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それでは早速、本題へ。~両親について~

皆さん、こんにちは。

今まで、『自分を知る』ということを先生に伝えて頂いてから約20年経った。当時は意味不明で、何のことか分からなかった。

私の当時の目的は、結婚相手探しだったので、いかにも人間がやっていることをそのままやっていたし、それが人生であり、どんな相手と結婚するかで人生は大きく変わると思っていた。

だが先生と出逢い、その時点で私の人生は一変する。

結婚相手なんぞは、どうでもよくなる。先生が持つ感覚に、くぎづけになった。もちろんそれは能力にも見えた。

「なんの魅力もない」と、心の奥底では自覚していた私は、人より優位に立とうとし、誰も持ってないであろう、先生が持つものに惹かれていたのだ。

だが先生が持っていたものは、いまだに計り知れず、また伝えて頂き、なんとか、つかんだものは想像を遥かに超える驚きの仕組みと、それを実践した結果、私が本当に出逢いたかった存在と出逢えることになった。

それはまさに『自分自身』であった。私が探していたのは『私』だったのだ。この意味は『自分を知る』を実践していけば分かっていくだろうし、いつか『自分』という存在こそが最高傑作だったと気づけるはずだ。それはまた今後、私の経験談を通してお伝えしていく。そして、その感覚を掴むのは、あなた次第である。

今の私は、もちろん先生が到達した感覚には、ほど遠く、果てしない距離がある事だけは分かる。先生は、もうこの世にいないので、あとは先生から伝えて頂いたことを死ぬまでやり続けるしかないと思っている。

そしてそれは、とても楽しくワクワクするものになった。先生が命がけで伝え続けてくださったものを私が同じように伝えきれない事は、重々承知だが経験したことは伝えられる。

それでは、早速。

~両親について~

今は「親ガチャ」などと言う言葉も出だしたらしいのだが、とんでもない勘違いなのだ。

まず、皆さんにお尋ねしたいのだが、両親は選べなくて、たまたま生まれて来たと思っているだろうか?

実際は「自分が選んでいる」あるいは「自分が頼んでいる」
というのが事実である。たまたまとか、偶然なんてものはないのである。

では、なぜ、自分が選んできてるのに、とてもではないが「選ぶはずがない」と思いたくなる両親なのだろうか?

もちろん、たまに「こんな夫婦になりたい!」という方も大いにいるかと思うのだが、きっと、このブログにたどり着いたり、この『自分を知る』というタイトルを見て「見ようかな」と思って、ここに来られたあなたは、両親についても、お悩みなのではないだろうか?

自分の両親、あるいは「母だけ」なり、「父だけ」でも良いのだが、ご不満、ご立腹、我慢の限界、「なんで、この親が自分の親なんだよっ!」と日々、悩まれたり、この親に対して諦めの境地や、あるいは「無視」に徹している場合、

この出逢いはビンゴ!になるのではなかろうかと思ったりしている。ご興味があれば、もうしばらく読み進めていただくと「あなたの知らない世界」という扉が開くのではないかと思う。

もちろん、両親、姉妹、親せき、友人、子供に、夫や妻、職場の人間関係と言われるものに、なんの不満も苛立ちも、疑問もない場合は、ここで切り上げて頂いたほうが良いかと思う。

この、生まれているなら必ずいる存在。『両親』という大きな壁は、皆が必ず持っている存在である。もちろん育ての親でも、なんだっていい。特に『両親』という愛すべき存在は、私たちにとって、とても有難く感謝でしかない存在だが、

なかなか素直に「一点の曇りもなく、感謝しかない!」とは本気で思いにくい高い壁がないだろうか?逆に「友人の両親の子供になりたかった」などという、あり得ない望みを抱いてしまう存在ではないだろうか?

みなさんも、ドラマはお好みで、よく見られる方もいると思うが、あのような家庭、環境、すごい自宅に、優しい兄弟姉妹、仕事、彼氏、彼女に、ドラマチックなシチュエーションが現実に繰り広げられている家庭を実際に見たことがあるだろうか?

少なくとも、私は一度もない。

実際は、ドラマより驚く奇跡が繰り広げられているし「事実は小説より奇なり」である。

この、大事な存在であるのに、一番やっかいで悩みどころのある『両親』というのは、あなたにとっての父であり、母ではあるのだが、あなたをこの世に生み出し、育て、成人にすることが目的ではない。もっと大事な役目があるのだ。それは、

「あなたを見せている」


のだ。『両親』とは、あなた、そのものなのである。その「あなたがしている姿」をそのまま、やってくださっているのである。

大丈夫だろうか?私の話についてきておられるだろうか?目の前で話せている場合は、あなたの反応を見て細かく説明できるのだが、なにせブログだと、目の前にあなたがいないので私の想像でお伝えしていくしかない。その為、あなたの聡明な頭と、素直に聞ける純粋さと、高度な理解力に頼るしかない。

なんて言うのは、冗談が半分だ。「素直さ」は重要なのだ。だが頭が良かろうが、悪かろうが関係ない。あなたにとって必要な事は必ず入るし、つかむはずだ。だから気楽に読んでいただきたい。もちろん信じなくていいし、逆に疑いまくってもらって、いっこうに構わない。

これは実践し、自分で調べるしかないし、全ては自分で、つかむしかないからだ。ただ「両親」は、「あなたを見せている」

そして両親がしていることは「自分がしていた事だった」と気づくまで、両親は、その、それぞれのクセを見せ続ける。

では、次に『クセ』とはなんだろうか?

この『クセ』と言われているものは、以前は「性格」と言われていた。『クセ』だと言い出したのは、私の恩師、つまり先生が『クセ』と伝えて下さった。これは凄いことだと思う。「性格」というと、自分にへばりついて、切っても切れない、どうしようもない生まれつきの、それこそ「遺伝だ!」みたいに思わないだろうか?

「性格」のことを「クセ」というだけで、気持ちが軽くならないだろうか?なんだか一生ついて回る、忌み嫌うべき性格ではなく「単なる持ち物」みたいな感覚にならないだろうか?これだけでも自分を知る上で、とても大事なとらえ方であり見事な表現だと思う。

きっと私では、この先、何千回と輪廻を続けても気づきもしないし、到達さえしない捉え方である。こんな、とんでもない感覚を先生はいつもサラッと伝えて下さっていた。その価値や、そこに気づいた先生の凄さや、発想の凄さに気づくのは、いつも随分あとになる。

また先生は色んなトラブルが起こったり、様々な事件が自分にとって起こるのだが、この事を『出来事』と言い出したのも先生だった。

今では当たり前に使われている『クセ』と『出来事』だが、始まりは先生が伝えだしてから、日本の、どこそこでも聞こえ出した。こうやって先生が発信していった事が流れていく過程にも驚いた。

そして、この言葉は今後も頻繁に使っていくことになる。『自分を知る』うえで欠かせない言葉である。

この、自分が「性格」だと思っていたものを、ここでは『クセ』と呼ぶことにして話を進めよう。

さて、両親が自分だとは、にわかに信じがたいと思うが、ご両親は『自分』がやっていることを見せているだけなのだ。もちろん「遺伝」ではないし「両親に似てるんだよね」なんていう生易しいものではない。「そのまま、自分」なのだ。

この世に生まれて来た理由は『自分を知るため』なのである。その為に長い期間、自分を知るために綿密な計画を立て、自分を一番、身近で見せてくれる『両親役』を探し、頼み、それはそれは緻密に輪廻のプログラムをたてて生まれてくるのだ。

こうやって全員が、生まれてくる前の世界で、計画を立てて来るのだ。だからオモチャのガチャガチャで「何が、出るかなぁ~?」みたいなお遊び感覚では全くないのだ。よく考えたら「そりゃ、そうだろうなぁ」と納得できる。

まず、いまだに解明できていない体の神秘にしても、誰が考えて誰が創ったのか?私は医療従事者なので、体の事はかなり調べてきた。施術というより、この体の凄さに驚嘆していたし、ずっと前から興味があり、体の繊細で緻密な仕組みを知るたびに驚愕していた。知れば知るほど

「こんなものを使う機会を与えられてる自分は、まさに神じゃないか!」

と納得していた。こんなあり得ない驚異の体を持つ人間が「たまたま」とか「偶然に生まれた」とは考えにくい精密さなのだ。

それにしては、人間としての自分は、どうしようもなかったので、肉体の凄さと、自分のポンコツさのギャップに疑問はあった。つじつまがあわないと思うからだ。だが、すべては完璧だったのである。

どの存在も崇高で、なくてはならない価値ある人間であり、どんな方も素晴らしく、美しく、ユーモアのある存在。そして傑作だったのだと知れた。

私たちは、この地球という「輪廻」が出来る星で、大いなる目的を持って生まれて来たのだ。『自分を知る』という素晴らしい経験をするために、そして壮大なゲームをしに、この「美しき星、地球。」に生まれて来たのである。

その中で、始まりになり原点にもなる『自分』をこの世に生み出してくださった『両親』という存在は、どんな両親であろうと、あなたにとって、それはそれは大切な存在なのである。自分を知っていくと、この事がよく分かってくる。

本当の意味での「感謝しかない存在だった」と気づける経験が、生きている間に出来るかもしれないチャンスになるだろうと個人的には思う。

あなたにとってのご両親は、とてつもなく大切な、かけがえのない存在であることは間違いないので、この辺は、ゆっくり、じっくりお伝えしたいと思う。

なので、まずは意味は全く分からなくていいので

「両親は、自分を見せている」


ということだけお伝えする。また機会を見つけて、続きをお伝えしたいと思う。

それでは、今日の所は、この辺で終わりにしたい。

では、皆さん。

あなたにとっての『今』が、楽しい時になりますように…。

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