やった事は1ミリの狂いもなく、やり返される。
これを聞いて、どう感じるでしょうか?
この文言を先生から初めて聞いたときは、
「なんだって!!!」
となったことを思い出します。
「自分がやった事は、1ミリの狂いもなく、やり返されるんだぞ。1ミリも。だぞ。」
初めは、どういう事か分かっているのに、すぐに理解をしなかったというより、したくなかった。という感じでしょうか。
ですが、自分の今までの嫌な出来事のオンパレードの理由が、瞬間で分かりました。
「そうだったのか。だから、自分が他人にしてきたことが、返ってきていただけだったのか……。だったら、ヤバいじゃないか!うわっ、怖ッ‼」
この一言で、自分を知らなきゃ、えらい目に合うんだと分かったので、自分を見る事にエンジンがかかった記憶があります。
この内容は、どんなにボーっと生きていた私でも目が覚めました。自分が他人にしてきた事は、的確に同じ事をやられます。
自分がしてきた事に気づいて
「もう、しません!勘弁してください!反省しましたから!」
と願ったからと言って、出来事は止まりません。
必ず、やられます。例えば神様が見ていて、
「よおし!この子は十分に反省したから、出来事は減らしてやろう。よおし!この子は、十分に良いことをしたから、出来事はハッピーにしてやろう。」
なんて事には、この地球はなってないのです。全て自分がしたことが、そのまま返ってきているだけなのです。
そうすると今までの疑問が解けましたし、変な、見たこともない神に気を使わなくてすみましたし、神という代物へのイメージからも解放されました。
「良いことをしなければ、バチが当たる。良いことを思わなければ、やはりバチが当たる。結果、嫌な出来事ばかり起こる。」
と、思っていました。私は、この見えない「神」というものはいるだろうと思ってもいたので、空に向かって、
「神様、あなたはきっといる。きっと私を見てくれてる。神様、ありがとう!」
などというメルヘンおばさんを、30歳過ぎても、星を見てはこの呪文のような文言を唱えて、見えない神様に媚びを売っていたことになります。
驚くメルヘン病も、全ては出来事回避の為でした。幸せになるために、言葉だけで、良い子になったフリをしていただけだったのです。
単純に、やった事が1ミリの狂いもなく起きていて、その狂いのない出来事を起こす事じたいが神業であり、神がいちいち、行動に対して意見を述べたり、ましてやバチを与えたりすることこそ、あり得ない事だったと、この仕組みを聞いて納得ができました。
そのおかげで、神という幻からも解放されたのです。意外に気づかないものではないでしょうか?
そこから見ると、他人でも知人でも、相手に嫌な思いをさせている方を見ると
「お~、怖っ!やり返されると知らないからこそ出来る行動だな。どうなるか見ものだな。自分は同じことをやっていないか?」
と、自分の戒めに使いながら人を見ています。人を平気で傷つけている人の末路が悲惨な事も、当たり前の結果であり、1ミリの狂いもないようです。
仕組みは完璧なのです。
私がこの仕組みを知れて良かったのは、自分を見張る様になった事と、嫌な事が起こっても
「いつ、誰にやったんだ?」
と、自分の現在と、過去の記憶をたどって調べるようになった事です。ですから相手を恨んだりはしません。原因は自分だと知っているからです。
例えば、こんな事がありました。父と話をすると、とにかく話が長い。そして同じ内容を3回~5回は繰り返します。
自分が感銘を受けた出来事や、感動した事、驚いたり、嬉しかったことは、特に拍車がかかり、興奮して同じ熱量で話を続けるので、私は3回目でギブアップです。
「……長い。長すぎる。まだか。これで終わりか?おっと、また繰り返してるぞ。楽しく話してるから、話をさえぎりにくいぞ。さて、どうやって終わらせたらいいんだ?って、まだ、話すんかいっ‼」
と、もう4回目になると、「じゃ、そろそろ帰るよ」というお粗末な終わり方しか出来ず、毎回、ノックアウトされます。
私はこれに非常に弱いのです。どこでやっていたのかを探ります。すると、すぐに証拠をつかめました。
両親、妹、患者さんに友人。もちろん先生にもしゃべりまくりの酔いまくりでした。ほとんど全員にやらかしていました。
「なんてこった。こんなにウザイとはな。申し訳なかったな。こんな苦痛はないぞ。気をつけなきゃ。」
と思っているのですが、クセは直らないので、気を抜くとしゃべりまくってしまうのです。すると、私が話終わると、すかさず父からのカウンターパンチが来ます。
「ワシもな、そういえばこんな事があったんよ。それはな、えぇ~っと、あれはいつだったかなぁ……」
「ゲッ!また、火をつけてしまった!その話はもう10回は聞いてるぞ。オチまで知ってるやつだ。また、どうでもいいことまで思い出そうとして、思い出せないから途中で話が止まるパターンだ。
しかし、こんなことまで、毎回、繰り返すんかいっ!とはいえ、私が初めにやらかしてるもんな。仕方ない。待つんだ。」
で、やはりギブアップ。「さ、そろそろ帰るよ」と、話は終わっていないのですが、父が息継ぎをしたタイミングを見計らって、無理やり終わる始末です。
父は話し足りないのでしょう。私が帰ろうとしても、母に話をしている声だけが聞こえます。恐るべし、父の繰り返す力。私はノックアウトされているので、「今日も完敗だ」と、実家から足早に去るだけです。
「ふぅっ。また、やってしまった。自分は話してしまうのに、父の話は聞けない。これ、何十回、やらかしてきたっけ。クセに気づいているから、前みたいなムカつきはないが、さすがに疲れる。でも、やった事は、やり返されるもんなぁ。この出来事が終わるまで待つしかないな。」
で、毎回、こんな感じでやらかしてしまいます。が、気持ちの負担はまるで違います。自分がやってきた事だと気づいているので、自ら進んで、自分がしてきた事を受けています。
ですので、苦しくはなく、当たり前の結果だと受け止められるようになりました。
この仕組みを知れたおかげで、私は店員さんや、電話での勧誘がきたとしても、丁寧に対応するように心がけています。なるべく嫌な気分にさせないようにも気をつけているのです。
これも先生から学んだ事です。それは自分の為だからです。すると、やった事は1ミリの狂いもなくやり返されるので、出来事が大きく変化し始めたのです。
お店に行っても、電話でも、とにかく素晴らしい応対の方が多くなりました。心地よい接客に、素敵な笑顔の店員さんと出会うようになったのです。
相手が喜ぶことをしたら、もちろん自分にも跳ね返ってくるのです。考えたら当たり前の事でした。でも、この当たり前のことに、全く気づかずに生きていたから出来事だらけになり、解決策を神頼みや占いなどに頼っていたのです。
全ては「自分のせい」「自業自得」なだけでした。まだまだ、やり返されることはあるでしょう。また過去にやらかした事が消化されるまで、出来事は起こるでしょうが、今後の出来事を自分で変えることができるという事にも気づけました。
自分の人生は、全て、自分が引き起こしています。「やった事は1ミリの狂いもなくやり返される」という仕組みが、皆さんの出来事のヒントになるのではないかなぁと思ってお知らせしました。
それでは今回は、この辺で終わりにしたいと思います。
また、お会いできる日まで。
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