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謎多きクラゲ毒-Mysteries of Cnidarian Venom-

湘南の海岸を歩いていると、烏帽子岩に似た水色の小さいビニール袋のようなものが転がっていることがあります。
不思議な風体からつい触ってしましたい気持ちになりますが、気をつけないとそのまま病院送りになることがあるので絶対に触れないようにしましょう。

今日は、クラゲの毒についてお話していこうと思います。


湘南の海岸には、春頃から夏にかけてカツオノエボシ(Physalia physalis)というクラゲが漂着してきます。非常に毒が強力ということで全国的にも有名な毒クラゲです。

英名は"Portuguese Man O' War (Man-Of-War)"と言いますが、Man O' Warとは英国海軍でフリゲート艦のことを呼ぶ言葉のようで、訳すと「ポルトガルの戦艦」となります。かつてコロンブスがアメリカ大陸を目指し航海に出たサンタマリア号とともに旅をした船がポルトガル海軍でも採用されていたキャラベル船であり、そのマストに似ている姿から、畏敬の念を込めてか英語圏ではそのように呼ばれています。別名の"Floating Terror"のほうがわかりやすいですが。

2023年に関しては、気象条件の関係なのかは不明ですが、発生は早かったようです。

例年、ゴールデンウィーク明けからチラホラ海岸で見かけるようになり、7月上旬に強い南風が吹いたタイミングでどんと大量に上がることが多いのですが、今年は、少し早めです。

危険! カツオノエボシが漂着しています | 公益財団法人かながわ海岸美化財団 (bikazaidan.or.jp)

カツオノエボシは「電気クラゲ」の俗称があり、その名の通り触手に触れると電気に痺れたような痛みが走り、ときに呼吸困難に陥ることもあります。また、二度刺されるとアナフィラキシーショックで死に至るケースもあります。

さて、このクラゲの毒、筆者のような毒物好き天然物化学愛好者にとってはどんな物質なのか気になるところ。
というわけで早速調べてみました。が、明確な物質に関する記述がされている文献はあまり見つかりませんでした。

実際のところ、クラゲのような刺胞動物の毒については、複合的なものでありまだ未解明の部分が多いようです。また、クラゲの毒は低分子毒ではなくタンパク質性の毒であるとされています。


今まで記事にしてきた物質は、二次元の平面構造を記載して紹介してきたと思います(cf. previous post)。低分子の化合物は大凡平面構造で描くことが出来るものですが、細かな定義について説明します。

物質には分子量というものがあります。分子は原子が結合して形成されるものですが、原子には質量(原子量)があり、原子量の総和が分子量です。タンパク質の研究では統一原子質量単位(Dalton, Da)で表記される事が多いですが、原子量は質量そのものではないので基本的に低分子ではDaで表記されることは少ないです。

医薬品を分子量で分類すると、分子量>500を低分子と呼び、分子量500~10,000までを中分子、それ以上を高分子と呼びます。
一般的に処方される抗生物質は大体が低分子であり、対してワクチンや抗体医薬は高分子の医薬品となります。

天然に存在する、構造が決定されている天然有機化合物で最大サイズのものはmaitotoxinの分子量3422になります(Fig.1)。これ以上になると、タンパク質やペプチドなどの中・高分子になります。Maitotoxinは魚の体内から検出されますが、渦鞭毛藻のGambierdiscus toxicusが生産したものが生体濃縮されるもののようです。フグ毒で有名なTTXの200倍の強さがある猛毒です。
Maitotoxinは32個の環が結合した恐ろしく長い物質で、殆どがピラン環で構成されています。複雑なポリマーにおまけのようについてる硫酸エステルが実に海洋微生物っぽさがありますね。

Fig. 1 Structure of maitotoxin


対して、高分子の毒で有名なものはボツリヌス菌(Clostridium botulinum)が生産するボツリヌストキシン(BTX)があります。BTXは分子量約150 kDaのタンパク質です(Fig. 2)。

Fig.2 3D molecular structure of botulinum toxin (BTX, botox)

BTXは重鎖と軽鎖の2種類のドメインから形成される複合体です。向かって左が重鎖の結合ドメインで、右が酵素活性ドメインになり、中央のαヘリックスの塊が神経毒となるチャンネル形成ドメインになります。左右のドメインは酸やプロテアーゼから活性部位を保護し、体内に活性部位が吸収されたら体外に排出されます。
BTXは、ボトックスと言って美容のために注射で利用されたりしますが、有害な事例が多く現在はBTXの基質をピックアップして急性毒性を抑えたペプチドのargirelineが開発されているようです。


話をクラゲに戻します。
クラゲやイソギンチャクなどの刺胞動物は、共通して触手には毒の詰まったカプセルとそれを射出する細管(刺糸)が存在します。これらの器官を刺胞と言います。

毒の中身はというと、概ね共通して検出されるものがホスホリパーゼA2のようで、毒の機能としては防御や獲物の消化などになるようです。

カツオノエボシにおいて特徴的なもので、エラスターゼやコラゲナーゼが存在することが確認されています。これにより、刺された箇所が炎症を起こしたり皮膚の損傷が起こるなどします。DNaseも存在しており、細胞溶解性を示します。
また、クラゲはBTXのような神経毒を含んでおり、クニッツ型プロテイナーゼ阻害剤のような神経に作用するような毒素のようです。

このように高分子毒が複合的に作用するものとして、ハチ毒が挙げられます。ハチも「毒のカクテル」と呼ばれることがありますが、ヒスタミンやプロテアーゼ生理活性ペプチドが混合されたものです。
クラゲと同様に神経や免疫系に作用し、麻痺やアナフィラキシーショックを引き起こします。

タンパク質分解酵素であるプロテアーゼは生物が食べ物を消化する際にも生産されるものであり、ペプチドはタンパク質を合成する過程で生産されます。
放線菌やシアノバクテリアは単純な物質を代謝し生理活性物質を生産するような酵素を遺伝子の中にコードしていますが、ハチやクラゲのような生物は獲物を消化する過程や体内で偶発的に生産された生理活性物質が残っているからこそ、毒を利用することが洗練されているのかも知れませんね。


江ノ島水族館には世界有数のクラゲの展示があります。
クラゲは美しくも不可思議な生物ですが、クラゲを見ながらこの話を思い出していただければ幸いです。

ご清聴ありがとうございました。


【Reference】

A Review of Toxins from Cnidaria
https://doi.org/10.3390/md18100507

Jellyfish and other cnidarian envenomations cause pain by affecting TRPV1 channels
https://doi.org/10.1016%2Fj.febslet.2006.09.030

ボツリヌス毒素複合体の構造と機能
2010851515.pdf (affrc.go.jp)

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