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イバラの道

皆さん、お元気でしょうか?私は今も、自分を知る為に、日々、出来事を楽しんでおります。

ただ、今は積極的に「自分を知る」をやっていますが、当初は、本当に難しかったので、そのことに触れてみたいと思います。

前回、父に対して、自分が気づいてから、さっそく父やら母やらを調べていくのですが、まず

「あれが自分だと?どこが?まるで真逆じゃないのか?」

という言い訳、「自分のはずがない!」という事から始まりました。

父が見せてくれていたのは、まず、『自分が正しい。人の言うことは聞かない。相手を見下す。自分は賢いと思っている。』などなど、数限りないクセを見せ続けていました。

この仕組みを知るまでは、父の「性格・性分」だと思っていました。ですので、にわかには信じがたい私のクセの事実だったのです。

「人を見下す。バカにする。自分が正しいと思っているから、誰の言うことも聞かない。理屈っぽく、しつこく、一度、怒らせたら、なかなか怒りが静まらず、たちが悪い…。

どこが私なんだ?私は笑顔で、誰にでも優しいし、人に迷惑をかけたりしないぞ。あぁは、ならないでおこうと気をつけて生きて来たんだぞ。」

ですが、感じているのだから、言い訳しようがありません。また、無視することもできません。なぜなら「この自分だ」と、怒涛のように出来事がやってくるからです。

常に似たような出来事です。気づいていないクセは、沢山ありますが、メインは一つなのです。

たとえば、「自分が正しい」と思っているクセがメインの時、常にこのテーマの出来事ばかりが繰り返されるのです。この地球は、この仕組みを知っていようが知るまいが、自分を知る為に全てが動いています。

出来事が毎回、同じで何度も同じミスや、同じ気分の悪さを繰り返している場合、自分に全く気づいていないから、お知らせが何度も来るのです。

私は、父が母を見下したり、自分の正しさを押しつけているように見えた時は、腹が立ちすぎ、また悲しくなっていました。

「なぜ、何度もそんなことになるのか。なぜ、父は、反省する訳でもなく、やり続けるのか。」

また、母は母で、父を怒らせているのに、なんの反省もなく何度も同じ反応をし、同じ繰り返しを何十年もやっているのです。

「なぜ、常に、父の言い方ばかりに腹を立て、父の怒っている理由を考えたり、次回は怒られないようにしようと努力をしないのか。」

と、両親の学習のなさが非常に不思議でした。年齢を重ねても毎回、同じ事の繰り返しをする両親の言動、行動が、腹立たしくもあり、また疑問でもありました。

今は、よく分かります。原因は私なのです。私を見せているわけですから、私が気づかなければ、両親も親族も、家族は皆、やり続けます。

ただ、実際に感じてみると、とにかく目を覆いたくなるほど、嫌悪感しかありません。大嫌いな言動、行動、最悪な人間性。どうしても自分に見えず、弱音を先生に吐き出しました。

「先生。どうしても、父は父にしか見えません。自分がしていると思えません。それに、ほんとに嫌になります。😢」

「だから、あなただと言ってるだろう。感じてるのは自分が同じことをしているから感じるんだ。あなたが気づかないから、家族は演技をし続けるんだぞ。

あなたのように、輪廻が多い場合は、スタッフも、そのクセのプロが来るんだ。スタッフは凄いんだぞ。強烈だぞ。」

のような説明をしてくださいました。スタッフの方は、主人公のクセを、自分の輪廻でも何度もやっていて、そのクセを否定せず、クリアしている、受け入れている方に、主人公はスタッフ役を頼むそうです。

なぜなら、皆、愛ですから、嫌な役ほど苦しいものなのです。ですが、主人公が、その自分を知りたいと願っている場合、スタッフ役になる方が、そのクセをバツにしていたり、反省していたら、主人公に思いきり演技ができません。

ですから、頼むときには、その方の輪廻での実績が問われます。演技をしてもらうのに、スタッフが苦しんでしまったら、元も子もありません。

主人公はスタッフ役の方に、事細かく、頼むそうです。

「自分が正しいと思い込んで、思いきり私を押さえつけてください。私は、いつも、このクセに気づきませんでしたから、今回は気づいて帰りたいのです。」とか

「私は、自分が正しいと押さえつけてきてばかりで、押さえつけられたことがないので、今回、思いきりやってもらえますか?

その顔つきでは私の肉体はブレません。もっと、眉間にシワを寄せて言ってもらえますか?あぁ、そんな感じです!それだと、私の肉体は、思いきりブレますから。」

等ということまで、生まれる前から、綿密に計画し、演出まで頼んで地球に生まれてくるのです。

まるで、映画監督が俳優さんに演出するのと同じです。映画も輪廻を表しているようなものです。

主人公がいて、沢山の助演者がいますよね。そして、主人公は色んな出来事に翻弄されます。脇を固めるプロの演技派がいればいるほど、主人公はそれぞれの形でブレ、悩み、成長していきます。

嫌な役ほど大変なのです。この地球は経験の神々が集い、自分を知る為の素晴らしいゲームをする星なのです。

この壮大なゲームは、相手が何者かを忘れてこなければ、純粋に感情体験ができません。

だから、素性は分かりません。亡くなったら、全てを思い出すゲームです。

そして、輪廻を繰り返すほどに、クセも強くなることが多いので、主人公の圧に、スタッフが負けるわけにはいきません。

計画通りに、経験したい訳ですから、主人公の圧にも負けず、その道のプロが役目をしてくださることも多いそうです。

私の両親は正に、プロでした。一筋縄ではいきませんし、そのクセは、見るだけで、ほとほと嫌になる凄さがありました。

腹が立って、言い合っても、へこたれるどころか、何度でも言ってきます。この凄さには参りました。そして、元気なのです。

両親が、スタッフである裏事情を知っていても、私は何度もへこたれ、その嫌さは、類を見ない嫌さでした。ですが、「あれが私だ」と言われる。

「どこなんだ?あんなに人を押さえつけたり、強制、強要したりバカにしたりするかなぁ?あんな人間性は最悪じゃないか。めったに見るもんじゃないくらいの強烈さがあるぞ。」

その自分から逃げても、見ないふりをしても、目の前で、たびたび見せられます。もうお手上げをして真剣に探しました。すると、すぐに見つけられたのです。

なんと、妹にしょっちゅう、やらかしていました。最悪な姉だったのです。妹を押さえつけ、自分の考えの正しさを押しつけ、妹が「その通りだ」と私の意見に納得した行為を見るまで、しつこく言い聞かせ、強要、強制していたことを思い出したのです。

「なんてこった!父の比ではないじゃないか!相手にムカついたら、その相手がしているクセの1,000倍が、自分がしているクセだと言っていたけど、ほんとだった!私は、なんて奴だ。こんな最悪な自分だったなんて……。」

自分にショックを受けたのですが、驚くことに、父への苛立ちが消えていったのです。これも不思議でしたが、相手へのムカつきが消えたり、苛立つ度合いが明らかに変わりました。

なぜなら、自分のほうが、ひどいと分かったからです。

気づいたら、認めたら、そのクセは消えないけれど、まず、その行為をやめるし気をつけます。それでも、またやってしまうことはありますが、気づいていない時は、どうしようもないので、その自分よりはマシです。

妹が被害者でした。こんな姉をもって、申し訳なくもあり、本当に嫌な思いをさせてしまったと思います。私は、妹が大好きだったのですが、嫌われるのは当然だと改めて自覚もできました。

それでも、妹は、私から離れるわけでもなく、私を慕ってくれたり、困っていた時は、以前と変わらず、助けてくれていたのです。

ですが、「自分を知る」が始まると、一つのクセに気づいて安堵していたら、すぐに次から次へとやってくるのです。

「もう、妹を傷つけたりしないぞ!」と心に決めたのに、次はまた、違う嫌なクセが出てくるのです。
その自分を知るたびに落ち込み、なえて、自分がもの凄く嫌になっていきました。

自暴自棄になるのです。でもクセは止まりません。ちゃんと確認し、認めるまで、クセは出続けるし変化もしません。

「こんなことなら、自分なんて知らなきゃよかった。知らないほうが楽だ。こんな自分だったなんて。

自分が大嫌いだ。どうして生きているんだろう。先生とも、あり得ない差がある。苦しい。自分を知りたくない。

でも、このままだと、なんにもならん。でも、苦しい。いっそのこと消えてしまいたい!なんで輪廻なんてしたんだ!」

こんな時、先生がいつも助けてくださいました。私の良い所を伝えてくださったり、ジョーダンを言って笑わせて下さったりしたのです。

どんな自分でも、受け入れてくださいました。

「今は苦しくても、知らない時より、今のほうがいいんだよ」

と伝えくださいました。

「どうか?自分に気づいたか?気づくだけでいいんだ。認めるだけでいいんだよ。そうしたら、消えるから。」

この意味が、当時は分かりませんでしたが、今は分かります。気づいたらやめます。気づいていないから、やり続けるのです。クセは変わりませんが、気づいたら、その方の雰囲気が変わります。

これは理論でも理屈でもないので、そのクセのある自分に気づいた方が経験できるものなのです。

「自分を知った時から、苦しみだすからな。認めるだけだぞ。そうしたら勝手に消えるから。」

こんな心の仕組みを誰が見抜けたでしょうか?ノーベル賞どころじゃない大発見だと個人的には、いつも思います。自分に気づいて、心が解放されるたびに、この凄さを実感します。

先生が気づいてくれたおかげであると思うと、先生にもスタッフにも感謝しかなくなります。そして、そこにチャレンジし、逃げずに向き合った自分を褒められるようになりました。

何も出来ない自分だけど、ここに挑戦し自分を知れた。苦しかったからこそ、その先にある喜びは、何倍にもなって返ってくることも知れました。

自分を知るのは「イバラの道」ではありますが、自分を知れた喜びは、計り知れません。これは生きている今しか出来ないものだから、こうやって、お知らせだけしています。

地球での輪廻というものは、自分の素晴らしさを知れる旅なのです。

ではまた、自分の軌跡を思い起こしながら、進めていきたいと思います。

それでは、次回、お会いする日まで。


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