【書評】自由には自制が伴う〜『経験と教育』を読んで〜
『学問としての教育学』でも多く触れられていたデューイの名著。
教育関係者ならだれもが名前くらいは知っているであろう、有名な一冊。
でも、なかなか手を出せなかった一冊。ようやく読み通すことができました。
100年以上も前に係れたものとは思えない内容でした。
難解な表現が多いため、読み通すのにはかなりの時間が必要でしたが、それだけの時間をかける価値のある一冊だと思います。
〈学んだこと・考えたこと〉
伝統的教育と進歩的教育
デューイは教育をこの二つに分けて論じています。
伝統的教育は、教育を外部からの形成ととらえ、過去に組織化された知識や技能を効率よく身につけさせることを目指します。
進歩的教育は、教育を内部からの発達ととらえ、その援助と推進を目指します。
デューイは進歩派に軸足を置きながらも、「自由な教育哲学もまた独断的なものになりうる」として、「過去の知識が現在の生活を理解する上での仲介者になるような仕方」での教育の在り方を模索しています。
経験とは
上記のような教育を実現するにあたり、デューイは「真の教育はすべて、経験を通して生じるという信念がある」と言いつつ、すべての経験が教育に有効なわけではないと言います。
経験には快⇔不快の側面と、効果の有⇔無の側面があります。
快であれば生徒の活動を鼓舞し、効果的であればより望ましい経験へとつながっていきます(経験の連続性)。
この二つを満たす経験を用意することが、教育者の仕事だと言います。
またデューイは「人間の経験はすべて究極において社会的」で「ふれあいとコミュニケーションが含まれる」といいます(経験の相互作用性)。
そのため教育者は、共感的な理解力をはぐくまなければならないとともに、社会に役立たせるような活動を選ぶ必要があります。
自由とは
経験による教育は自由を重んじます。ですがこの「自由」は「知性の自由」であり、外的な身体的な活動の自由ではありません。
外的な自由は手段になり得ても、目的にはなり得ません。
外的な自由が目的になってしまうと、経験に必要な協同活動が破壊されてしまいます。
したがって、重んずるべき自由とは、自然的な欲望や衝動を抑制して「目的」へと再構成し、その目的へと至る手段を選択する自由です。
このように自由は自制と同一視されるため、教育の理想的な目的は自制力の創造にある、とデューイは言います。
自然的な衝動や欲望は偶発的であり、それに従って(外的に)自由な行動をとっても、得るものよりも失うものの方が大きいのです。
〈特に印象に残った言葉〉
なんと痛烈な一言でしょうか。少しでも楽しく授業を聞いてもらおうと行ってきた工夫が、すべて否定されてしまいました。
今存在する多くの「授業の工夫」も、この一言によって否定されてしまうのではないでしょうか。
1時間という短いスパンで、授業を聞かせる、授業に参加させる工夫を凝らすのではなく、もっと深いところから授業改革を進めていかないといけない。そうでないと「押しつけ」から抜け出せないということでしょう。
上記「自由とは」でまとめたことが、イメージしやすい言葉でまとめられています。
教育は〈自由〉を実質化するためのものという考えに納得していましたが、この〈自由〉という言葉を、より深く理解できた気がします。
自由を実質化するための力能の一つは「自制力」だと言えるでしょう。
教育をこのような過程ととらえると「押しつけ」ではないカリキュラムを作っていくことができそうです。
この言葉を頭に置きつつ、より〈自由〉な授業、カリキュラムを実現したいです。
〈まとめ〉
経験には連続性があり、良い方向にも悪い方向にもつながってしまう。だから良い方向につながる経験を用意しなければならない。
また経験は相互作用である。だから社会に役立つことにつながる経験を用意しなければならない。
経験による教育は自由を重んじる教育だが、この自由とは外的な自由ではない。目的を設定する自由であり、自制を必要とする自由である。
これらの言葉は、これからの自分の実践に大きな影響を与えそうな気がしています。
生徒たちが「自由」になれるような教育を、社会に役立てる人へと成長できるような経験を、提供できる教師でありたいものです。
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