
ミステリー 里見弴の我孫子の土地の謎を解け! 2
【ここまでのあらすじ】
里見弴の我孫子の土地の地番がわからない
〇「破れ暦」序文の驚き
さて、ここで話が冒頭に戻ります。
『破れ暦』序文のどこに、どうしてびっくりしたか。
赤線を引いてみました!

抜き出してみます。
「一昨年の初夏の候、(略)我孫子の沼べりに持っていた私の地所を、知十さんにお譲りすることに話がきまり」
こ、こ、こ、これはーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
ガタァッとする私。
これまでケンカのあと我孫子の土地をどうしたか、弴本人の言及はほとんど見かけませんでした。でもついに発見したのです。
岡野知十さんに売ってたんだ……!
読み返してみると、売った時期は「一昨年の初夏」とのこと。
一昨年。つまりこの序文の時点から2年前ですね。
最後まで序文を読んでみますと、最後に書いた日付が出てきました。
「大正十三年六月二十五日」、あ、ありがたい~~~~~!!!!
ということは「一昨年」は大正11年ということになります。
そのころ我孫子の土地を手放し、以降は岡野知十さんが住んでいたのでしょうか。
はやる気持ちを抑え、新しい情報を求めて序文を読み直し、つづけて木川恵二郎さんの本文にも目を通してみます。
なお前述したとおり、『破れ暦』は木川恵二郎さんの遺稿集です。
序文で弴は「実に、これから、という年齢だ」と述べ、ふかい哀悼の意を表しています。
調べてみると、戯曲家だった木川恵二郎さんは26歳という若さで世を去られたそうです。
収録された作品を読んでみると、小説の類は未定稿も多く、一人の青年がみずからのありかたを作品として書きあらわそうと試行錯誤する筆のあとが、まざまざとうかがわれます。
まさにこれからというところだったでしょう。
遺稿集をまとめたのはお兄さんだそうです。ご家族のお気持ちも想像され、つらいものがありました。
国立国会図書館デジタルで読めますので、この記事を読んでおられるかたもよろしければ……!
というわけで、思わずじっくり『破れ暦』を読んでしまったのですが、我孫子については大正12年にボートに乗ったという一文しかないようです。
そのあと我孫子に住んだかどうかは、この本からはわかりませんでした。
ふと思いついて、webにあがっている我孫子の昭和初期の地図を見てみます。岡野知十さんか木川恵二郎さんの名前がないかな?
「我孫子インフォメーションセンターアビシルベ」のホームページに大正時代の地図が紹介されているのです。

わからん。
これは疲れ目にこたえます。
この地図を一世帯ずつ見ていくのは、後回しにしましょう。
となると、お父上の岡野知十氏の大正11年以降の住所を調べてみようかな?
と、続けて国立国会図書館デジタルで検索してみます。
目指すは知十氏の著書。それも大正11年以降に発行されたものの奥付です。うまくすれば、すぐに住所が判明するはずです。
なぜかと言うと、当時は奥付に著者の住所がまんま載ってたからです。
昭和の同人誌か?って感じですね。
ほかにも、作家の住所録が公開されていることもありました。
個人情報保護も何もあったものではないですが、まあのんびりした時代だったのでしょう。よく知らない人が「原稿読んでください」といきなり押しかけてきたりするので大変だったようです。
さて、岡野氏の書籍の検索結果が出ました。

16冊。
これ以上条件を絞らなくてもいいでしょう。一冊ずつ発行日を見ていきます。大正11年以降の本は5冊です。
とりあえず、大正13年の岡野氏の著作『湯島法楽』の奥付を見てみましょう。

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/982564
東京の根岸……。
我孫子ではない……。
他の本ものぞいてみましたが、やはり住所は根岸です。
我孫子の土地は別荘か何かなのでしょうか? もしそうなら、奥付や住所録ではわからないかも……。
嫌な予感がしつつ、さらに岡野氏の著作を調べていきます。
俳句はさっぱりわかりませんが、
「一月や 恋さえ何処か あらたまる」
なんて、なかなか今の人にもウケそうじゃないですか?
などと寄り道しつつ、ヒントが見つかりました。
昭和8年の『鶯日 坤』。我孫子の句がよく出ており、こういう詞書があります。
「我孫子 湖上園にて」
湖上園……?
記憶のどこかに引っ掛かりが……ウッ……。
頭を押さえながら検索してみます。

レンタルボート屋さん……かあー……。
大正時代にあったのだろうか……?
さっき見た大正時代の我孫子の地図にはボート屋さんなんて……。
そう思った瞬間、ハッとしました。
引っかかると思っていたのは、これだ!
さっきご紹介した我孫子の地図。
あの一部です。

この左上。

こ、こ、こ、湖上園~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!
しかも前回ご紹介した里見弴邸の地図と近い!!!
志賀直哉邸もめちゃ近所!!!!!
これは絶対関係あるぞ!?
俄然やる気が出た私は調査を続け、
・どうやら木川恵二郎氏は、弴から買った土地で農業をしていたらしい
・その土地の一部を『湖上園』と名付けていたらしい
というところまでを確認。
位置関係から考えても、我孫子の白樺文学館様が「弴の土地」と表記しておられる土地で間違いないのではないか、と判断し、あらためて問い合わせのメールをさせていただきました。
数日後、ご返信をいただき、住所を教えていただけたのです。
住んでいたのが木川氏というのも間違いないそうです。おそらく、知十氏は息子のところに遊びに行って、我孫子の風景を句に詠んだのでしょう。
地図で見てみましょう。
ざっくり赤線で囲んだ部分。このへんだったとのことです。

白樺文学館様、ご担当者様、ありがとうございました!!!!!!!!!!
私がぼんやりしていたためにだいぶ遠回りをしましたが、まあいいとしましょう!!
続いてやることは、登記簿・土地台帳の入手です!
〇登記簿・土地台帳を探せ!!
このふたつについて軽く説明します。
どちらも土地についての権利等を記録してあるものです。
土地台帳は不動産の固定資産税のために作られました。
所在地や所有者などの情報が載っています。第二次大戦後、登記簿と一元化されてなくなりました。
登記簿は、ある不動産に対して、だれがどういう権利を持っているかはっきりさせるための記録です。所有者やその他、抵当権などの権利が載っています。
「この土地は私のものです」と言われて買ったらウソだった……となると困りますので、誰がどういう権利を持っているのか、みんなが見られるようになっているわけです。
この登記簿、分筆や合筆などで新しい住所がつくられることがあります。
するとその前のものはもう更新されることがなくなります。
「閉鎖登記簿」と呼びます。閉鎖されて20年過ぎると破棄することになっています。
これらは、いわばタイムカプセルです。
大正時代に売買された弴の土地には、土地台帳と登記簿があるはずです。
この二つを手に入れることで、弴の土地の詳しい情報も手に入るのです。
土地台帳はまだあるでしょう。
登記簿はもう閉鎖されて廃棄になっている可能性の方が高いですが、聞いてみるに越したことはありません。
というわけで、申請作業にとりかかります。
どちらの申請先も、管轄の法務局です。
調べてみると、我孫子の管轄法務局は千葉県柏法務局だそうです。ここに申請しましょう。
web上でもできますが、土地台帳に関しては事情を説明しないと発行してもらえません。郵送にします。
事情を説明する別紙を作成し、問い合わせ用の電話番号も書いておきます。
つぎに申請用紙をダウンロードして必要事項を記入。
その際、土地は地番で書かないといけません。
私たちが日常つかっている住所とは別に、登記のためにわりふられた土地の番号です。
文学館様に教えていただいた住所から地番を調べます。
幸い、我孫子の地番は市役所のホームページで公開されていました。昔はブルーマップを買って調べていたそうで、いい時代になったものです。グーグルマップの住所を参照しつつ地番を特定。
ただ、土地勘がなくて不安なので、地図も印刷して赤で囲み、
「このうち山内英夫(※里見弴の本名です)の名があるものを探しています」
と書き添え、これも添付します。
こういうこまごまとした作業を終え、返信用封筒とともに千葉県柏法務局に郵送しました。
待つこと数日。
法務局から確認の電話が入りました。
職員さんは、おっとり丁寧に話してくださる方でした。たま~に怖い方がおられるのでホッとします。
「ご依頼の、土地台帳の範囲を、調査しまして~」
はいはいはい! 待ってました!
勢い込んでうなずきます。
まあ登記簿はないにしても、土地台帳はあるでしょう。
「8筆ほど、あったんですけど~」
「はい」
「その中に~」
「はい」
「山内英夫さんの~」
「はい」
「土地台帳は~」
この辺でだんだんドキドキしてきます。
あれ? もしかして……なかったのかな?
文学館さんへの私の質問のしかたが間違ってて、関係ない土地を教えてもらっちゃったかな?
そうとも知らず、丁寧に話してくださる職員さん。
「8筆の中に~」
思わず手に汗を握りました。
急に日常がスリルに満ちる……!!
果たして土地台帳は、あったのか……なかったのか……!?
その答えは……!!??
「ありました~」
あ、あ、あ、あ、あったんか~~~~~~~~~~~~~~~い!!!!
しょ……勝訴!!!!
やっと見つかりました……!!
残念ながら閉鎖登記簿はもう破棄されていたようでしたが、これはしかたありません。
数日後、無事に土地台帳が届きました。
柏法務局様、ご担当者様、ありがとうございました!!!!!!!!!
いよいよ、当時の土地の状況を見ていきましょう!!
【つづく】