私は矛盾
矛盾という言葉がある。
辞書を引いてみる。
前に言ったこととあとに言ったこととが一致しないこと。一般に、理屈として二つの事柄のつじつまが合わないこと。
と、定義されている。
さて、矛盾は悪とみなされることが多いように思いますが、自分は矛盾していないと言い切れる人ってこの地球にどれくらいいるのでしょうか?
私は自分を矛盾だらけの人間に思います。
どんな矛盾を抱えているか。
列挙したらキリがないので一部だけ紹介します。
お金が大好き⇄働くの大っ嫌い
あたしかわいい⇄自分全然かわいくない
生きてるだけで幸せ⇄死んだ方が楽だろうな
本当にみんなに有難いなぁ⇄人間めっちゃ嫌い
ああなりたい、こうなりたい⇄夢も目標もない
二極のように思える感情が同じ質量で自分の中に存在しています。
矢印の対極同士にあるこの感情は当然一致していないし、辻褄も合っていません。
プラスに振り切っているからとか、ネガティブの海に溺れているからとかではなくて、ニュートラルな意識下においてこの二極が存在しているのを自覚しています。
少し前までは、いつも出来るだけポジティブで、人生が楽しくて、生きていることを全力謳歌していて、最高の自分として世界を・周囲を照らさなくてはならないと、どこかで思っていたように感じます。
明るい自分でならなくてはならない、輝く自分でなくてはならない、と。
闇は光のためにあるので、ネガティブなことも含めて全ての出来事を前向きに捉える自分でなくてはならない、と。
さて、果たして本当にそうなのでしょうか?
ここで津留晃一さんの言葉を引用してみます。
「私が神であるという事は、
私は何かを成し遂げる為にわざわざ来るはずがない。
体験こそ私がしたかった事なのだ。
だったら今体験している私は全てが『思い通り』という事ではないか。
私はこれまで何かを『する』事を目的としてきたが、
これからは『体験』を私の目的としよう。
起きてくる事こそ私が、体験したかった事なのだから。」
つまり、私は、私たちは、この矛盾こそを体験したくて今体験しているのではないでしょうか?
何かを達成「する」ことを目的としているのではない、そもそも。
私は油断するとすぐ腹の肉がつくことが死ぬ程ムカつくし、お金が大好きなのに働かないと稼げない事の意味がわからないし有り得ないほどしんどい!
だから腹の肉を減らせたら幸せと思ってたし
何もせずに自動的にお金がいっぱい入ってきたら最高に幸せだと思っていたし
実際今も全力でそう思ってる。
でもこの腹の肉への怒り
お金に対する悲しみ、絶望
それを体験するために生きているんだなぁ。と思う自分がいる。
そう100%思えている訳ではないです。
でも、多分そうなんだろうなぁって淡々と思います。
成し遂げるために生まれ生きている訳ではないのだろうなって。
体験するために生きているんだなー。
完璧な女神のようになりたかった自分もいるんだけど、しょうがないよなぁって思います。
現実の自分は
ドロドロしたネガティブに呑まれることもあるし、怒りと悲しみで満ちているし、一方で幸せの絶頂にいることもある。
これを、スピリチュアルの視点で見ると
地球の周波数に溺れてるよ!ネガもポジも手放そう!統合!統合!!!ニュートラル!!!!!中庸!!!!!!
ってなるのかもしれないけど、ニュートラルにいなくて何が悪いのかなぁって開き直る自分がいるよー。
だってこれを体験したいんだもん。
潜在意識の私はね。
顕在意識の自分は、当然最高に良くなりたいって思ってるけど。
何が言いたいかっていうと。
私は矛盾しているし、最高になりたいし最低でもいいし、つまり一貫性がなくてカッコ悪い。
そんな自分でいいと思ってるしそんな自分はダサいと思う。
そんでまたどうせ言うことも今言ってることから変わると思う。
でもダサい自分を蹴散らして形だけ表面だけカッコ良くいようとするの辞めたいんですよね。
ダサいのはダサいままでいいし、そのまんま生きたい。
何者かになりたいけど、何者にもなりたくない自分の方を尊重して大切にしたいし、表現していきたいです。
死んだ方が楽だなって別に鬱じゃなくて普通に思うことあります。でも別に死なないし死ぬ勇気ないです笑
生きてることも楽しいもん。もっといろいろ体験したいし好きな人たちと一緒にいたいし。
そんな矛盾だらけの自分とこのまま生きていくし、腹括ってこんな自分を世界に晒し上げていきたい所存。
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