「露熊プロジェクト」を育てた「昔の遊び」
大きく育った「露熊プロジェクト」は、大人になった子どもたちから生まれた!
社会に出て、もまれて、苦労して、泣いて笑った会社人生も一区切りして、まだまだ若い(つもりの)おじさん達は昔よく行っていた遊び場、「露熊山峡」を訪れた。
半世紀近くを経て訪れたそこは、ただただ懐かしかった…
少年の頃に戻れたような愉快さを、確かに感じた。
また来たい! 友人も連れて来たい! 子どもたちにも訪れてもらいたい!
素直にそう、思った。
集落の人たちに声をかけたら、「俺も、私も、ワシも…」と同じ想いを持っていた人たちが集まってきた。
多くが集まれば、多くのことができる。 想像以上の仕事ができて、周りをどんどん巻き込んでいった。
活動が自然に大きくなっていったのには、かなり驚いた。
幼き日、
集落向かいにそびえる山(地元ではブナタイと呼ばれる)は、雪が消え始める春先に登って、残雪に尻をついて滑り降りた。
夕方家に帰ると、全身びしょ濡れだった。
山峡には奇岩が多くあって、その中でも細く高くそびえる奇岩(我らはカモ岩と呼んでいた)には、ロッククライミング宜しく、頂上までよじ登っていた。
当然、落ちたらタダでは済まなかったろう…
シバリと呼ばれる「露熊川」では魚を追いかけ、奇岩「鍋岩」では太古の貝の化石を夢中で探した。
そんな遊び場だったところが、いつの間にか「景勝地」と呼ばれていたことを、ついぞ知らなかった。
相当な資金が投入されて、観光地化が計られたのだと言うが、年月はそれらを“廃墟“にして、僕らの目の前に現わした。
ただの自然の遊び場だったのに…
だから…
「露熊プロジェクト」は、景勝地復活は目指さない。
“遊び場“の復活を目指すだけ。 昔の子どもも今の子どもも、気楽に昔のように遊びに行けて、大自然を感じる場所にしたい!
そうなれば、他所から来た方はそこを「景勝地」と呼んでくれるのかもしれないが…
今年初めて行った「露熊プロジェクト」の活動は、その夢の実現にかなり近づくことができたと思う。
ご年配なられた先輩、同世代の先輩同輩後輩、若者、移住者、応援の女性陣などが広く参集してできた活動となって、持続しよう!というコンセンサスも生まれた。
これは持続できる! と確信した初年度となって、素直に嬉しい!
いくつになっても、幼き頃の原体験は身体に残っていて、それの追体験はおそらく誰もがやってみたいことだと思う。
それができたことは、幸せな還暦の年だったと思う。
感謝です!
コロナやら自粛やらもあった、2020年の漢字は 「密」 と決まったようです。
自分にとっては、良い意味の「濃密」な年! でした。 完
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