【人生イージーモードに移行するためのマガジン、最終話】幸せなあなたに、さようなら

(こちらはマガジンに追加していた記事ですが、マガジン停止のタイミングの問題で読めなくなってしまっておりました。すでに購入してくださった方もおり迷ったのですが、本編に無関係なお礼部分以外を無料に切り替えます)

さて、今回が最後です。

私はこの連載で、みんなを救おうと思ってました。かつての自分のように悩んでいる誰かを、幸せにしようと思ってました。

自分なりに得たコツのようなものを伝えることで、それが出来ると思ってた。

それは別に間違いではなかったし、我ながらよく書けた記事も沢山ありました。

しかし、幸せとは何であるかを語ろうとすればするほど、その核心をつかもうとすればするほど、矛盾に気がつくようになりました。

というのも、幸せについて考えて考えた末に少しずつ、
「幸せであるということは、どこまでも主観的である」ということがわかってきたからです。
他人がどう言おうと、誰がどう評価しようと、私がこうであるという感覚、これが幸福であるという感動、確信に身を任せること。
もっともっと簡単に言えば、
「人の目・人の意見を気にしないこと」であり、
「誰よりも自分の声をいちばんに聞く」ことなのです。

自分の好きな食べ物を他人に聞く必要がどこにあるでしょう。
あなたが食べて美味しいと思ったもの、それがあなたの好きなものです。

同じように、あなたが「これが幸せだ」と思ったものが、あなたにとっての幸せなのです。他人は何も関係ない。であるならば、幸せは私が「教えられる」ものであるはずがありません。

あなたが聞くべきはあなた自身の声であり、私の声ではない。
私の言うことなんか、大切なはずがない。

私の話なんかいいから、自分の声を聞いてください。どうか根気強く。
もちろん、たったそれだけのことが、なかなかに難しいのだけれどね。


世間一般に言われる幸せの形は、色々あります。
金持ちになること。
名声を得ること。
恋すること。
結婚すること。
子どもを持つこと。

こうした「テンプレ的幸せ」を求めることで苦しんでいる人が大勢います。
また逆に、こうした「テンプレ的幸せ」を手にしていながら、それでも幸せになれないことに混乱し悩む人も大勢います。

そうして「テンプレ」に苦しめられた人たちは、テンプレから逃れる為に「別のテンプレ」を求めてしまいがちです。

金持ちは幸せじゃない、貧しさこそ幸福だという話を、名声は不幸、目立たず穏やかな暮らしこそ幸福だという話を、恋は地獄、結婚は墓場、子どもは苦労の元、孤独こそ自由で幸福だという話を集め、それを新しいテンプレとして採用しようとする。

しかし、苦しみはなくなりません。
なぜなら苦しみの原因は、間違った考え方にあるのではなく、「外側に答えを求める心」にあるからです。

あなたの気持ちを代弁してくれる誰かを探さないでください。
あなたに幸せのあり方を教えてくれる言葉を探さないでください。
あなたを称えてくれる誰か、あなたに存在理由を与えてくれる何かを探さないでください。
その「外側に答えを求める心」そのものが、「外側にそうと決めてもらわなければ答えがわからないあなた」を生み出していることに気付いてください。

「恵みを求める心」が、あなたを「持たざる者」にしてしまうのです。

「愛を求める心」があなたを寂しい人にし、「豊かさを求める心」があなたを貧しい人にし、「幸せになりたい心」があなたを不幸にするのです。

求めないでください、探さないでください。
それがたった今あなたの手の中にあることを認めてください。
愛も豊かさも幸福も、なにもかも、たった今あなたの中に。
それはある。必ずそこにある。

「いや、私はそれを持っていない。なぜなら…」
そのなぜならの先にあるのは、いつだって他人の意見とか、客観的データとかそういうものであるに違いありません。私たちは、主観を徹底的に無駄なものとし、データや他人の意見を採用するのが当然だと信じ込まされてきたから。

しかし繰り返します。他人やデータにあなたのあり方を決めさせるというその姿勢こそが、つまづきで、間違いなのです。

あなたが決めたなら、それがあなたの答え。
あなたの決定にしか力はない。
他人がどう言おうと、どんなデータがあろうと、客観的にどうであろうと、何億人がNOを言おうと、あなたがYESといえば、それはYESになる。いや、YESである。のです。
断言しますが、これが嘘であると思い続けるかぎり、人は決して幸福になれない。

あなたが決めるんです。なにもかも。
あなたが決められる、あなたしか決められない。
これまでもずっとずっと、あなたが決めてきたのだから。

幸せだと決めてください。その力強い決定だけが、あなたを本当に幸せにする。
この言葉が真実であるかどうかを、確かめようとしないでください。
確かめようとする行為が、これを嘘にするから。

ただ静かに、冷静に、こともなげに、知ってください、動かぬ事実として。
あなたが幸せだと決めるとき、あなたは幸せになる。


もちろん、否定したくなるあれこれの理由がそこにはあるでしょう。
あなたを苦しめること、苦しませるもの、思い通りにならないこと、決して戻ってこないもの、決して手に入らない未来…
その全てから目をそらさずに、それでもなお幸せなのだと「決めて」ください。
幸せを決めれば、その根拠は必ずあなたの目の前に現れてきます。

あんな×なこともこんな△なこともあるけど、ご飯を食べて毎日寝る場所があるから、幸せでしょ?満足しなさい、なんて話をしてるのではありません。減点もあるけど、加点もあるから、プラマイちょいプラでしょ?なんて話でもない。
×や△があろうがなかろうが、いやむしろ×や△があるからこそまさに幸せだと、そう決めてくださいということです。

いやいや、罵声を浴びせられても心身を痛めつけられてもニヤニヤ笑えと行ってるんじゃないですよ。罵声を浴びて腹立つならうるせー黙れと言って怒ればいいし、心身を痛めつけられたら逃げましょう。愚痴もいっぱい言っていいし、なにを嫌いになってもいい。嫌いなやつと喧嘩して、イヤなことは全力で拒否して、自然なあなたのままでいていい。怒って、怒って、怒りまくって、怒鳴って、叫んで、暴れ回ってやればいい(怪我には気をつけてね。あと、ほかの人にも怪我させないであげて)。

そしてまた、上を目指すなとか、欲を消せと言ってるのでもないです。むしろもっと欲しがりましょう。使い切れないほどの大金も、鬱陶しいほどのチヤホヤも名声も、世界一の美貌も、欲しければ素直に欲しがりゃいいのです。欲しいよね?素敵だもん!ほしいほしい!いらなくなったら捨てりゃいいんだから、怖がらずにほしがればいいんです。

ただ、そうやって自然のあなたのままで、いろいろ起きてくるその毎日を「幸せだ」とするのです。
決して「不幸だ」としないのです。

外側で起きている現象と、あなたの幸不幸を結びつけないでください。
なにがあろうと、幸せであることはまちがいないことだ。としてください。

「外側をコントロールして、内側を変える」のは不可能です。
「内側をコントールして、外側を変える」ことだけが可能です。

内側のコントロールとは、幸せであるか、不幸であるかの二択です。
あなたはずっと後者を選んできたけど、前者を選んでください。

選べるものだなんて、知らなかったでしょう(わたしは全然しらなかったよ!)。選べるんですよ。
これまでのあなたは、私は、外側で選んで、内側の変化を待っていた。
これを完全にひっくり返すのです。内側で選んで、外側の変化を待つ。

あなたがちょいと選べば、全てがちょいと終わる。
だから私の言葉は絶対にどう考えても、100%必要ない!
具体的に話せって?これがMAX具体的です!「それでも私は幸せだ」「私は幸せをえらぶ」と、そう心の中でつぶやく必要さえない。私は幸せだと、決めるだけ。それだけ!
たったそれだけ。

さようなら、はじめから完璧なあなた!
さようなら、はじめから幸せなあなた!
これからも完璧なあなたとして、完璧な世界で、幸せでいてください。
愛してます。さようなら。


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