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『トーチャン』でいられるなんてほんの少しの間だけだから。

森道市場という音楽フェスに家族みんな、キャンプ、泊まりがけにいくことが毎年恒例になっている(3年連続3回目)。
このフェスの素晴らしいところは子どもたちも十分に楽しめるところ。遊園地のアトラクションは乗り放題。海辺の砂浜で砂遊びもできるし、なんなら海に入ることもできる。美味しい食べ物の出店の数が盛りだくさんで、見て回るだけでも楽しいし、アイスやかき氷、ポテト、ラーメンなど子どもが好きなメニューもたんとある。
来ているアーティストの方も素晴らしいのだが、子どもと一緒に過ごすとなると遠くからBGMで聞こえてくるくらいで、ライブを観にいくのはちょっと難しい(嫁さんに頼んで少しだけ1人で見に行く)。ただ、BGMで流れてくるその曲、雰囲気だけでも十分に楽しめる。微かに聞こえてくる「Baby I love you」を口ずさみながら、テントの中で子どもたちとトランプをする。

毎年恒例になると、食べるお店だったり、アトラクションだったりいくつかパターンが決まってくる。テントを建てたら、まずビールを飲む。去年と同じお店でタコライスを買い、美味しいおつまみを探しに歩き回る。

ただこれまでとは違うところもある。親がずっと付き添っていた子どもたちは自分たちだけでアトラクションに乗った(不安だったのでトランシーバーは持たせた)。次男は昨年頑なに嫌がったボルダリングにチャレンジして登り切った。長男は流れる音楽に合わせて華麗なステップを切って踊っていた。

子どもが生まれて、小学校に入学し、かれこれ6年以上の年月が経った。いまだに父親がどういうものなのか分からずに、手探りで『トーチャン』をやっている。何かと怒ってしまうし、声をかけられたのにぼんやりとした答えをしてしまうことも多い。やんちゃなことをして、人に迷惑をかけて、礼儀正しくというしつけもちゃんとできている自信はない(そもそも自分ができていない)。

30代も後半になると自分の限界も見えてきて、「何者」かになることはできないこともわかってきた。歴史に名を残すような偉業はできないだろうし、仕事でも出世街道まっしぐらで、大企業の社長や役員にもなれない。「プロサッカー選手になって活躍する」と描いていた夢からは随分離れた「普通」の人になってしまった。

そんな「何者」になれなかった自分でも、『トーチャン』になることが出来た。子どもがいることを手放しで賞賛するつもりはない。子育ては大変だ。月曜朝一で0655のたなくじがうまく取れなかったと泣かれている子どもたちを必死になだめて、ご飯を食べさせる。宿題が完了しているかチェックをして、明日の準備をするように促す。(が、漫画に夢中で全然動いてくれない)調子が悪ければ、車に乗せて病院に行き、かれこれ1時間以上待って診察を終え、薬をもらい、苦いを嫌がられながらも何とか飲んでもらう。可処分時間は子どもができると大きく減って、早起きして、家族が起きてくるまでが自分の時間だ(その分早く寝る)。

そんなドタバタな毎日だけど、子どもが出来たことを後悔したことは一度もない。産まれる前と産まれた後では見える視点が全く変わってくる。何もしなければ自分が衰えていく中で、子どもたちは日々圧倒的成長を遂げている。気がつくとマインクラフトで家が建てれるようになり、ポケモンカードもデッキ構築をし始め、ボードゲームも戦略的に考えられるようになった(ガチでやっても負ける)
子どもが生まれてから、大変…だけど本当に『トーチャン』は面白い。

人が多いからはぐれるのがイヤと自分から手を繋ぎにきてくれるのは後何年だろう。もう少しすれば、親の優先順位は下がって、友達と遊びに行くのを優先するようになり、サッカーだってテクニックは抜かされるようになる(これは本当にもうすぐあぶない)。『トーチャン』を慕ってくれる間は人生の中で本当に少ない。
だからそんな『トーチャン』の時期を家族みんなで楽しみたいと思う。理想の父親には程遠いと思うのだけど、この期間だけでも自分が思う『カッコイイトーチャン』をなるべくやっていきたい。疲れてできないこともあるかもしれないけれど、子どもたちと面と向き合って、『トーチャン』でありたいなあと思っている。

今年も去年と同じように家族みんなで乗った夜の観覧車。その13分はとても貴重で、多分死ぬ時に走馬灯のように思い出すことだろう。来年も家族みんなでまた夜の観覧車に乗ろう。そして長男が食べれずに泣いてしまった、ぞうめしやのクレープを来年こそは食べよう(リベンジだ)
そして、乗れなかった絶叫系のアトラクションにチャレンジしてみよう。

来年もキャンプをチケットを取るぞと決める。残された『トーチャン』でいられる時間を精一杯楽しむために。

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