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鏡像崇拝感想 超遲刻部 後篇 考察&感想編

(12/9/2024 一部加筆と一部演出の変更)
皆さん、お久しぶりです。カッパ/河童で申します。
私事で申し訳ありませんが、後編がなかなか進まず、気がつけばライブからもう10日が経ってしまいました。前編を見ていない人はここを先に見てもいいですが、見なくても大丈夫です。


当時のライブの内容を皆さんは覚えているでしょうか?さて、後編は考察&感想編です……うーん、こうしましょうか。

8月31日には何も起こらなかった、いいですか?

0.夏の集団幻覚說

「え?」混乱している人がいるかもしれませんが、まずは私が説明します。

まず、来なかった人に対して、ライブは録画されておらず、現時点で振り返り配信もありません。多くの人が真実を知りたいと思っているにもかかわらず、何の反応もありません。来なかった人にとっては、物販やオンラインストアの更新を除けば、「熱異常」のカバー通知しかありません。何が起こったのかを探るよりも、実際には何も起こっていないのかもしれません。8月31日に渋谷公会堂で起こったことは、他の人のライブ記録の中の蜃気楼に過ぎませんただ思考の中心にある熱異常に過ぎないのです

そして、来た人にとっては、賛否両論の意見が多い。「楽曲の表現は素晴らしい」、「メッセージ性が非常に強い」、「まるで大規模な演劇を見ているようだ」と言う人もいれば、反対に「ライブの意図が不明」、「後半のセットリストはあまりにも抑圧的で、雰囲気が少し奇妙だ」、「ゲストは素晴らしいが、なくるさんのソロライブの中でゲストのソロを行うのは、本来の趣旨から外れている」といった意見もあり、Xやnotesなどのプラットフォームで様々な意見が飛び交っている。私はこれが良いことだと思う。議論や適度な対立が進歩をもたらし、様々な意見を吸収することで、次回のライブがさらに素晴らしいものになる。まさになくるさんが言ったように、自由に消費すればいい。

各自が理想の「藍月なくる」を抱きしめ、筆戦を始める様子は、まるで歴史の中、宗教的対立によって起こった出来事のよう。十字軍の遠征、異端審問、キリスト教徒の迫害など、ただ崇拝の対象が異なるだけ、宗教が異なるだけで、互いに攻撃し、時には殺し合う事件が起こる。これは演者が望んでいることではありませんが、思わず「鏡像崇拝」というテーマと非常に関連していると感じさせられ、非常に感心しています。さて、そんなに多くの「藍月なくる」がいるなら、実際に私たちが見ているものはすべて幻影であり、実際には8月31日に、私たちはただ一緒に食事をするために集まっただけで、集団幻影が一緒に渋谷に行っただけで、8月31日の渋谷公会堂では何も起こらなかったのではないか台風10号の影響でライブが延期されたという仮説も不思議ではないだろう

「なくちゃの演出は、私の心の中のなくちゃとは違う、間違いない、それは幻影だ!絶対に偽物だ!」
もしかしたら来なかった人と同じように、私たちが見ているのもただの蜃気楼かもしれない。

「明晰な幻覚」(Lucid Hallucination)、見ているのはすべて幻覚だ、そう、ただの明晰夢だ。
「知ラヌガ仏トハ
トッテモ素敵ナ言葉ダコト」

考察することに意味はない。なくるさんが言ったように、何も考えずにただ音楽を聴けばいい。
そう、こうして座って世界観に浸りながら、ゆっくりと目を閉じる……無知こそが最大の幸福だ。

シナリオクリアです、お疲れ様でした。
Fin.
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……まだ見てるの?シナリオはもうクリアしたのに、何を求めているの?
真実ですか?
この舞台には真実はなく、真実は演者だけが知っている、残るのはそれぞれの人の考察だけです。明らかに見えているのは集団幻影ですが、誰もが自分が見たもの、自分が思った幻影を必死に描写しています。また、言っておくと、考察を続けることは必ずしも楽しいことではありません。掘り下げれば掘り下げるほど、バッドエンドに近づくことがあるかもしれません。多くのTRPGシナリオやフリーホラーゲームと同様に、「振り返って逃げる、真実から背を向ける」というルートが常にあります。少なくとも何も知らないことは、探索者や主人公にとって決してバッドエンドではありません。

考察は、不健康なものを食べるのと同じように、過剰は無益です。

……それなら、なぜ続けて書くのか?もちろん、好きだからだよ。好きな食べ物、好きな歌、たとえそれが不健康ても、たとえそれが無益でも、それがどうしたというの?私は好きなんだ

この茶番を見ているあなたは、このライブが好きだからこそ、もっと見たいと思っているのでしょう。

それでは始めましょう。たとえ私が見ているのが幻影であっても、それは私の心の中で唯一の鏡像崇拝です。

(以上、大半は茶番です。本当に申し訳ありません。)

1.まずは状況を説明して

まず大前提として、なくちゃ公式の方ではまだ何の反応もなく、このライブには存在しないの雰囲気。演出に関しては非常に尽力していると言えるでしょう。一方で、入場する観客にとっては、自由な考察を行うことを妨げるものはなく、まるで私たちが何かの記録を書くことを望んでいるかのように、「自分が見た幻影を必死に描写する」ことになります。

まず、このライブで何が起こったのかから始めましょう。少し遅れましたが、本記事内のすべては私の考察と推測です。理論的な根拠があっても、解釈の不一致や視点の違いが生じる可能性がありますので、ご了承ください。

まずはセットリストから分析を始めましょう。今回のライブは、セットリストを利用して大規模な演劇であり、ミュージカルのように、各曲目が物語の一部を表しています。MCパートにはアドリブがあることを考慮して、まずはMCパートを研究せず、セットリストだけを分析しましょう。

まずは超簡単な方法で説明するということ

1.Defective
なくる(概念)の死の中から生まれたなくる(鏡像)
2.Mirroring Mirage
鏡像なくるの嘲笑、「神」(観客)を嘲笑っている
3.Evil bubble
鏡像なくるの自己紹介、許されざる存在
4.片翼のディザイア
鏡像なくるの願いは、「神」と共に楽園へ向かうことです
5.聖少女領域
鏡像なくるは本物のなくるになりたいと思い、創世記を行い、新しい楽園を作り出そうとしています
6.君よ
鏡像なくると自分で作った自動人形(ここではアダムとイブとして説明します)が楽園に住んでいます
7.禁断の愛と魔剣
失敗した。その中の一体の自動人形が悪魔(蛇)で、イブを誘惑して禁断の果実を食べさせ(自分の主人を刺殺する)、楽園は崩壊した
8.Son macabre(棗いつき)
悪魔(蛇)の独白
(衣装もテーマに合っています。本当に豪華すぎる……一度きりなのは本当に残念です……ぜひもう一度着る機会を探してください……
業は深すぎる……
なくるさん,あなた様のセンスは最高です!
まだベルトをもう少しきつく締めるのことはおすすめの𝐧𝐚𝐭𝐬𝐮𝐦𝐢さん
(出典)
すごすぎる……(絶句
ただ、やはり少し緩めた方がいいですね……)

9.Vacancy(nayuta)
主人を失った自動人形の虚しい独白
(この点について、Nayutaさんの配信を聴いた後、さらに確信を持ちました。曲目はなくるさん自身が選んだもので、テーマは虚無と空虚感です。)
9.5.彼の悪魔は愛を嘯く
「楽園の建設は失敗し、堕天したが、今の私は本当の「藍月なくる」であり、「神」に近づくことができればそれでいい!」
10.ヘヴンリィ
失敗した。一緒に天に昇った、もう一度やろう。
11.Fragile Utopia
失敗した。焼き死んだ、もう一度やろう。
12.唾と蜜
失敗した。融合して崩壊した、もう一度やろう。
13.ねぇ、ダーリン?
失敗した。一緒に死んで、もう一度やろう。
14.オッドアイ・リリィ
失敗した。見捨てられた、もう一度……?
15.ガラスアゲハ
鏡像なくるの理想は、自由を渇望しながらも、標本として扱われ、最も美しい状態を永遠に保たれることを望んでいる
16.Lucid Hallucination
鏡像なくるの現実、届かない悲恋
17.mirror
最後の試みでも、鏡の向こう側(概念なくるや「神」)と互いに理解し合うことはできなかった
18.Monodrate
鏡像なくるの慟哭、最後の懺悔最後の怨恨
19.テアトル・エンドロール(鏡像崇拝Ver.)
たとえそうであっても、自己を生み出した概念なくるに何かを言いたい。何かの痕跡を残したい何も残さない
19.5.空の玉座
概念なくるは死に、鏡像なくるは去り、空っぽの玉座だけが残っている。

ね、かんたんでしょ?(チュウニペンギン)

……そう言いたいところですが、やはり少し説明が必要です。

簡単に言うと、このステージは鏡像なくるの一生を表しています。誕生、憧れ、堕天、努力、失敗、理解、後悔、受け入れ、そして最後に去っていく。
「そして誰もいなくなった」
バッドエンドになりました、お疲れ様でした。

ここで最も語るの曲は2つあり、それぞれMonodrateとテアトル・エンドロールです。

Monodrateは本来Oxydlateへの懺悔の曲ですが、ここに置くと、私は思わず鏡像のように考えてしまいます。つまり、その意味を逆転させ、純粋に歌詞から叫びの恨みを聞き取るのです。この恨みは何に対するものなのでしょうか?私たちに対して?それとも概念なくるに対して?私はどちらでもないと思います。「誰を恨めばいいのか」、これは自分の誕生に対する恨みだと思います。誰もがこの時期を経験する可能性があるでしょう。「なぜ私を生み出したのか?なぜ私はこの世に誕生したのか?」もし最後に痛みしかないのなら、最初から生まれない方がどれほど良かったか。概念なくるの崩壊が、鏡像なくるを生み出したのです。つまり、これは望まれない誕生なのです。
しかし、これは完全に悔いの意味がないということですか?鏡像ちゃんはとても痛いので、全く悔いを感じず、自分の生まれを恨むだけなのでしょうか?いいえ、ただこれは後で説明させてください。

「貴方が 地獄に 落ちるなら
何でもよかった ああ あああ」

ただ言わせてもらうと、この曲をライブの最後の一曲に選ぶのは本当に勇気があるし……悪意がある(もちろん褒め言葉としての意味で)、1stの最後は言葉で私たちに一生の約束を与えてくれた……いや、なくるスタイルで言うなら「呪い」だ。そして今回の2ndは音楽で私たちに新しい「呪い」をもたらし、一生忘れられない呪いを与えてくれた。

その後はテアトル・エンドロールですが、正直に言うと、本当に不思議です。前篇でも述べたように、この曲の歌詞はほとんど変更されておらず、音調だけが変わったのですが、それでもまったく新しい感覚の曲になっています。現在の「藍月なくる」を表現しています。そして今回のライブバージョンは、鏡像なくるにもう存在しないの概念なくるに対する一種の訴えのようなもので、「自分は悪い人だ」と自分が言うことと、他の人が「あなたは悪い人だ」と言うことの違いのようなものです。申し訳ありませんが、ここでの表現は少し曖昧ですが、これ以上の形容は思いつきませんでした……

したがって、旧バージョンのこの曲は今までの軌跡を歌っているようなもので、そして盛大な幕引きを迎えます。しかし、他の人の視点で歌うと、それは別れの曲に変わります。これが、私が旧バージョンを「軌跡を残す」と感じ、新バージョンを「その軌跡に別れを告げる」と思う理由です。

ただし結論として言えば、新バージョンも一種の自嘲に過ぎません……この点はMonodrateと同じですので、後で詳しくお話しします。

追加:先に言及したMCパートについて、この部分がセットリストの意味を明確化と思います。物語を見るときの導入のようなもので、もちろんはっきりとは言及されていないので、この部分は参考程度に見ておけば良いと思います。

MC1:鏡像なくるが舞台を乗っ取り、概念なくるの退場、そしてより大きな悪意(後述)

MC2:らぷりの双子人形が登場、MC部分はおそらくストーリーとは直接関係ありません。

MC3:今回は概念ちゃんを一時休憩とできないため、この部分は実際には衣装替えの部分と休憩の部分と見なす。

MC4:鏡像なくるの違和感を引き出し、2ヶ月前のアンケートの隠された意図(後述)

MC5:アゲハ標本の問題は、セットリストの連続バッドエンドラッシュと区別され、鏡像なくるの自白部分に突入します。

MC6:Monodrateの布陣であり、夏の終わりの曲でもあり、また鏡像崇拝意味の帰結点でもあります。あまり多くは語らず、歌詞を通じて意味を引き出しています。

MC7:商品紹介、集合写真、新情報公開などのセクションを除いて、最も伝えたい意味は「みんな疲れているし、もういいや!みんな何も考えずに、ただ聴いていればいい。」ということです。
「君たちが私をどうすることも自由だよ。私を愛してもいいし、穢してもいいし、私で満たしてもいいし、消費してもいいし。」
鏡像なくるの主義は、今回のライブの表タイトルにも表れており、オタクたちの思考を刺激します。

MCパート大雑把はこんな感じ。

2.バッドエンドは回避できますか?

ここで、少し話題を変えましょう。今回のテーマはバッドエンドですが、実際にはこれを回避することができるのでしょうか?答えは肯定的です。ただ、私たちは失敗してしまったのです。

まず最初の転機はここにあると思います。そう、またこのアンケートです。

既に藍月なくるの未来を変えると言っているのだから、ここでボブを選べば、今回の未来も変わるのではないでしょうか?
……残念ながら私たちは失敗しましたが、考えてみれば、美しい長い髪を切るのは本当に罪深いことです。私はそれができません……!たとえもう一度やり直すことになっても、ボブに選べはできません……!だからこの失敗は仕方がない、次の転機を待ちましょう……!

そして、第二の転機はMC1であり、これはおそらく最も重要なものです。
概念なくるが倒れた後、鏡像なくるが私たちにどうするかを尋ねてきました。私たちの答えは隠蔽でした。実際、ここまででも問題はありません。重要なのは、その後概念なくるが場から運び出される時です。

私たちは笑った。

ここで少し中断します、なぜ前に観客は神であると述べたのかを考えてみましょう。よく考えると、私たちは神の視点でこのライブを観察しています。たとえ途中で演者と対話があったとしても、私たちはライブの大きな流れに干渉することはできません。私たちは神の視点でこの演劇の終末を観察しているようなものです

ここに来て理解できましたか?そうです、

「神は藍月なくるの死と退場を嘲笑っている」

もしそう考えるなら、より大きな悪意に気づくでしょう。なぜMC1は死体のことをまるでギャグ漫画のように扱うのか、なぜ処理スタッフの服装がわざと笑わせるようになっているのか、すべては「観客(神)が藍月なくるの死を嘲笑う」という構図を形成するためです。

素晴らしいですね、共犯者の皆さん。目の前の現象があまりにも難解なので、「ライブ演出の一部」とか「藍月なくるの悪戯」と理解することにしました、疑いや否定を試みることはありませんでした。結局、私たちは「ライブ演出の一部」になった。この時点で、バッドエンドはほぼ確定しています。なぜ前編で、ライブが終わった後に「Mirroring Mirage」を聴くと罪悪感を感じるのかというと、それはこの事実に気づき、自分の選択がこのバッドエンドに導いている理由を理解したからです。自分が神の視点にいると思っていたのに、知らずのうちにPLとして最悪の決定を下してしまったのです。「Mirroring Mirage」は私たちの結果を反映した歌であり、鏡像ちゃんが私たちを最大限に嘲笑するものであり、いわゆる「愚かで無知な神」です。悪魔とは、もしかしたらMVの鏡の中の私たちを指しているのかもしれません、「悪魔の方が天使ヅラって」

救いはあるのか?残念ながら、もうない。詰みです、お疲れ様でした。最初、私はこのライブが始まる前に、決まっていたバッドエンド一直線の無理ゲーだと思っていました。私たちはかつてチャンスがありましたが、失敗しました。このライブは記録もなく、二度と再演されることはありません。私たちは永遠に贖罪の機会を失いました。これからは「愚かで無知な神」として、結果を見守るしかありません。

結局、私たちが観察したように、らぷりが救済を試みても、鏡像ちゃんが私たちに助けを求めても、すべては失敗に終わり、最終的には観客の手によって、最高で最悪のバッドエンドが誕生しました。楽園はもはや存在せず、残っているのは空っぽの玉座だけです。

「そして誰もいなくなった」

「君のせいだよ」
「おまえのせいだ」

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追記:一部の反応がバッドエンドに気づいた後、自分の罪を理解し、さらには一部の曲を嫌い始めるというものでした。それを聞いて、私がとても好きな東方Projectの原曲「夢と現の境界」を思い出しました。(BGMのみ)

この曲のテーマを大雑把に紹介すると、「何が現で何が夢なのか判らなくなってきた」「夢と現実を区別する事は出来ない」ということで、いわゆる「胡蝶の夢」です。
曲目に対して過剰な感情を抱くことで、オタクたちは演劇と現実の境界から離れられなくなってしまう。物語としては完璧な構成とは言えないが、演劇としてはこの作品の深さを証明するには十分だ。正直なところ、私も当初はこの深さに浸り込んでしまい、一晩中眠れず、何度もこの罪深い感情を噛みしめた後、ようやく勇気を出してこの記録を完成させ、重荷を下ろすことができた。
私は、深く沈みすぎると自分を苦しめるだけだと思います。確かに作品の中での解釈は作者の自由であり、たとえ作者が私たちの解釈と矛盾する演出を加えたとしても、聴衆はそれを受け入れるしかありません。しかし、作品は無実であり、過剰な感情によって良い作品を逃してしまうのはとても残念なことです。演劇であっても、私たちが現実で体験した一部であるで、没入することは決して悪いことだとは思いません。だからこそ、自分を解放することが大切です
もしここを見ているあなたが、約2週間経ってもまだ手放せない感情があるのなら、私の最後の部分にある「追記の追記」に飛んでみてください

3.つまり、鏡像なくるは偽の存在ということですか?

前編で「藍月なくるは完璧ではない、だから鏡像ちゃんも完璧ではない、不完全だからこそ憎しみの感情が生まれる」と言ったことがあります。しかし奇妙なことに、鏡像ちゃんはオタクたちの理想の存在であるはずです。証拠として、髪型はオタクたちが好きなものを選び、アンコール部分は最速で戻ってきて、オタクたちの標本になりたいなどと言っています。それなのに、なぜ違和感があるのでしょうか?なぜ完璧ではないのでしょうか?

簡単です、クラリムステラを思い出せばわかります

クラリムステラの中で、私たちはEndorfin.のような「光のなくちゃ」を目撃しましたが、同時にFake Idolのような「闇のなくちゃ」の一面も目撃しました。しかし、どちらか偽のなくちゃなのでしょうか?違います、人には多面性があり、両方とも本物の「藍月なくる」です。食いしん坊な一面の藍月なくる、天然でふわふわしたお姉さんな一面の藍月なくる、クール担当な一面の藍月なくる、雪山人狼でサイコパスな一面の藍月なくる、TRPGで異なる役割を演じる藍月なくる、ライブで歌う藍月なくる、すべてが本物の「藍月なくる」です。

したがって、鏡像ちゃんは明確に実在していますが、彼女は切り取られた一部に過ぎず、概念ちゃんの部分を失った彼女は不完全な藍月なくるです。概念ちゃんと鏡像ちゃんが一体となることで、完全な藍月なくると言えるでしょう。見た目は二人のようですが、実際には鏡を見ているようなもので、最終的には同じ人です
前述のMonodrateの部分に戻ると、鏡像ちゃんは全く悔いがないのでしょうか?それは否定的です。自分自身への哀悼や自分自身への憐れみは、概念ちゃんに対する哀悼や憐れみと同じであり、ただ概念ちゃんはもう存在せず、残っているのは自分自身への追悼だけです。
それでは、テアトル・エンドロールはなぜ自嘲なのか?概念ちゃんと鏡像ちゃんは一心同体で、本来は同一人物であるなら、彼女への言葉は自分自身に返ってくることと同じです。結局、どんなに音調を変えたり、歌い方を変えたりしても、本質的には自分自身の軌跡を歌っていること

おそらく、この部分もライブの非常に挑戦的な試みであり、一部の「藍月なくる」だけを切り取って、観客に見せることです。今回は演劇とダークな曲の部分だけを切り取って。このライブにだけ来た観客がいる場合、「完全な藍月なくる」の魅力を彼らに示すことができない可能性があります。幸いなことに、演劇の面では非常に成功し、観客は演劇に非常に没入し、思考を刺激されました。私は挑戦成功だと思います。

追記:演劇の部分に関しては確かに挑戦成功しましたが、ライブの視点から見ると、後半は確かに抑圧的すぎました。これはメッセージ性に集中したためです。また、上記のように、このライブで「完全な藍月なくる」の魅力に示すことができない可能性があります。

だからみんな!クラリムステラのBDを買いに行こう!

来た人も来なかった人も、古参も新参も、信じてください、クラリムステラは間違いなくあなたの心の中で一生の呪いになるでしょう、しかも非常に甘美な「呪い」です

4.不変について

アゲハ標本のテーマを再び取り上げると、アゲハ蝶標本の本質は変わらないことにあります。常に自分の最も美しい部分を保ち、最も美しい姿でオタクたちのそばに留まっています。変化を恐れることは人間にとって非常に普通のことです。もしずっと変わらなければ、楽園は永遠に崩れないでしょう。しかし、すべてのものには終わりが訪れる時があるのです。結局、終わりを恐れるだけでは問題は解決しません。だから、なくるさんはとても勇敢です。黎明期のASMR活動、ギャルゲームの主題歌、Endorfin.名義の作品、自身が出演するさまざまな楽曲や音楽ゲームの作品、ゲーム実況、La prièreへの参加、声優と歌手活動の二面性を持っています。

努力して、自分の楽園を拡張し、維持し、さまざまな新しいことに挑戦している。変化を恐れ、終わりを恐れているけれども、なくるさんはその「終わり」に立ち向かう能力があると思う。たとえ不変の蝶の標本ではなくても、私の目には今、自分の楽園を積極的に維持しているのなくるさんが最も美しい。そして半年前に私たちは約束した、「最期は海の底までついてきてよ」

だから私は、変わらないものが必要なのはなくるさんではなく、私たちの考えだと思います。オタクの人生は短く、いわゆる「一生推し」はたったの三ヶ月のことかもしれません。本当に決心した「一生推し」は呪いのようなもので、自分の推しを死ぬまで裏切らないことを意味します。推しがどんな姿に変わろうとも、路線が自分の理想と異なり、老いていくとしても、ずっと推し続けるのです。それでも、自分の心意を標本にして変わらない覚悟を持つことはできるのでしょうか?「オタクの一生推しの決心の標本」は美しいものではないように聞こえますが、もしかしたら、これこそが私たちが最も必要とするものかもしれません。もしかしたら、これが推しが自分の楽園を信じるための最良の証明になるかもしれません。海の底までついていく覚悟はありますか?

追記「来世はガリになりたい」「死んだら蝶になって大切な人に標本にされたい」というのは、一見矛盾した感情や願望のように思えるが、なぜ二つの願いを同時に抱くことができないのだろうか?辛いことや大変な仕事に直面すると、生きていたくないという願いが湧いてくる。しかし、推しのライブを聞いたり、好きなイベントに参加したりすると、突然明日まで生きたいという願いが湧いてくる。
人は矛盾している。概念ちゃんと鏡像ちゃんは二律背反の存在だが、同時に彼らは「藍月なくる」でもある。私たちは鏡像ちゃんの願いが投影された理想の蜃気楼だと感じるかもしれないが、誰がこれが「藍月なくる」の本当の考えではないと確信できるだろうか?
終わりがいつか訪れること、死がいつか訪れることを考えることで、今の生がより価値あるものになり、今の生がより輝かしいものになる。

私はそれが非常に羨ましいことだと思います。少なくとも私にとっては

5.「私を愛して、穢して、満たしなさい」

鏡文字についてはすでに多くの考察がなされているので、少し趣向を変えたいと思います。前編触れた「藍月なくるの真意が「私を愛して、穢して、満たしなさい」に隠されているということです」、という部分を鏡文字の方法で読むとどうなるでしょうか?「恨んで、私を大切にして、私を空虚にする?」これは不可能です。このように直接翻訳しても真意を得ることはできません。思い返すと、ライブの概念画像以外、この文はどこに現れたことがあるのでしょうか?
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『Mirroring Mirage』(正確に言えば、セリフは少し異なりますが、意味には影響しません)

はい、「Mirroring Mirage」のMVです。この文が出るとき、画面には純真の神の子でなくると、青いリンゴを与える悪なくる(とりあえずこう呼びましょう)が一緒に映っています。前に考察したように、二つのなくるが一つになるときこそが本物のなくるであり、では「"本物"の私」、この文はどこで出てきたのでしょうか?
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FAKE IDOL「“本物”の私を愛してね」

今回のライブで「Fake Idol」を歌わなかった理由は、少し理解できたような気がします。それは、鏡像なくるが完璧なアイドルだからではなく、本当の「Fake Idol」は光と闇の両面を持っていて、完璧な外見だけでは本当の「Fake Idol」を作り出すことはできません……

「私を愛して、穢して、満たしなさい」

自由に自分を消費していいと言いながら、ただ私を愛し続けてくれればいい、この楽園から私を追放しない限り、私を汚しても、どんなふうに消費されても構わない。しかし、本当の心の声は、もしかしたら最もシンプルな一言かもしれない。

「“本物”の私を愛してね」

6.考えなく、感じる

上にたくさんのことが書かれていますが、解釈が不一致だったり、間違っている可能性が高いと思います。それでは、あなたの中の「藍月なくる」はどうなのでしょうか?気にしないでください、私が間違っていると思ったら、全力であなたの「なくる」を投影してくれればいいです。お互いに共有し合い、それぞれが理想の「なくる」を祈り、自分の「なくる」を信じましょう。前にも言ったように、適度な議論が前進につながります。「自分が見た鏡像を必死に描写する」だけでいいのです。あなたが描いた鏡像を心の中に封じ込めて標本を作り、それをあなた一人だけの標本にしましょう。そして、その標本を共有し合い、時には同じ意見を持ち、時には意見が合わないこともありますが、それでも私たちが信じているのは同じ「藍月なくる」だけです。

前篇最後の考察、「頭を空っぽにして考えない」。このライブのすべての曲、すべてのパフォーマンスは素晴らしいが、集まると難解な「パズル」になってしまう。そう、これがこのライブの美しさであり、このパズルをどう完成させるかを考えず、現在の歪んだ美をただ楽しむことが、また一つの解法である。このパズルは100人がいれば100通りの解法があり、パズルを解くことを放棄することも一つの解法である。それなら、なぜそんなに多くを考える必要があるのか?感じることが大切で、共感することが大切で、理解できない曖昧な美もまた一つの美である。

狂信でも構わない

盲信しても構わない

複雑に考えすぎなくても大丈夫です。

それが本物の「なくる」だと信じていればいい。

それはあなたにとって唯一無二のアイドルです。

あなた自身の「鏡像崇拝」だけを創造すればいい。

6.5.追記の追記

正直に言うと、今回の追記で最も重要な部分かもしれません。
前に述べたように、自分を解放することが重要です
考察の段階は終わり、今は自分自身と向き合い、自分が納得する、明日へと進む時です。
私の場合は、この文章を書いて自分を解放するためです。
しかし、ここにいるあなたが、心の中の「鏡像崇拝」を創り出すことができず、思い出すと不快に感じ、文字を書くと息苦しくなり、この暗闇から抜け出せないのなら。

それなら手を放して、水面に浮かんで呼吸しよう。
たとえ溺れそうになっても、呼吸を手放してしまったわけではありません。

自己体験型のバッドエンドは重すぎ。私も最初はなくるさん創造のバッドエンドを軽視していた。ただの傍観者では、この感覚を味わうことはできない。だから、この暗闇に飲み込まれず、「藍月なくる」の全体を見失わないために。

必ず離れて、水面に浮かんで呼吸してください。
深海であなたが再び参加するのをずっと待っています。

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次は……私は全肯定ではありません。このライブには前述の通り、いくつかの欠点が存在することはよくわかっています。賛否両論の人々よ、あなたたちにはあなたたちの理屈がある。

「狂ったの方は私だ。」

私のXが自己紹介したように、私は自分が最もタチが悪い狂人であると確信しています。それは、自分の狂気を受け入れ、それを抱きしめることであり、普通の人と見た目が同じ狂人です

よく考えてみると、自己中心的な記事を書き、考察や感想の名のもとに魂を注ぎ込むことは、感情に流される文章しか書けないということです。寝食を忘れ、何もせず、この文章を練り上げるためだけ。

それでも、私はここで大声で叫びたい、「私はこのライブが大好きです」と。

このライブの輝きは、すべての欠点を覆い隠すほどの明るさを持っています。

ライブの境界線を越え、演劇の形として再解釈する。

アイドルの境界線を越え、俳優の形として再解釈する。

曲の境界線を越えて、物語の形として再解釈する。

まるで「藍月なくるには限界がない」と言われているかのようだ。興奮で全身が震えている、私の推しは本当に素晴らしい! クラリムステラは「今の藍月なくる」の輝かしいを極限まで引き出すことで、鏡像崇拝は境界線を越えて新しい領域に行くことだ。

こんなに挑戦的な内容は、人生で二度と体験できるとは限りません。

だから、大好き。

今の私はおそらく、盲目的な狂信者ということですね。

でも大丈夫です。

狂信でも構わない
盲信しても構わない
これが私たけの「鏡像崇拝」です。

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最後は私の友達が言った一言、「もし今回そんなに酔いしれているのなら、どうしてクラリムステラの時にはそんなに大きな反応がなかったの?」

おそらく、「クラリムステラ」と名付けられた「呪い」があまりにも強力すぎるからでしょう。あまりに眩しすぎて、今でも私の心に刻まれ続けており、その刻印は遅延性です

今回の片面だけを切り取った「藍月なくる」を見た後、前回の「藍月なくる」が本当に眩しすぎたと感じるようになりました。そして、さらに好きになりました。

もし毎回なくるさんのライブに行くたびに、クラリムステラがもっと輝くのなら、私が死ぬ頃には、クラリムステラは太陽のような明るさになっているでしょう。

失って初めて大切さを理解する。恥ずかしい話ですが、以前の私は「闇のなくちゃ」を好んでいました。しかし、今回のライブを通じて、光と闇が一体であることが本当の「藍月なくる」だと気づきました。暗い部分だけを切り取ってしまうと、今回のバッドエンドでは希望や光を見出すことができず、無限の喪失感を感じました。

そして、私は「クラリムステラ」が本当に好きだと気づきました。感情が高まって大爆発し、今の私になりました。

本当に申し訳ありませんが、今の私はこうして感情的に表現することしかできません。

加筆部分は終わりました。ありがとうございます。

7.余談

ついに、すべての感情をこの文章に注ぎ込みました。前後を合わせると、私がこれまでに書いた日本語の文章よりも多くなってしまいました……もっと早く正式な日本語教育を受けるべきだったと後悔しています。独学だけに頼るべきではなかった……

このすべては、藍月なくる様に感謝しなければなりません。彼女があんなに素晴らしいライブを創造しなければ、私の思考をこれほど刺激することはできなかったでしょう。私的な問題で数日間書けず、書いた内容も何度も調整しました。間違って書くことや炎上することを心配するよりも、誰も見てくれないことがもっと怖いです。しかし、それでも私は書かなければなりません。私の感情を保存するために、私の軌跡を証明するために文字が必要です。

前に触れたように、望まれない誕生という話題についてです。私はこの点で共感を持つことができました。確かに、私はなぜ生まれたのか迷ったことがあり、実際に生きることの意味について考えたこともありましたが、それはすべて過去のことです。

今、私は確かに言える。
この世に生まれる、
藍月なくるに出会えることができて、
本当に良かった。

本当に最高のライブでした。
ここまで読めるわ誠にありがとうございます。申し訳ありませんが、またこんなに長くて見苦しい文章を書いてしまいました。再度、自分の日本語が下手で言語力が不足していることをお詫び申し上げます。

これでやっと前に進める。

ここで、私の「鏡像崇拝」は正式に終わりました。
もう鏡像だけを崇拝する必要はない。
海の底が楽園であろうと、ルルイエであろうと
どうか私をあなたについてください。

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新作、素晴らしい……歌唱力と演技の融合……(絶句




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