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名 札(創作)
こんばんわ!どんな土日を過ごそうとされていますか? ノープランの気ままな週末でしょうか。羨ましいですね。私は毎週土曜日、数時間働いています。脳みそより肉体系で……。今週も短編を投稿します。この作品も設定や人物等すべて架空のものなので安心してお読みくださいね。
「名札いりますか?」
そこだけを何度も食い下がった。浩次は今、駅前のバーガーショップ『メリーキッズ』でアルバイトの採用面接を受けている。
下見してスタッフのユニフォームは確認済みだった。厳格な衛生管理に定評のある『メリーキッズ』の制服は耳垂れ付きの白い帽子とマスク。まるで食品工場の作業員のようだ。見えるのは目だけで他はすっかり隠れている。
彼にとっては、この人相がわかりにくいところがすこぶる好都合だった。
――もともと目立たない陰キャな風采のオレ。このユニフォームなら完璧だぜ。あのスケの屍が早く見つかってしまっても、これなら大丈夫だろう。
深い仲だった女を口論の末に締め殺してしまい、裏山に埋めた。そうして秘かに故郷を出奔したのが半年前。その日暮らしで逃げ回ったが所持金も尽きそうで、そろそろどこかに腰を据えたくなっていた。
逃亡中の浩次には素性がわかる〈名札〉が鬼門なのだ。どこで誰に見つかるかもわからないのだから……。
――ちぇっ、今時は、どんなバイトでも身元を証明するものを出せと言ってくる。マイナンバーだの免許証だの……。
偽名で身元をごまかそうとして、何度か失敗した。甘くはなかった。せめて名札無しならいいかと頼み込んだが『メリーキッズ』も無理らしい。
「うちの制服だと、名札がないと誰かわからんからダメだよ」
確かにそうだった。ここもダメかとテンションが下がって来た浩次とは反対に、店長の山上は採用前提で強引に話を進めようとしていた。名札についてのしつこい浩次の質問にも微塵も疑問を感じない様子だ。
山上の悩みは慢性的な人手不足だった。昨日も新人が一人バックレた。連絡もつかない。
――何とかしないと回らない。取りあえず1人採りたい。
山上の頭には、それしかなかった。畳みかけて決めてしまいたい。
「それで佐田さん、何日から来れるかな」
――えっ、佐田(さだ)?
浩次は驚いて眼を上げた。彼の姓は多田である。応募の電話をした時に聞き間違えられたようだ。とたんに妙案がひらめいた。これで問題解決だ。
――そうだ。佐田で通そう。ちょうど良い。居候の佐田の奴の名前を拝借しよう。
彼の脳裏に、いつからか自分のアパートに転がり込んできて、日がな一日ダラダラしている居候の佐田の髭面が浮かんだ。
泊まりに来ないかと飲み屋で相席になった時に浩次から誘ったと言い張っている佐田。そんな記憶は全くないのだが……ずっと居座っている。
――こないだ、立て替えた煙草代を出させる時に奴の財布に保険証が入っているのが見えたな。そいつをしばらく拝借しよう。
「はい。明後日からで大丈夫です。ただ顔写真付きの身分証明書は、田舎の実家に置いてるんです。健康保険証でもいいですか」
「困るなあ。まあ後日、提出してくれよ」人員確保に焦るあまり、山上は社内ルールを踏み外してしまった。
実は業界大手の『メリーキッズ』には、アルバイト採用でも顔写真付きの身分明書が必要という厳格な規定があった。正に浩次のような身分不詳のアヤシイ輩が潜り込んでくるのを防ぐためなのだが……。
「はい、わかりました。よろしくお願いします」
「よろしくね、佐田君。頑張ってね」
それからひと月経った。
浩次の新しいバイト生活は、すこぶる順調だった。呑み込みの良い彼は、調理や店内業務の一通りを難なく覚え、普通は試用期間三か月のところを、最短の一か月で本採用になった。
今日も店長に頼み込まれ、急に休んだ奴のシフトの穴埋めに駆り出されていた。昨晩の8時から今朝の7時まで、休憩込11時間をぶっ通しで働いた。実
の所、夜勤の一人回しはきつかったが、良いとこを見せようとして少し無理をした。
三十六歳……健康には自信があった浩次だが、さすがに頭がボーっとして足元がふらつく。
大通りに出た。
――とにかく帰って寝よう。出来たらココの道で横になりたいくらいだ。
「さだー! 上、上」
横断歩道の向こうから、誰かが大声で叫んでいる。
――店長かな? さだって誰だ。上って何だ?
浩次は、首を傾げながら歩き続けた。頭が回らない。
ビルの屋上にあった巨大な看板が、上から落下して来た。今の自分は「佐田」だと気付く間もなく、彼は重い鉄塊に押しつぶされていた。
その時、窓がガタガタ音を立て、光る塊が勢いよくアパートの部屋に飛び込んできた。
だらりと寝そべっていた佐田は、急に目にもとまらぬ速さでその塊をガシッと掴み、大きく開けた赤い口でほおばり呑み込んだ。
「契約完了」
佐田の財布から健康保険証を抜き取った時、多田がきょろきょろしていたのを思い出す。急に頭の中に響いてきた声に戸惑ったのだ。
『何のために盗む?』
『えっ…なんだ、この声? お前は誰だ!』
『何のために盗むと聞いている』
『今までの自分を消したいんだ』
『消えていいんだな』
『もちろんだ。うるさいな!』
『お前の望み承った』
サタンの取引の代償は『魂』だ。せっかちな人間が多くなり「話が長い」と言って逃げてしまうので、悪魔契約の詳細説明も今風に割愛している。
「ちぇっ、野郎どもの着るものったら」
今度の服装はスリムな黒服だ。尻尾が引っ掛かるのに悪態をつきながら、佐田は新たな風体に着替えを済ませ、次のカモのいる街へ瞬間移動した。
(了)