかバラ園もあった。ヨーロッパらしく、幾何学的になるように株をうまいこと調整していた。もう少しバラの葉が生い茂っているタイミングでその庭も見たかったものである。

 自分へのお土産でなんかいい感じの模様といい感じの色のノートに加えてしおりを二個、それに試食して美味しかったカステラを会社用と私用の二つ買った。なんかいい感じの色のノートは使い道がまったく決まっていないが、なんかいい感じなのでうまい具合に使っていきたい。お土産屋を抜けると異国はおしまいで、あとは現実に帰るのみである。

帰宅時 高速道路にて


 車の中のBGMはクリーン・バンディットのシンフォニーだった。

 クリーン・バンディットのシンフォニーは12月7日のマンチェスターシティ対クリスタルパレス戦の試合開始だか、試合後だか、ハーフタイムだかのどっかのタイミングで流れていた曲であり(ちなみに私はリヴァプールファンであり、12月7日の夜9時半から開始する予定のマージ―サイドダービーを旅館で見ることが出来ると楽しみにしていたわけであるが、天候が悪く試合中止となった。なので、シティ戦は見てない。シティ戦でシンフォニーが流れているのは朝起きてから見たハイライトで知った。ハイライトはユーチューブにアップされる。ハイライトを見た後、流れでそのままだらだらユーチューブを見てしまったわけである)なんかいい感じの歌だなと思ったのでその日にアップルミュージックにダウンロードした。

 私は洋楽を聞くわけではないが、いくらか好きな曲がある。

 アヴィーチーのウェイク・ミー・アップやザ・ナイト、ファレル・ウィリアムズのハッピーとかは結構聞く。

 シンプルな感じだけど、真に励ましてくれるような感じがして好きなのだ。

 シンフォニーもそんな感じで私が好きな洋楽だったというのもあるが、この帰宅時の高速道路の状況とマリアージュだった。

 まだまだ青さを保つ空の下、山をパッチワーク状に彩るオレンジや赤色に色付いた広葉樹の葉々が、少し弱くなった三時過ぎの日の光を浴びる。

 その優しくて寂しい感じが、シンフォニーのシンプルながら優しい音色の穏やかなイントロに合わさる。

 美しいなと思った。

 そしてこの美しさの源は儚さだと思った。

 まだずっと、こういう景色の中車を走らせてどこまでも一人で行きたいと思った。

 矛盾しているようだが、これを感じたことで旅が終わるのだなと私は思った。旅と言えるほど大層なものではないが、旅が終わるという感じがした。この旅の終わりの美しさを感じて私はこの佐賀と長崎の旅行に来てよかったと思えたわけである。

最後のなんか


 明日から仕事が始まります。

 晴れた時とかに、青空を見て今回の旅のことを思い出そうと思った、とかいう感じで〆るつもりはないけれど、でも、やっぱりいい感じに心に元気をもらえたと思っている。

 それに、今回やってみたいに日々にちょっとであったなんかいい感じのことをまとめていけばうんこぶりぶりの日常もなんかいい感じになるかもわからん。

 次回以降はもっと短い文章になると思うけれど、こういう風に日々の良い感じのことをまとめてデータベース化していくのは良いことだと思った。


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