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『君と私 志賀直哉をめぐる作品集』解説補遺①


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中央公論さん何かありました!?

……と、聞きたくもなるというものです。

それくらい、中央公論から里見弴関係の本が出ています。
四~五月でなんと三冊。しかも復刊ではなく新刊です
オタクとしては中央公論さんには足を向けて寝られません。まことにありがとうございます。

それだけでもありがたいところ、なんとそのうち一冊に解説を書かないかというお声がけをいただきました。
けっこう悩みました。武藤康史先生など、もっと適任の方がおられるのではないかとも考えました。
が、小津安二郎映画の原作本がその前に出るとうかがい、絶対に武藤先生はそちらの解説を書いておられるな……とピンときました。

当たりでした。



で、あるならば、微力ながらできることをさせていただこう。
ということで、解説をお引き受けさせていただいた次第です。

しかし張り切った結果、原稿が長くなりすぎ、四苦八苦して半分ほどに減らしております。
それでもだいぶページ数を増やしていただきまして、マジで中央公論さまと編集さまには頭が上がりません。

泣く泣く「解説」から外したエピソードは、こちらの記事でご紹介させていただこうと思います。
一応「これを知ったら里見作品の内容がより面白くなる」という目線で選んだつもりです。

話題として「志賀直哉×里見弴×暗夜行路」の内容とかぶっている部分もありますが、気楽に読んでやってくださいね。


■ もうひとつの絶縁


さて、冒頭に戻りましょう。
中央公論さんで里見弴の出版が立て続いたのは、里見フェスというわけでもなく偶然だそうです。
そう知ったとき、私が思い出したのは、滝田樗陰でした。


滝田樗陰、ご存じでしょうか。
作家ではありません。

編集者――それも並みの編集者ではありません。
明治時代につぶれかけていた中央公論を立て直し、文壇の登竜門と言われるまでに育て上げた名物編集者です。近代文学を好きな人なら、一度はその名を見かけたことがあるでしょう。

彼の目に留まれば、作家として認められたも同然でした。
若い作家たちは、樗陰の人力車(樗陰は自家用人力車を持ち、一日中帝都の作家たちのあいだを駆け巡っていたそうです)が玄関にとまるのを夢見たといいます。

そんな樗陰さん、ものの本を読んでいると、どうも「成功したオタク」なのではないか? と思えてきます。
好きになったものへの情熱が並ではないのです。

気に入った陶芸家などの作品は、入荷したと連絡があれば駆け付け、言い値で買う。睡眠時間を削っても、愛する文学のために作家に尽くす。愛する作品は大げさな言葉でほめたたえる。
あまりに大げさなので、褒められた当の漱石を怒らせたこともあるそうです。

しかし同時に、原稿を得られないときは辛らつな人でもありました。
名物ナントカ、と言われるタイプにありがちなこととして、エネルギッシュで癇癪持ちだった樗陰さんは、愛してやまない原稿を与えてくれないと爆発してしまうのです。

たとえば広津和郎

「流感(※風邪)で原稿を書けない」と樗陰に電報を打ったら、帰ってきた電報にはこうありました。「リュウカンハ トウシャノ セキニンニ アラズ」。

谷崎潤一郎も原稿を落して絶交。
小山内薫もさんざんなめにあったといいます。

里見弴も例外ではありません

里見に依頼した原稿が遅々として進まないのを見た樗陰は、担当編集者を変えるなどして対応します。それでも作品はしあがらない。樗陰は激昂して電報を打ちます。

「ソレデモ ニンゲンカ」。

それでも人間か。強烈です。
「人間」というのは、雑誌の名前にかけています。里見は、久米正雄らと「人間」という雑誌を出していた時期があり、そこから「人間派」と呼ばれることもあったんですね。

とはいえ、「それでも人間か」はさすがに言いすぎで、激昂した樗陰からこの話を聞かされた当時の編集部員、木佐木勝はハワワ……となったようです。

それから二年ほど、中央公論と里見弴は絶縁したような状態になってしまいます。それまで常連だった里見の名は中央公論から消え、前述の木佐木は雑誌をながめて寂しく感じると、日記に書いています。

実はこの出来事が起きたのは1923年なのです。

1923年? そう、2023年のちょうど百年前です

1923年の3月、樗陰は里見に激怒し、電報を打って、里見は中央公論から消えました。そのちょうど百年後の4月、示し合わせたわけでもないのに、中央公論で里見の出版がつづく……。

まさか……あの世の樗陰がお詫びのしるしに……?

……んなわけはありませんが、こんなエピソードも知っていれば、さらに今回の本が楽しめてしまえるのではないでしょうか。



■ 読みづらい? 読みやすい?


「志賀直哉をめぐる作品集」には、様々な年代の作品が集められています。
年とともに変化していく里見の文章を味わえますが、そのなかには、人によっては読みづらいと感じる文体もあるかもしれません。

この本で初めて里見の文章に触れた方もおられるでしょう。
どうですか。さらさら読めましたか?
読めたなら問題はないのですが、こんな方がおられるかもしれません。

・見たことない漢字が多く、そこでとまってしまう
・見たことない熟語が多く、そこでとまってしまう
・現代の文に比べて改行が少ないので、ページが黒くて目が滑る
・主語の省略が多いので、誰の台詞かわからなくなる
・一文が長くリズムがつかみづらい

いかがでしょうか?

もしそうなったとしても、安心してください!

「俺には教養がない……?」
「里見は合わないっぽい……?」

などと落ち込んだり、あきらめたりするにはまだ早い。

もともと現代人にとっては、明治・大正の文章は慣れるまで読みづらいものが多いですが、実は、里見の文章は、同時代の人にとっても取っ付きづらかったのです。
同時代の作家、宇野浩二は里見の文章について、こういうことを書いています。


さて、里見と志賀とを、その文章だけを比べると、
大雑把に云えば、志賀の文章は、
前に書いたとおり、簡潔の極であるが、
里見の文章は先ず志賀と反対である。

(略。実際の文章を引用して)

この文章は、むつかしい漢字が多い上に、
出来るだけ綿密に丹念に書かれてあるので、
慣れない読者には取りつきにくいが、

里見の小説に不断から親しんでいる人は勿論、
少し丁寧に念を入れて読むと、
稀な逸文である。

宇野浩二『文章往來』中央公論社,1941


ここで、里見の文章から漢字クイズ! 
下の字を読めますか?

「人のことを陥穽って」

陥穽かんせい」はわかるという人もいるでしょう。
落とし穴とか、わなとか、人をだますことですね。
そこから推して、「からかって」あたりかな? と推測することができます。つまりこれは当て字なんですね。

では次はどうでしょうか。

𦶚薀

環境によっては表示さえされないかもしれないので、念のため画像も貼っておきます。

読めますか


読めん。
というか、検索しても出てこない。

里見作品では、「むしゃくしゃ」とふりがなしてあります(ないときもあります)。
調べてみると、これは中国の古詩のひとつ「楚辞」に登場する熟語で、意味としては「鬱憤」といったところだそうです。
「むしゃくしゃ」というルビは洒脱な言葉遊びでしょう。

しかし、パッと見、むしゃくしゃ感ありますか?
私はなにか温かいうどん的なものかと思いました。

おそらく大正時代なら、漢詩の素養がある人は今よりも多かったでしょうから、彼らは読めたのでしょう。それにしたところでみんなが漢詩を学んでいるわけもありません。そこで宇野浩二も上述のように書いたと思われます。

里見弴は言葉遊びが好きです。造語も好き。
「一目惚れ」という言葉は里見が考えたと言われており、それについて質問された里見は、「自分が最初かはわからないが、自分は英語のワン・グランス・ラブという言葉を翻訳して使った」と答えています。
そして漢語由来と思われるような、あまり見かけない漢字も多い。
それらに、このように別の読みを当てはめたり、日常語に転換させるような使い方をしていくのですね。

ほかにも、古典の省略の手法で主語を省略するとか、説明文より描写文で想像させるとか、いろいろ里見文の特徴があり、それが上述した引っかかりを作っているのです。
初見では読みづらいと感じる人がいるのもしかたありません。

里見弴という作家がだんだん読まれなくなっていった理由のひとつとして、この取っつきの悪さは確実にあるでしょう。

そんな文を辛抱して読む価値があるのか?
という疑問もあるでしょうが、これがですね……わりとあるんです。
慣れてくると中毒性があるんです。

なんとも言えない味わいと滋味があり、クセになります
宇野浩二の言うとおり、なかなかの逸文なのです。

ではどうすれば慣れるまでよみ続けられるか?

おすすめの方法をふたつご紹介します。


・会話文だけを読む


里見は会話の名手と呼ばれていました。

『志賀直哉をめぐる作品集』においては、ごく初期作である「君と私」ではそのあたりの個性がまだいくらか弱いものの、作家としての個性がはっきりするにつれ、思わずくすっとしてしまうようなユーモラスなやり取りが出てきます。その場の空気さえ感じられるほどです。

志賀は「プラトニック・ラブ」という作品で、こう書きました。

こう云う事が(里見の小説に)書いてあった。

私はこの芸者を知っている。
知っているせいもあるのか、
これだけの会話の中に
非常に明瞭はっきりとその女を憶い浮べた。

(略)
私にはその顔が眼に見えた。
(略)
こういって笑う痩せた頬の笑くぼまでが見えるのだ。

書いてない事がいやにはっきり見えるのは
少し変な位だった。
友達はこういうことは非常にうまい。
うますぎると云われるくらいにうまい
(略)

志賀直哉「プラトニック・ラブ」『志賀直哉全集』改造社 昭和6年


おそらく里見は、実際に話している場面をよくよく観察して、その言い回しや間、動作のツボを押さえて紙上に写し取っているのでしょう。

「いやァなこと言うのねェ、知ィらない」
「馬鹿にすんじァないわヨゥ」

などの会話文は、台詞回しが耳に浮かぶようです。
明治・大正時代にもここまで自在に言文一致体・口語体を使いこなした作家がいたのですね。
里見の筆先から繰り出される文体の幅広さは、彼が言葉に対して持っていたセンスの豊かさを感じさせます。

地の文に入り込めなかったら、ぜひ会話文だけを追ってみてください。
まるで、言葉のタイムカプセルをいま開けたような、そんな生き生きとした言葉たちを味わえるはずです。

その内に慣れてくれば、周辺の地の文にも目をやってみてください。
徐々に目が慣れていき、気付けば楽々と読めるようになっているはずです。



・音読する



里見弴の文体は、感覚や感情など、
身体のリズムで感得すべきものである。

文字に書かれた文章では珍しい例なので
一寸ペースを合わせるのに面くらう
けれども、
うまく生理機能が一致しさえすれば、
特有なねばっこさで、からみついて行くのである

山本忠雄『文体論 : 方法と問題』賢文館,昭15



里見は、何度も文章を口に出しながら推敲したそうです。
つまり、里見の文章は、声に出して読んだときに文章がうまく流れるよう書かれているのです。

もともと読書とは、誰かの音読にみんなで耳を傾けるものでした。
明治中期ころまではそのような読み方が当たり前だったと言いますので、里見も音読に慣れ親しんでいたでしょう。
実際、明治終わりごろの志賀の日記などでも、彼らが自作品を二時間くらいかかって相手に音読して聞かせたりしていたのがわかります。

今では完全に読書と言えば黙読で、「目」で見るものですが、かつては「耳」で聞くものだったわけですね。
里見や、のちに彼が師匠と仰ぐことになる作家、泉鏡花の文章は、「聞く」文章だとよく言われます。

そういう文章ですから、ぜひ、声に出してみましょう。
周りに人がいないことを確認したら、おもむろに音読です。
やがて絶妙なリズムで文章が組まれていることが体感できて、言葉がノってくるとおもいます。まさに身体で感じる文章と言えます。

そのうち、声に出さなくてもそのリズムで読めるようになればしめたものです。

このふたつの方法を試してみてください。
文章の魅力が感じられてくると思います。

難しい漢字と熟語は、なんなら何とな~く文脈的にこうかな、くらいで大丈夫。「志賀直哉をめぐる作品集」はこまめにルビが振ってありますので、きっと慣れやすいはずです。


■   ふたりの同性愛的関係とは?


『志賀直哉をめぐる作品集』は、ふたりの関係についていわゆるBL的な取り上げ方はしないという方針です。これについては私も異存はありません。
BLですよ、と言ってしまうと、最初に解釈をきめつけることになってしまいます。

とは言え、もともと「君と私と」は男色文学として知られていました
それは岩田準一編纂の『男色文献書志』にも男色文献として掲載されているところを見ても明らかです。

そういった知識がない読者の方でも、読みはじめれば志賀に対する里見の恋愛感情や、志賀が学習院で後輩の美少年と付き合っていたこともさらっと言及されていますから、「どうなってんだ」とならざるを得ないのではないでしょうか。

このへんは、背景について知っていたほうが、むしろ作品の意図も受け取りやすくなるかもしれません。

本当にふたりのあいだに恋愛感情があったのか? 
本当に里見の片想いだったのか?
そういったことはここでは取り上げず、あくまで、作品を取り巻く時代的背景をお話ししていきます。

実は明治期から大正期にかけて、学生の間では同性の恋が大流行していました。決して少なくない学生たちが、何らかのかたちで、同性の恋にかかわっていたのです。

この時期の同性の恋は、同性愛とは呼ばれていません。
「同性愛」という概念が入ってくる前、日本では男性同士の性愛を「男色」と呼んでいました。
男色は異常なものではなく、男性であればチョイスできる性愛の一種と見なされていたようです。そして、男子学生の間の恋は、同性愛ではなく男色と呼ばれていました。

当時認識されていたところによると、流行の経緯はこうです。

戦国時代:死地におもむく男同士の絆をつよめるものとして、男色が盛んに
  ↓
江戸時代:平和が訪れると男色は下火になる
  ↓
しかし武辺の国薩摩では、男の純粋な絆の象徴として、引き続き男色が尊重
  ↓
やがて明治維新
  ↓
勝ち組の薩摩が政界の中核を占める
  ↓
勝ち組の習慣として、男色も東京にカムバック
  ↓
学生や軍人のように男性だけの社会に広がった


これがどこまで正しいかはともかくとして、当時そう信じられていたというのは事実のようです。
「薩摩から来た」という認識は、「志賀君との間柄」でもうかがえます。

里見はこのエッセイで、志賀を「にせさん」、自らを「ちごさん」と呼んでいますね。
BL用語で言えばにせさんが「攻め」、ちごさんが「受け」といったような意味ですが、このあたりは本場である薩摩の言葉を輸入したものと考えられていたようです。

こうして広がった学生間の男色は、多くの文学作品でも題材とされました。

同じ白樺派では、武者小路実篤が同級生の美少年に恋をしていたとナチュラルに回想しており、おそらく彼をモデルにした短編をも書いています。
ちなみにこちらで読めます。


また、同じく白樺派の日下諗も、学生ではありませんが少年同士の加虐的な執着をテーマにした短編を書いており、これはこちらで読めます。


有名どころにしぼると、後年の太宰治。色の浅黒い美少年に慕情を抱いていたと書いています。森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」、芥川龍之介の「SODOMYの発達」、川端康成の「少年」などなど……


こういった作品は、枚挙に暇がありません。


こういう状況ですから、志賀が美少年と付き合っていたとか、14歳の里見が志賀に恋心を感じたとか、初恋相手が美少年だったという話などは、里見としても何か特別なことを告白するというような意識ではなかったと思われるのです。
現代人でいえば、「クラスメイトの異性への初恋」とか、「憧れの異性との思い出話」とかを語るのと差はなかったはずです。
もちろんそれはそれで、相手も友人たちも読むとわかっている以上、告白には勇気が要るわけですが……

というわけで、現代人にとっては驚くべき告白でも、同性同士という部分については特別視せず、「当時はそうだったんだなあ」と、さらりと読んでもよさそうです。

しかし付け加えますと、時代は変わっていきます。
「志賀君との交友記」のときには、多少事情が違ったはずです。

社会が西洋文化を輸入し、近代化していくにつれ、男性同士の性愛は「同性愛」と呼ばれるようになりました。
特殊なタイプの男性による特殊な関係と見なされるようになり、学生男色も禁忌とされ、徐々に姿を消していきます。

そんな昭和10年、『文藝通信』という雑誌に、「文壇友情物語」という読み物記事が載りました。

著名文士たちの友情を取り上げたもので、そこにはこういうくだりがあります。

里見は、武者や志賀より三級下であったが、
不思議に志賀と仲がよかった。

同性愛といってもいい程、
二人はいつも一緒にいた。

(略)

七八年の間、この二人が絶交していたことは、
文壇でも有名な話だが、(略)
この猛烈な喧嘩の原因も、
要するに、「仲がよ過ぎた」からである。

大潟若郎「文壇友情物語」
『文藝通信3-1 昭和10年新年特集号』文藝春秋社、昭和10年 


このコラムではほかに志賀と武者小路、武者小路と長与なども取り上げられています。
そのうちで志賀と里見が、特にこのように揶揄されているのです。
さらに武者小路と長与の友情の項目では、志賀と里見が引き合いに出され、「同性愛のように、などというといささかグロテスク」などとなかなか失礼な評価まで加えられています。

文藝春秋社発行の『文藝通信』は軽い読み物雑誌ですが、執筆者のメンツを見れば決して安っぽいゴシップ誌というわけではありません。

それでも人気作家二人をつかまえて堂々とこのように揶揄できるあたり、男同士の恋が「同性愛」として嘲笑の対象になりつつあったことがうかがえるのです。

実は、「志賀君との交友記」は、このコラムから2年後でした。

「交友記」での里見はユーモラスな筆致で、志賀には片思いだったので何もなかった、と強調しています。
なぜわざわざ、グロテスクと見なされつつある事柄に触れたのでしょうか。

あえて推測するならば、むしろ「グロテスク」と見なされつつあったからかもしれません。「文壇友情物語」に見られるゴシップ的な揶揄の視線を避けるために、里見としては「なにもなかった」とここで否定しておく必要があった。
そういうことだったのかもしれません。


学生男色については、以下のnoteの記事「志賀直哉×里見弴×暗夜行路」の②と⑭でも触れていますので、さらに詳しく知りたい方はご覧下さい。
https://note.com/kapibara2/n/n78d65ec56fa5
https://note.com/kapibara2/n/n70f51d2539a6


ここまで、「志賀直哉をめぐる作品集』の全体的なお話をしてきました。
次回は、ひとつひとつの作品に触れてみたいと思います。


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