笑顔という魔法
会社を辞める前までの私には、「笑えている間は大丈夫」という謎の自分ルールがあった。どんなにしんどくても、鏡の前で満面の笑みができれば大丈夫。そんな風に思っていた。
それは、高校生の時の経験に基づいている。
私の通っていた学科は、英検の試験の前に合宿をするという謎の儀式があった。私はそれに選抜され、約一週間学校で寝泊りすることになった。
その事前説明の際に、先生から言われた言葉があの言葉だ。「笑えている間は大丈夫。笑えなくなるくらい追い込め」と何度も言われたのを覚えている。
何年か経ち、社会人になった。
そして、私は忠実にあの言葉を信じていた。
会社に行かなきゃ。行きたくない。そう思いながらベッドから這い出る。ああ消えてなくなりたい。でもコンタクトを入れて化粧をして。鏡の前でばっちり笑顔を作る。心から笑えていないことを薄々感じながら、「笑えているから大丈夫」そう言い聞かせて家を出る。
最後には、限界がきた。
もう笑えない。笑いたくない。いやだ。死にたい。
そう思った翌日には、退職願を書いていた。
後先なんて考えられなかった。ここで辞めなければ私は本気で死ぬ。そう思った。
「笑えている間は大丈夫」という言葉は、「辛さは笑ってごまかせ」という意味とも考えられる。辛さは笑顔という仮面で隠せ、と。
でも、隠し切れない時もある。
コップの水があふれるように、殺していた感情が露わになっていく。それはとても怖くて、情けなさを感じ、漠然としたものに対する罪悪感がすごかった。
退職後、心から笑えているなと感じたのは1年半ほど経った頃だったろうか。好きだったバンドのインストアライブに行ったときだった。
ちゃんと笑えたと思ったら、嬉しくて涙がこぼれた。
私は生きている。それを感じられた瞬間だった。
もし、会社を辞める前の私に会えるのならこう伝えたい。
大丈夫。あんたが辞めても世界は変わらない。
無理して笑う必要はもうない。
ちゃんとまた、心の底から笑うことができるから。
死ぬんじゃないよ。どんな感情を抱いていても生きていていいんだ。
もう二度と、自分をごまかすんじゃないよ。