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ヨコ、12年間お疲れ様でした(川崎フロンターレ編)

何から書けばよいかわからないのだけど、気がついたら12年間追いかけてしまった横山知伸選手が引退を発表したということで、何か書き残しておきたいと思ったので思いつくまま書いてみたいと思います。

※選手名は以下敬称略で失礼します

横山が川崎フロンターレに加入した2008年、私はまだそこまで熱心なサポーターではありませんでした。先にフロンターレにはまってしまった旦那にくっついて、時々観に行くくらい。

この年は既に特別指定選手として試合に出場していた田坂祐介、大学NO.1ディフェンダー(当時は主にボランチ)として他クラブと競合の末獲得したという菊地光将が先に決まっていて、横山の加入が発表されたのは12月21日と遅かったのです。

当時のニュース記事が見つからなかったのですが、大手証券会社の内定を辞退してJリーガーになるということで、なんかおもしろそうな選手が入ってくるぞ、と思ったのを覚えています。大卒3人セットでいることも多くて、「この3人がいればフロンターレは安泰だな」と思っていたし、3人で居る様子の独特の空気感が好きで、仲の良い様子が伝わってきて微笑ましかったし、癒されてました。

初めて試合で見た時のことは正直覚えていないのです。どの試合を現地で見たのかがそもそも思い出せないし、何せライトなサポーターだったもので。ツトさん(高畠勉監督・当時)が「なんで0-2やねん!」とハーフタイムに一喝したという伝説の試合(2008.4.26 J1第8節 柏レイソル戦)が等々力デビューのはずで、最初だと思うんだけどなあ。

フロンターレの公式サイトには、選手の人となりがよくわかる「ピックアップ・プレイヤー」というコーナーがあります。2008年の横山の記事はこちら。

この記事の中に、「父親を癌で亡くしている」とあって、私自身も幼い頃に父親を癌で亡くしているので、一気に親近感を持ちました。

そして夏には伝説のファン感ですね。本人は記憶から消し去りたいみたいだけど(うちの旦那が撮影してYouTubeに載せた動画が残ってる限り無理だなw)、やってくれましたね。エアあやや。あれで人気急上昇しました。

いや、それにしてもひどいな(褒め言葉)。

2年目からはボランチで起用されることが多くなって、中村憲剛、谷口博之、横山の3人で、中盤の底を担うことも多かったです(にわかファンおぼろげな記憶)。多分初めてコンフィットTシャツ(選手の背番号入りTシャツですね)を買ったのもこの年。いま考えるとよく全選手分売ってたなと思うけど、旦那に「誰にする?」と聞かれて「横山にしようかなー」と。正直なぜ横山だったのかはわからないし気まぐれといえば気まぐれ。なんか大学浪人してたり異色の経歴だし、応援したかったんだと思います。

順調に出場機会を増やしていたけれど、3年目は稲本潤一が加入したのもあって一気に出場機会が減り。4年目、監督が相馬さんになり、センターバックで開幕スタメンを掴んで上々の滑り出し、と思っていたところに、東日本大震災が起こります。

1ヶ月半ほどの中断を経て、再開試合の相手はベガルタ仙台。なんか雰囲気が異様でした。否が応でも注目は仙台に集まるし。横山はセンターバックでスタメン出場していましたが、後半、仙台の太田吉彰のシュートが横山に当たってゴール。1-1の同点に。さらに、終盤で相手にFKを与えてしまい、マークを外されて鎌田次郎に逆転負けゴールを決められてしまった。

この試合の話は、2011年のピックアッププレイヤーに詳しいので、ぜひ読んでいただけたらと思います。

この年、初めて横山の背番号が入ったユニフォームを買いました。全選手対応のコンフィットTシャツを売る予定がないとわかったからなんですけどね。
横山の誕生日が3月18日なので、その近辺で練習場行ってプレゼント渡してユニフォームにサインお願いしようかなーとか呑気に考えてたんですけど、、それどころじゃなくなった。肉離れで離脱したこともあり、結局サインを入れてもらえたのは9月頭のファン感謝デーでした。

前述のピックアッププレイヤーにも「8月の復活にむけて」と書いてあるけれど、肉離れの怪我をしたのが6月25日アウェイ鹿島アントラーズ戦。全治4週間と発表されて、8月には戻ってくるかなと思うじゃないですか。戻ってこなかったんです。

ようやく、ようやく戻ってきたのは11月16日の天皇杯3回戦大分トリニータ戦でした。この試合の柴崎晃誠とのダブルボランチはとても良かった。続けて、11月19日のJ1第32節サンフレッチェ広島戦。途中出場してJ初ゴールを決めました。広島ビッグアーチの現地で立ち会えたのは本当に嬉しかった。人生で初めてゲーフラというものを作り、掲げた試合でゴールを決めてくれたのは幸せすぎでした(こうして人は応援沼にはまっていくんだろう)。試合も残り少ないけど、来年はきっと活躍してくれるだろう、そう思ってました。

リーグ戦が終わり、残すは天皇杯だけになった頃、横山に複数クラブからオファーがあり争奪戦になっているというスポーツニュースが。でも天皇杯を勝ち上がれば残ってくれるだろう、残ってほしい。そう思って応援した天皇杯4回戦湘南ベルマーレ戦。負けました。ゴール裏で座りこんで泣いてしまったのを覚えています。ヨコもキクも出ていっちゃう、嫌だ、行かないで。叫びました。
試合後のバスを見送ったとき、バスの中からこちらを見た時の顔は忘れないだろうなと思います。

それから程なくして、セレッソ大阪へ移籍のリリースが出ました。

こう、書き出してみると、やはり記憶が濃いのは2011年からなんですよね。入団時から応援はしていたけど、ユニフォーム買って、ゲーフラ作って、というファンらしいことを始めたのは2011年だったし、もし翌年も川崎にいたら横断幕も作っていたと思います(横山の横断幕、毎試合出してる人はいなかったので)。正直、不完全燃焼でした。もっとフロンターレの横山を見たかったし、移籍とかしないだろうとか甘く考えてた。

でも移籍が決まってしまったのは仕方ないので、できるだけのことをして送りだしたいと思い、個人で寄せ書き集めて送別会で渡しました。Twitterで呼びかけたりフロンターレ展の入口の前で書いてもらったり。(その節はサポーター仲間の皆さんに本当にお世話になりました。)

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(暗かったので私の手持ちのレンズと腕ではこれが限界でした)

やれることはやったし、セレッソでも頑張れよ、アウェイのセレッソ戦は川崎側で観に行くからね。そう思っていたはずなのです。
セレッソ大阪編へ続きます。(続くの?)

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