『自分を知る』~自分を認める~
皆さん、こんにちは。ご機嫌いかがですか?
今年もあとわずか。皆さんはどんな一年だったでしょうか?
そんな事を思いながら、今回のテーマは『自分を認める』です。
これが、意外に盲点でして、これが出来ていないから、人に【認めてもらたい!】という欲求がずっと消えません。
なぜか?
それは、自分を自分で認めていないからです。
この事は、意外に自覚がないものであり、取り組もうともしない課題なのです。
そもそも、認めてもらいたい願望は、どなたもお持ちであるやっかいなものです。
なのに解決策を考えず、その欲求に振り回されてしまいます。
そこには、トリックがあったのです。
そろいもそろって、認められたい欲求は平均的に思う欲求なのに、満たされないですよね。
では、そんなに周りに認めてもらえていないのか?
事実は、かなり認めてもらっている事が多いのです。
なのに、その事に気づけません。
皆さんも、もう一度、振り返って考えて頂きたいのですが、結構、周りから褒められたりしませんか?
「よく、頑張ってるよ」「ここは、素晴らしいところだよ。」
なんて言われることもあるのに
「いいえ、そんな事はありません」
なんて返していないでしょうか?
こんな事をくり返すのは、日本人あるあるではないでしょうか?
実は、周りからは、結構、認められているのに満足しません。その言葉を否定し、信じなかったりもします。
私もそうでしたが、恩師が私の良さを伝えているのに、自分で否定していたのです。
「そんな事はありませんよ。だって、こんな私ですし……。」
伝えてくださっている方々の思いを、こうやって踏みにじっていた事に気づきもしないで、悲劇のヒロイン気分でいました。
結局、自分が一番、自分を認めていないので、どんな方が自分を認めてくださっていても受け入れないのです。
「認めてもらいたい」と思っているのに、認めていただいている言葉を得ても、それを否定する失礼を何十回と繰り返しているのです。
これは、気をつけたほうがいいですよ~。
相手に不快を与える指数は、半端ないです。
事実、私が何度も経験しています。
素晴らしいと感じる所を伝えても「そんなことない」と否定されるどころか、
「私、こんなにひどいんですよ。」
という自虐の言葉を聞かされることもあります。「言わなきゃ良かった」と思う不快感は半端ないのです。
こんなバカげたことをくり返している事に気づけたのは、認めてもらったと思う言葉を頂いているのに虚しさが残る不思議があったからです。
「恩師に褒められたいと思っているのに、褒められない」
と思っていましたが、事実は違いました。
恩師は私の素晴らしいところも、その都度、伝えてくださっていたのです。なのに、受け入れない自分だったのです。
「あなたは、素晴らしいところが沢山あるのに、自分を否定ばかりする」
と言われた一言が、響きました。
自分が一番、否定していたから、どんな方に褒められても、認められてもダメだったのです。
私が認めてもらいたかったのは【自分自身】だったのです。
自分の良さも認められない。見つけられないお粗末な見方の自分だったことが、そもそもの原因だったのです。
これって知っているようで、真剣に取り組むことがないので、ここに気づけません。
また、気づいていないと、一生【認められたい病】で悩むと思いませんか?
「自分を認められるのなら、苦労しないさ」
というのは、ただの言い訳であり、「心が貧乏なんです」と発表しているのと同じだったと気づけました。
『人に認めてもらいたいから頑張る。人に認めてもらえたら、やっと自分を認められる。』
というのは、大きな勘違いだったのです。事実はそうなっていないのです。
実際、認められていることは多いのに、認めてもらってる感覚がなかったのは当たり前です。
自分が認めてないから。
ただ、それだけだったのです。
これは大きな気づきになりました。
恩師からも、「これだけは、誰にも負けない。と思うものを一つでもいいから持っておくといいんだよ。必ずあるから。
世界中が『確かにそうですね』と言われるものかどうかも検算すると、揺るぎのないものになるぞ。自分で見つけるんだ。」
これが、更に私を救ってくれたのです。
人と比べるものは【能力】ではありません。そこを比べると、負けるしかないからです。
その揺るぎのないものは、人が聞いたら
「なに、それ?簡単に出来る事だけど?」
と思われるものでもいいのです。
その方からしたら、簡単な事でも、自分にとっては、とっても苦しくて困難な挑戦だったかもしれないからです。
そう言える理由を自分で見つけていないと、揺るがないものにならないのです。
「理由を伝えた時に、世界中の人が、その理由を聞いて納得するものではないとグラつくぞ」
と恩師からアドバイスを頂いていました。
だから、能力では不可能です。世界一ではないから。
また、能力は、一生、続くわけではないですよね。
金メダリストも、いつの日か後輩に抜かされると、やはり心が乱れるはずです。
自分の素晴らしさは、そこ(能力)にはないのです。
恩師からは、「見つけたら、世界中の人から、突っ込みを入れられても揺るがないものかをまた、検算するんだ。総突っ込みをされても揺るがない理由を自分で言えるものなら、もう崩れないぞ」と。
これが、結構、難しかったのですが、見つかりました。
「これだけは、誰にも負けない。自分の凄さであり、素晴らしさだ」
と思えるものが見つかったのです。
これは私にとって大事な宝物になりました。
自分が落ち込んだ時、自分を信じる力が弱まった時に使っています。
取るに足らない内容かもしれませんが、自分の中では揺るぎない自分の素晴らしさでした。
それは、公に発表するものでもないので、この場では差し控えさせていただきますが、自分を鼓舞し抱きしめられるものになりました。
認められたいという欲求も、かなり減りました。
クセは変わらないので、瞬間、瞬間では、認められたくなるクセは出ますが、すぐに消えます。
なぜなら、認めてもらう必要がなくなったからです。
【自分】という最大の愛すべき存在が、自分の素晴らしさを自分で探して見つけられたら、これ以上、心強いものは他にないからです。
認めてもらいたかったのは、恩師である先生でも、世界中の人々でもありませんでした。
私が探していた、認めてもらいたかった人は【自分自身】だったのです。
この大いなる気づきは、認められたい病から解放されました。
地球のトリックってすごいなぁと、感心するばかりです。
気づいたら、なんてことない簡単な答えなのですが、これがなかなか、感覚をつかむまで難しいものです。
この感覚に到達するのに、あと何百回、輪廻しても気づけなかったと思います。恩師と出逢えたからこそ気づけました。
また、ヒントは、もう何年も前に3番目の妹からももらっていたのです。
恩師と出逢って間もない頃、いつも、認めてもらいたくて頑張るのですが、自分を責めてばかりで、責めている事にも気づいていなかった頃です。
「あんた。なんで、そんなに頑張ってるのに、自分を褒めないの?頑張ってる自分を褒められないあんたは、あんた自身が可哀想や」
衝撃的な言葉でした。この言葉に涙が出て、「そうか、私は自分に褒められたかったんだ」と気づけたのです。
妹や家族、周りの人々は、こうやって毎回、気づかせてくれていたのです。
それでも、まだまだブレていた自分が、恩師や様々な出逢いと気づきから、ここまで来れました。
誰が欠けても、今の私になっていません。
何度でも何度でも、失敗はしますが、あきらめずに進み続ければ、必ず手に入るものですね。
どんなに弱くても、何も出来なくても、不器用でもいいのです。
自分の中にある、揺るぎのない素晴らしい宝石は必ず持っているものです。
それを探すゲームです。
皆さんの中にあるダイヤモンドは見つかりましたか?
自分だけのダイヤモンドを見つけたくないですか?
この宝探しは自分だけで出来るもので、自分だけが知っている宝物なのです。
自分の中にある宝物を見つけられると、微動だにしない自分を見つけられます。
どんなクセを持っていようと、何も出来なくてもいいのです。
自分は宇宙でただ一人。
自分を大切にしてください。
自分の素晴らしさを見つけてみてください。
そのために生まれて来ているのですから。
それでは今回はこの辺で。
また、お会いする日まで。