ヨコ、ありがとう(横山知伸さん追悼・1)
(この内容は2/24の大宮ー八戸戦の後に書いたものです)
1月11日、寝耳に水の訃報だった。
「落ち着いて聞け、横山さんが亡くなった。」
旦那によりもたらされたその言葉の意味がわからず、とりあえずXを開く。大宮アルディージャからのリリース。それを追うように在籍したクラブのアカウントもコメントを寄せている。そんななか怒涛の商店街挨拶回りのツイートをしている川崎フロンターレ。空気読め(仕方がないんだけど)。佐々木旭と山内日向汰が近所を歩いているようだがそれどころではない。
情報、情報をくれ。
そうは言ってもリリースに書いてある内容以上のものは得られず、同じチームでプレーした選手や仲の良かった選手がぽつりぽつりとヨコの訃報に触れているくらいしか情報源がなかった。本当なのか。
後日「お別れの会」を開催予定とリリースにあったので待ち侘びていたけれど続報がないままJリーグの開幕を迎え、大宮アルディージャの開幕戦にて「横山知伸メモリアルコーナー」が設けられるというので、行ってきました。
大宮の18番のユニフォームとタオマフを身につけるのも、これで最後だろうか。
大宮のユニフォームだけかと思っていたら、在籍した全チームのユニフォームが飾ってあった。
モニターで映していた写真の数々がとても良くて、中でも家長昭博とグータッチしてる写真が良い。
まあそんな訳で1年ぶりの大宮の試合観戦。
試合前の応援歌「叫ばずにはいられない」を歌っていたら不意に泣けてきてしまった。ヨコがいた3年間、観に来れた試合数はそんなに多くないけれど、特に2015年の大宮がすごく好きだったし、確かにここで歌って応援してた時期を思い出した。
キックオフ前に全員で黙祷。大型ビジョン改修中だそうで写真が映し出されなかったのが少し残念だけれど。
何人か横山ユニを着てる人を見かけたのが嬉しかった。
試合は4-1で勝利。長澤監督が試合後のコメントで「今日はポスト1本助けられたような、そんな気がします。」と述べられていて、ほう、あの相手のシュートがポストに阻まれたのはヨコが守ってくれたからか、と。コメントでヨコのことに触れてくださったのがとても嬉しい。
正直まだ信じられないし信じたくない。Jリーグ開幕だー!とテンション上がってるサポーターの皆に気持ちがついていけない。
去年、話したりする機会はありませんでしたが(大宮の練習場に行こうと思っていたらユースのコーチになってしまったので)、2月に麻生グラウンドで川崎と大宮の練習試合があり、双眼鏡越しに姿を見ることができました。写真NGでしたが小林悠、安藤駿介などの選手や強化部の田坂祐介、鬼木監督、寺田コーチ(当時)と談笑する姿を見ることができて、とても懐かしい気持ちになりました。大宮の試合も、コーチをやっている間に一度観に行くことができました。
引退発表後、川崎対札幌の試合にて引退挨拶をする予定がコロナで試合が延期になり引退挨拶の機会がなくなり、札幌ユースのコーチになったこともあり直接姿を見られる機会もなく、選手生活お疲れ様と伝えられないまま3年が経ち、もう今更だよなと思って何もしなかった自分。後悔するくらいなら大宮のコーチになってすぐに西大宮に行けばよかったし手紙だって送ればよかった。推しは推せるうちに推せ。死んじゃうなんてことはそう滅多にないだろうけど人生何があるかわからない。
まあでも川崎からセレッソに移籍するときに、後悔したくないと思ってフロンターレ展の入口で寄せ書き集めたり、やれることはできたかなと思うので、もうそれで十分かなとか。そう思わないとやっていられないのだけど。
フィジカルコーチとして頑張る姿をもっと見たかった。色んなチームを指導する姿を見てみたかった。
あーだめだ、信じたくない。
ここまでが2月に書いてそのままになっていたぶんです。
6月18日、「横山知伸氏を偲ぶ会」が開かれ、参列してきました。
2では偲ぶ会について書きたいと思います。
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