なぜTVディレクターになったのか?
このnoteは人に見せること以上に、自分自身の備忘録として書いてる側面があります。なので、ぼくがなぜTVディレクターになったのかなんて、他人からすれば「そんなん知るかよ!」ってところですが、まぁ興味がある方はお付き合いください。
■歴史好き少年
子どもの頃は考古学者になりたいと思ってました。
歴史好きの子どもでした。父親の影響や住んでいた地域の影響もあったと思います。
テレビは好きでしたが、別にテレビ番組を作りたいとか考えたこともありませんでした。
■カメラ好き少年
今のぼくの原点を紐解いて行くと、
子どもの頃から写真を撮るのが好きだったということが挙げられそうです。
今のように、スマホで簡単に撮れる訳ではありません。
父親が使っていた、一眼レフを使っていましたが、当時のことですからオートフォーカスもオート露出も何もない完全マニュアルカメラ。
小学校高学年になると学校の遠足で撮影担当をやってました。
けど当時は、写真部に入りたいと思うほどの情熱はありませんでした。
■小説家になりたい
高校生になると本を読むことにハマり、小説家になりたいと考えるようになりました。本を読むことの面白さを、高2で初めて知りました。
自分でも本を書きたいと思った理由は何か?
ここまで何度かnoteで触れて来ましたが、ぼくは極度のコミュ障でした。
友達は少なく、特に女性とちゃんと話すことなんて出来ないくらい。
口下手で、人と話すのも超苦手で、無口な人でした。
無口な人って世の中にたくさんいると思うけど、何も考えてないわけではないんです。考えが口にでるのが遅いんです。
でも、人に何かを話したい伝えたい、という欲求はあります。
そこで気付きました。
「本は人に何かを伝えるアイテムやん」
「本を書けば口下手な自分でも、人に何かを伝えられるかも」
この気付きが、自分の人生を変えることになりました。
自分が生きるべき方向性が見つかったのです。
でも、本を書く才能が無いことはすぐに分かりました。
(これについては後述予定)
■映像の撮影を始めた
大学生に入ると、バイトしたお金で一眼レフカメラを買って撮影するようになりました。
同時に、父親がビデオカメラを買ってくれたことで、映像撮影もするようになりました。これが大きな転機だったかもしれません。
ビデオカメラは映像撮影の面白さを教えてくれました。
だからと言って映像の道に進もうとは、その時は考えていませんでした。
■いよいよ就活
さて、大学生ともなると就職のことを真剣に考えなければなりません。
小説家にはとてもなれそうにない。
どうするか?
当時、時代はバブル。
景気が良く、広告業界が元気な時代でした。
糸井重里さんを代表格とする、コピーライターという職種が花形でした。
「そうか、そういう道もあるのか?」
「テレビCMを作るような仕事をしてみたい」
「企業の広報担当か」
「いや、テレビ局そのものを受けるのもありか」
「テレビ局に入れば、自分が好きな歴史番組が作れるかも」
「そか、テレビ番組ってのは『自己表現』の場でもあるんじゃね?」
■テレビ番組作りは自己表現の場?
文章を書くのも好きだ。
写真や映像を撮るのも好きだ。
これらはどちらも「自己表現のアイテム」やないか。
そうか…
自己表現が苦手なぼくは、
文章や映像を通して自己表現できるんやないか?
これが、ぼくがテレビディレクターを目指した、一番の動機です。
テレビ番組が好きやとか、 タレントと仕事がしたいとかではなく、口下手な自分の自己表現の場としての映像制作だったのです。
テレビ業界は当時人気の職業だったけど、運良くぼくを拾ってくれた会社がありました。その事は感謝しています。(その後、その会社の上司のある発言から、このクソ会社!と思うようになりましたが💦後述)
長々と書いてきましたが、結論。
なぜテレビディレクターになったのか?
それは、自己表現の場だと思ったからでした。
そしていくつかの番組では、それが出来たかと思っています。
これについてはまたゆっくり書こうと思っています。
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