幸せになる方法なんて、本当はあなたはわかっている
あなたはあなた自身を、どんな人間だと思っていますか。
長所や短所、いろんな特徴を挙げることができるでしょう。
あなたは自分を嫌いかもしれないし、嫌いだった過去を持っているのかもしれない。自分を好きになろうとしているかもしれない、愛そうとしようとしているのかもしれない。自分を褒めてやりたいとか、認めてやりたいと思っているかもしれない。
私もこれまで、自分を愛そうね、という話をいっぱいしてきました。
してきましたが、もはや最近は、それすらもどうでもいいことなんじゃないかと感じています。いや正直、どうでもいいと確信しています。あなたは何もする必要がない、あなた自身を愛する必要さえない。そして何より大事なことは、あなたはどのような形でも、苦しむ必要なんか全くないということです。
あなたが一体どんな人間であるとしても、それはそうなるべくしてそうなったことなのであり、あえて言うなら、「そうあるべき」だからそうあるのです。あなたも、あなたが幼い頃周りにいた大人も、誰も、そのことについて責任を負う必要はないのだと、今の私はそう思っています。
明日が晴れだからという理由で、罰せられるべき人がいるでしょうか?
明日が雨だからという理由で、責められるべき人はいるでしょうか?
あなたがいかに優しい人間であろうと、いかに自分勝手な人間であろうと、それはそういうものなのであり、そういうものであるということは、そういうものであるべきだということです。晴れの日には晴れの日の、雨の日には雨の日の必然がある。あなたには、あなた自身である必然性があるのです。
お前は違うものであるべきだ、お前がお前であることは恥ずかしいことだと、いつか誰かがあなたに言ったかもしれません。そこからあなたは、あなた自身であることに罪悪感を覚え、苦しみを深めてきたのかもしれない。
しかし、その誰かのその不用意な発言さえも、その無神経な人格さえも、そしてそれが生んだあなたの苦しみさえも、そうあるべくしてそうあったのだから、責める必要も悔やむ必要も何もない。
あなたは悪くない。そして、あいつも悪くないのです。誰も悪くないのです。
それでいてなお、あなたが誰かを憎んでしまう気持ち、あいつが悪いんだと思い込んでしまう気持ち、あなた自身を責めてしまう気持ちも、それもまた同時に、そのままで正解なのです。
あなたの人生に、何一つ間違ったことなど起きていない。
あなたはただの一回も、ミスなんてしていない。
だからあなたは何一つ、罪を背負ってなどいません。
あなたは生まれ、時に喜び、時に苦しんできました。あなたは苦しみから逃れようともがき、喜びを得ようと自分を奮い立たせてはまたつまづき、気が狂いそうなほど苦しい夜を幾たびも超えて、再び人生を楽観したり悲観したりしながら、今日この日まで生きてきました。
あなたはずっと、正解を見つけようとしてきたかもしれない。ただしい方法、ただしい道。ただしい答えを、探して彷徨ってきたかもしれない。
けれども、あなたは決して正解にたどり着くことなんてできない。それがあまりにも遠いからではない。まったく逆です。それはあまりにも、あなた自身よりも、あなたのそばにいるからです。どれほど探そうとも、あなたは決して正解から離れられない。
正解の方がいつだってあなたを追いかけ、そして毎瞬毎瞬、まちがいなくあなたに追いつき、ずっとそばにいるのです。幸せの青い鳥は探すものではない。それはいつもあなたについて回るものだから。
正解を決めるのはあなただから、答えを決めるのはあなただから、人生にルールブックなんかいらない。ヒントも啓発もいらない。
私の言葉に意味なんてない。あらゆる言葉に意味なんてない。あなたがあなたに語りかける言葉にも、意味なんてない。
あなたを阻む壁はただの扉である
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