『自分を知る』~アキレス腱を切った!③<気づき>~
皆さん、お元気ですか?
私はアキレス腱を切った事で、濃密な時間を過ごしております。
それでは、アキレス腱を切るという出来事に対し、何を収穫したのか?何のために切ったのか?
などが、色々分かって来たので、ひとり言としてつづりたいと思います。
まず、家族の絆が深まりました。
両親や、妹二人が、強烈な手助けをして動いてくれることに驚きました。
私には妹が2人いて、私は長女です。いわゆる3姉妹です。
2番目を妹②、3番目を妹③として話を続けます。
私がアキレス腱を切る前、『実家の断捨離大作戦!』と称して私が声を上げました。
あまりにも片付かない実家をなんとかしたいと、何十年も前から苦痛に思っていたものでした。
父は読書家なので、本が大量にあり、「捨てるな!」との事で、父の許可なしに捨てられないので本は増える一方でした。
また、孫が生まれてからというもの、リビングという食事をする壁一面に、孫の写真を貼りまくりの実家でした。
圧迫感が半端なく、私は10分と居れない場所でした。
苦痛でしかなかったのですが、もう限界が来て、どちらかが亡くなる前に何とかしないと、人を家に上げられないぞと、両親に直談判しました。
私の圧に負けたのか、両親は、しぶしぶではありましたが決行する事になったのです。
妹二人も手伝ってくれるとの事で、ありがたいと思っておりました。ですが、妹たちは、それぞれに家庭があり、仕事も持っているし、
妹③は、県外にいるので、あまり無理はさせられないなと思っていました。
妹②は、日頃からハードな体力仕事をしているし、私がしたいと言った事なので、なるべく自由な私が動けるときに動こうと思っていたのです。
半日の休みや、連休はすべてこれに使い、なるべく妹たちには、一番、大変な台所や、母の趣味の小物がたくさん置いてある部屋を一緒にしたいと思っていました。
これが、長女病です。自分が頑張ってしまうのです。
小さい頃から、ボーっと生きていたのに、長女というだけで、おばあちゃんや、おばちゃんから「しっかりしなさい!長女なんだから」
と言われてきました。
「好きで長女に生まれて来たんじゃないわいっ‼」
と、母に反発したこともありましたが、母は困った顔をするので、それ以上は言えませんでした。
そんなボーっと生きていた私は、妹たちができた瞬間から、長女になっていくのです。
当時は、私は『アイスクール』という自分を知るセミナーのホームページの作成や、自営の経営に関しての勉強や、ブログに、勉強と忙しかったのです。
以前も、恩師が亡くなり、ぶっ通しで動いたときに熱が出て倒れたことがあり、
「う~ん。忙しくなるな。また、熱が出るかもしれないな。気をつけよう」
と、思っていたら、アキレスを切りました。
ですが、私の周りにはアイスクール実践者の仲間がいます。とらえ方が素晴らしいのです。
「動けないことで、また何か開けるかもしれないよね」
と言ってくれたり
「カピバラちゃんが、動けないってことは妹2人がカピバラちゃんに近づけるよね。頼る事になるし。なんか3人で何かしそう!楽しみ~💕」
この言葉にまず救われました。一般的な感覚や発想とはまるで違うのです。
また、妹2人も恩師と出逢い、アイスクールの考え方は浸透しているので
妹②
「あんた、頼りよ~!それにケガをしたら、本当にありがたさが分かるで~!すごくいい経験になるよ。あんた、良かったやん。休みよ、少しは!」
妹③
「あんた、笑えるなぁ。リズム体操に行くって連絡がきたあと、お父さんから、悲痛な声で
”カピバラ、今、病院なんや。手術するかもしれんのやがな。ワシはしないほうがいいと思うんやがなぁ⤵😥”って、電話がかかって来た時は笑ったわ!」
でした。
アキレス腱を切って笑われる私って一体……。😅
妹③も、指にケガをし、入院するような大けがを経験していました。
妹③の経験では、自分を責めると痛みが増し、感謝を感じると痛みが消えるとの事でした。
自分がミスをしたけど、周りが本当に助けてくれることを経験し、退院後は大きく感覚が変わったことを話してくれました。
仲間のとらえ方の素晴らしさに感謝がわき、またアイスクールを取り入れた方のとらえ方の違いを沢山、感じられたのです。
当然、私もアイスクール卒業をし、現役で今も自分を調べていますから、どう変化するのか、ワクワクしています。
すると、早速、色んな事が見えてくるのです。
まず、両親のありがたさです。病院の送り迎えにしろ、手となり足となってくれますし、父には手術をするかどうかの選択で助けて頂きました。
母は少し、認知が入って来ていますが、出来ないなりに、何とか手助けしようとします。ただ、毎回、そのことを忘れますので
「あんた、どないしたん⁉あらぁ!ギプスか、それ?大変やなぁ😨」
と、初めて見るケガのように驚いています。そのため毎回、アキレス腱を切ったんだと説明しています。
そのたびに母は驚き、何か冷蔵庫の中にある野菜やら、モズクやらを持って帰らそうとします。
荷物になるので、必要ないと言えば必要ないのですが、母は、プレゼントをしたくなるので、それを受け入れながらも笑えるのです。
これもホッとします。
妹②は、私に食事を持ってきてくれるのですが、これがまた美味しいのです。細やかな配慮があり、私が動かなくていいようにセットされています。
実家の片付けもスピーディーに着々と進めるし、洗濯物をコインランドリーに持っていってくれたり、様々なことを快く引き受けてくれるのです。
妹③は、県外から子供(小3)もつれて来てくれました。実家の片づけを、これもまた、ものすごく動いてくれることに驚きました。
片づけの休憩に、私の自宅に行き「少しゆっくりしようよ」と、思っていたら、私の台所があまりに汚く見えたらしく「こうしちゃおれん!」と、スイッチが入り、
夜なのに、重曹などを使って、シンクから、洗面所、部屋の壁を掃除してくれたおかげでピカピカになったのです。
姪っ子もスイッチが入り、私の本棚やテーブルの横の仕事場になっている場所を整理し始めました。
「おぉー!何が始まったんだい?」
私は、動けないまま、ただ茫然と、妹③とその子供のすさまじい掃除魂を見せられました。
何もしてないのに、アキレス腱を切る前より、冷蔵庫にはご馳走がならび、台所から部屋までがピカピカになったのです。
妹③
「こんな時にしか、お礼が出来んやろう?頼ってくれるのは嬉しいんだよー。アンタが甘えられる、いいキッカケになるやんか!😆」
妹②
「あんた、無理するなえ。私は、こうやって料理するのが好きって分かったわぁ。喜んでもらえると嬉しいものなんで。😊
それに今の経験は本当に、いい経験になるよ~!あなたも不自由が多いと思いますが、いつもされない事や刺激的な日々を楽しんでください。😄🎉」
というが返事がきます。
いかがでしょうか。
妹や、仲間のとらえ方の素晴らしさ。
これは、本当に恩師に出逢え、アイスクールという『自分を知る』楽しさを学んだおかげだなと思っています。
20年前の私なら、こうはなっていませんでした。
落ち込み、仕事を休むことへの反省や、医療関係なら、やってはいけないと勝手に感じている【ケガ】というミスを責め続けていたでしょう。
自分を「最悪な人間だ!」と、誰よりも自分自身が奈落の底に叩き落すんだなと気づきました。
とらえ方は日頃から、鍛えていますので、このアキレス腱を切るという人生でのライブは、とても楽しく実りの多い出来事になっています。
アキレス腱を切ったおかげで妹たちのすごさ、素晴らしさ、頼りになること、また頼もしさに沢山気づけました。
甘えること、頼むことが苦手な私でしたが、だんだん慣れてきました。
強がって、長女として踏ん張っていただけだったんだなと気づけたのです。
実際は弱いし、おバカだし、普通の人が出来ることが出来ない私です。
でも、妹②が
「あんた、普通の人が出来る事はできないけど、普通の人が出来ない事を、アンタはできるやん。」
確かにな……。🤔
私のズッコケ方や、おバカな生き方は、確かに人とは違っていました。
以前はそこにコンプレックスを感じていましたが、恩師から
「面白いじゃないか。」
と、言われていたのです。
どんな事も楽しみ、ジョーダンにとらえる先生でしたので、私もどんどん、とらえ方が変わり、今はアキレス腱を切っても楽しめるようになりました。
ただ、ほとんどの方は不幸なとらえ方が多いので、引っ張られる事もあります。
父は
「はぁ~⤵😨たったこんな事で、大きなことになるなぁ。
仕事も休まなならんし、動けないし。はぁ~⤵😥ほんとにえらいことになったなぁ⤵😔」
と、初めは一人、頭を抱え、うなだれ、私の前から、悲痛な思いを背中に宿した後姿を見せながら捨て台詞を放って帰っていきました。
ですが、「これも私は試されているのだから」と、とらえ方を変えていくと、父は何も言わなくなりました。
宮崎駿監督が、賞を取った映画の
「君たちはどう生きるか」
これが、メッセージです。
どんな経験でもいいのです。
その経験や出来事から何を学び、何をつかむのか。
そこから、どんな自分になりたいのか?
そして、どう生きるのか?
それが、地球に生まれている全ての人が試されている問いかけだと思います。
恩師はどんな時でも楽しんでいました。
本当に輝いていました。
私もそれを目指しています。
気づきは、まだまだあります。
皆さんにも、私の出来事を参考にして頂けたらなと思っています。
それでは、今回はこの辺で。
皆さんの今日は、どんな一日でしたか?
どんな時でも、楽しめるといいですね。
それではまた、お会いする日まで!