大人になるということは

子どもの頃、大人になるのがたまらなく嫌だった。

小学校を卒業する頃が嫌の最高潮だった。
中学・高校は3年で卒業してしまうから、一足飛びに大人になってしまう気がしたからだ。

大人になるということは、子どもの自分がいなくなることだと思っていた。
自分の中にいる子どもの自分がきれいさっぱりいなくなって
きちんとした大人の自分がやってくる。
きちんとしないと、生きていられないと思っていたのだ。

ほんとに大人になってみると、実際はちょっと違うんだなと気づいた。
僕の中にはたしかに、きちんとしている大人の自分がいる。
だけど、いまだに合体ロボにテンションをぶち上げる小学生の僕も
中二病が治らない思春期の僕も
何もかもがつらくてしょうがなくて、死にたかった僕も
ずっと、ちゃんと、いる。

大人になるということは
成長をするということは
自分がすげ変わるのではなくて
いろんな自分が増えていくということなんだろうな、と今は思う。

それはとても心強いことだ。

きちんとした大人の僕は、そりゃ大人なのだから、
いろんなことを「まあしょうがないですよ」と受け流したり
「こんなこともあろうかと」と、不測の事態にもまあまあ強い。
そんな大人の僕は、思考も受け取り方もまっすぐで
悪意に傷つくしかなかった子どもの僕を守ってくれる。

子どもの僕は相変わらず、自分の気持ちに正直だ。
「あれがしたい!これがしたい!」とわがまま放題に、
自分の好きなことを主張してくる。
つらいことがあったとき、なんの躊躇いもなく涙を流す。
そんな子どもの僕は、いろんなものを受け流しすぎて
自分の気持ちがわからなくなった大人の僕を救ってくれる。

死にたかった僕は、今もひっそりと僕に問いかける。
「ねえ、死ななくてよかった?」
いつも即答できるわけではないけど、
僕はできるだけその問いに
「よかったと思うよ」と答えられる生き方をしたいと思う。

いなくなってほしいと思っていた自分もいたような気もするが
どうにも存在を消すことはできないようなので
「しょうがない奴だな」と思いながら一緒にいる。

大人になるということがこんなにも頼もしいことなのだと
もっと早く知っていたら、こんなにオロオロしなかったのにな
嫌な自分よ消えてくれと、苦しむこともなかったのにな
なーんて思う事もあるけど
多分オロオロしたり、苦しんだりしないとわからなかったんだろうなとも思う。

思う事にする。

こういう誤魔化し方も、大人の僕が知っている。
大人になるのも悪くないもんだ。

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