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生きるためのアウトプット

自分の気持ちを発信する理由

2年前の高校生の自分だったらおそらくnoteを見ている自分が想像出来なかっただろう。1年前の大学に入ったばかりの自分であれば、noteを書いている自分を想像できなかっただろう。

では、なんでそんな人間がnoteに手を出したんだ。。つい先日自分は疑問に思った。

媒体Aと媒体B

よくよく考えたらこれは大学生活のこの1年間を通し得ることが出来た、生きることへのモチベーション。そして、ある先輩の言葉が原因であろう。

生きることへのモチベーションを語るとまた長くなるので、今回は自分がもらった言葉の方を取り上げることにしたい。

まぁ、ただ生きることへのモチベーションって言うと、お前は“死ぬつもりだったのか”と誤解されそうだから言って置くと、その問答については、2年前に既に解決済みであった。これは自分だけに限った話じゃない。誰だってみんな中学とか高校生の頃は自分はなんのために生きているのかって悩む時期なのだ。ちなみに自分が出した答えは、「死ぬことができないから生きる。」やはり、死は怖かったのだ。

ただどうせ生きるんだったら全力で楽しんで自由を謳歌して生きたいって思った。
じゃなきゃ、生きることのベネフィットが分からないじゃないか。

生きるということそれ自体に、ベネフィットがあるんじゃなくて、そのベネフィットは自分で見いだしていくんだ。

だから、「うわぁ~人生つまんな」とか言ってる人は、原因の錯誤をしているのだと感じてしまう。高校生の自分に説教してるみたいでなんか嫌だなぁ。そんなこんなで、そのベネフィットとやらは自分の力で生み出していかなくちゃいけないと気づいた私は。
大学生になって生きることの質を意識するようになった。Beat around the bush...


海外への憧れ

正直なところ、自分は日本にいると生きにくいなぁって思うことがある。もちろん日本の国民性としてよく言われる 協調性 とか日本の文化とかほんとに素晴らしい側面も沢山ある。

ただ、その反面。

出る杭は打たれてしまったり、何より相手との関係(上下関係、交友関係、仲の良さなど)を気にしすぎて思ってることをちゃんと伝えられない。という場面を幾度となく経験してきた。

おそらく自分は、今までの人生において、自分の意思を押し殺して生きようとしてきたため、その反動で極端に自由を意識するようになってしまったのかもしれない。

そのため私は早く日本を離れ、もっと自由に生きることができる国に行きたいと思っていた。

きっかけ

そんなある時、zoomのイベントに参加し、それが終了した後、数人だけzoomに残り、そこが、少し価値観とか思ってることを議論する場所になっていた。ここでなら自分の思いを語れると思った私は、先輩方に、将来海外で働きたいという思いと理由を伝えた。

そこで、ある先輩はこう答えた。

「今ある社会を点々と移り住むのもいいけど、この日本を自分の力で自分の住みたいような社会に変えていくってことにすごい意味があるし、、それって何より生きてるよな。」

自分もそれを聞いて思った。それってすごい生きるってことだなって。こだわりを持って生きてるなって。


発見

住みたい社会を点々と移っているのでは、社会の消費でしかない。それを消費し尽くす以前に、世界には“社会”の供給が多すぎて消費しきれないということはすごく有り得ることだと思うが、そのような考え方自体には限界がある。もう既にできてる社会を選んでいるというだけでは、すごい受け身な生き方なのだ。

自分の意志で自分の人生を築いていくということを体感したいと思った。


新たな指針

こんなことは言ったものの、海外への憧れは依然としてあって、将来は海外で働きたい。

けれども、大学にいるこの間は“価値の創造”というものにも挑戦してみたいと思った。

その“価値の創造”とやらのためには、自分の価値観を閉ざしていてはダメなのだ。ブラックボックスに丁寧に梱包しちゃっていては、いくら自分の中で熟考を重ねていても、それを成し得ないのだ。

だから、私は自分の意見を、胸に取っておくのではなく発信したいんだ。

自分はメッセージのアウトプットすることによって新たなステージに登壇し、多分いつものように挫折を経験する。


強く生きるということ

それをわかってても、それをやった方がいい。何故なら私は“生きたい”から。

そんな挫折も受け止められるくらい寛容なこころを持てるよう邁進することにしよう。

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